シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

問題の「新しい聖殿と祖国光復」全文訳 その2

出来上がっているので、ついでに『その2・和動会偏』も、GO!
休まずいっちゃいます!


和動会のみ言葉を読むと、お父様の、年老いたお爺さんの心情が切なく伝わって心がいたたまれなくなります。休むことなく歩んでこられた道、ご自分が霊界に行かれたらどうなるのか、ご自分以上に10倍、100倍、1000倍、神様のみ旨のためにやってくれる若者が育つであろうかと心配され、しかしその中で、亨進様のお子様方に大きな関心を持たれ期待しておられること、特に信俊様は目に入れても痛くないくらいに愛しておられる、どうしようもないお爺ちゃんの心が伝わってきます。
もちろん、そこには人間的な愛情だけでなく、天の伝統をしっかり継承していける孫に育てるための願いからだと思います。


み言葉の途中で、
名前をつけたのですが、私も知らずに八萬宮という名前を付けました。』とあります。これは皆さんご存知のように、亨進様のお子様方ですね。

長男が信様、
次男が信様、
長女が信様、

そして、その次にお生まれになったのが信俊様です。この当時、信俊様は満4歳、本当に可愛いさかりですね。もしかして、お三方の基台が立って信俊様が生まれることができたのでしょうか、、?


※韓国語画像をアップしましたが、小さくて確認できないかと思います。
ご希望の方がいらっしゃれば、韓国語原本を添付ファイルお送りいたしますので、ご連絡ください。^^


そして、おかしい微妙なところはぜひ教えてください。修正いたします。

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孫たちが仲睦まじくすくすくと育つのを見る時、夢が回生

 薫淑(フンスク)が今までバレエに一生を捧げたが、今後、統一教会を中心としてバレエの按舞を研究させなければならないだろう。そのような所感を持って、自分がどれほど大変で、自分がどれほど人の心を歌と踊りで


(P206)


表現するのが大変だったということを少し話してみなさい。ここの婦人たちがバレエを好きな娘を育てようとするので、見本にできる話をしなさい。(文薫淑様、報告)(以降和動会続く)


 皆、いい顔をしているのを見るので、私も嬉しくて若い時代が再び思い出されます。もっと若い時代です。赤ちゃんの時代も想像して浮かび上がってくるこの時間になったことを感謝に思います。「感謝、感謝します。」一度言ってみなさい。
「感謝、感謝します。」ここに私が訪ねてくる時は、もちろん天正宮を中心として訪ねてきますが、この山川を中心として統一教会の歴史の難しかった峠、峠の道が、しこりとなっていた事由が生きていることを感じます。


 これを話したく、その方たちを再び立てたく、そこで昔のように過ごしたい事由がたくさんあります。そうできる青春時代は過ぎて、今はもう老齢で九旬(90歳)を眺める年齢になりました。人生はそのように早いです。過ぎたのも知らずにここまで来たんだね!再び戻って昔を回生しながら、歌いたい時に歌い、踊る時踊りたく、自然の呼吸にあわせて景色の美妙を眺めながら、自分の心の中に深く隠れている願いの夢が蘇るのです。


 それを歌でも話して、曲調でも話して、事由でも話せる時代があったのに、多くの時代を過ぎてみると、そのように再び蘇る思い出の世界が、ふと思い出されるのをどうして忘れることができようかというのです。これを感じさせるのは何か?もちろん壮年たちの動く姿も美しいですが、ここに息子娘を中心として抱くことができる孫たちが和気あいあいとすくすく育つのを見る時、そのような夢が蘇えるのです。


 あぁ、私がもし今から50年前にこのような環境になっていたならどうしたでしょうか?50年過ぎる間、私が、夢に埋もれていた事由をすべて生かして活動したなら、いくらかの成果が出ただろうというのです。国と世界が悪くならず、もっと良くなっただろうに、その世界がどうだったろうか?再び考える時、私の一生が希望に満ちた生涯でなく、振り返ってみれば、惜しく、


(P207)


涙を流した足跡の道を急ぐ時が多かったことを忘れることができません。


 その忘れられない事由の中で一つの願いが何か?ここに清心中高等学校があります。この前を毎日のように通りながら垣根の高い宮殿、その景色を眺めながら「そこで育っている青年たちの中で私のように青春時代の夢を持って成長している人がどれほど多いだろうか?先生は年老いていくが、霊界に行っても、未来世界に、残された世界には、神様が私を育てながら、望みを持った10倍、100倍、1000倍の希望の園が溢れ出るだろうか?育つだろうか?」ということが疑わしいです。


 ですから、今育っている孫たちをちゃんと育てなければならないと思うそこで、はじめに、人相で記憶されるのは誰か?進の息子たち、成長している孫たちに対して関心が高いです。見てみると、名前をつけたのですが、私も知らずに八萬宮という名前を付けました。信八の‘八‘の字は、‘人’の字と比較してみれば、遠く離れる(旅立つ)ことができるのです。ここには空間があり、未来の歴史に空白を埋めることができる橋も掛けることができ、夢の歴史の事情、事情の涙が宿る曲調も奏でることができる芸術と文化が蘇るのです。それで、ここの少年少女たちに関心が高いのです。


清い心の谷間は幼稚園以上に教育できる位置


 ここには大学もあります。何という大学ですか?「清心神学大学院です。」その次は何ですか?「 清心中高等学校です。」 清心神学大学院よりも統一教会の理想的な天の国の大学があるということを知りません。 清心神学大学院の名前は知っていますが、天の国の秘密歴史を裁判して、その世界の門を開けるようになれば、恍惚とした夢の理相天国になるのに、その世界に関心を向けず忘れやすいというのです。見てみるとそうです。


 そのようなことを紹介できる学問の基礎、原本がどこにあるのかと言えば、統一教会の原理です。原理を教えるものに『原理解説』があります。


(P208)


 『原理解説』の本、『原理講論』の本ですが、原理本体論の教育を今までできませんでした。これを初めて最近になって行っているのです。
さて歌う時何の歌を歌ったか?‘ディンドンデンドン‘の歌を歌った人の夫がユ・ジョンオクです。名前が女の名前みたいですか、男の名前みたいですか?ユ・ジョンオク!「はい。」女か男か?(笑)立ち上がってみなさい。それからチョ・ミョンウォン!二人を見るときにどちらが男の顔みたいで、どちらが女の顔みたいですか?


 私はいつでもユ・ジョンオクといえば、春に伸びるヤナギの枝が踊るその下でブランコに乗り、その次には休めるハンモックを張ってそこに座って、または眠って美しい夢を見る女性の姿を考えるのですが、そこに反する乙女(新婦)は音声が本当に美しい音声です。美しい音声で‘百年偕老(共白髪)‘です。


 今から私はちょっと休んで‘百年偕老‘を聴きたいので一度歌ってみなさい。聴きたければ拍手しなさい。(拍手)‘百年偕老‘を歌えば、一番好む人が女みたいなユ・ジョンオクです。‘百年偕老‘を歌う時、ユ・ジョンオクを夫にして歌うから、女に見える姿がどうですか?男・主体に対する対象の形状から出てくる女の声を聴いて、一番喜ぶ人はユ・ジョンオクしかいないので、ユ・ジョンオクの心を知る人は拍手で歓迎するだろう。(拍手)
とても良い時間だから上手に歌ってみなさい。(ユ・ジョンオク、歌)


 気分がいいから拍手を一度大きくしてみなさい。私が楽しく!先生が歌う前に私がしたい話をしようかしまいか、したらいいかしない方がいいか?返事!私がこの歌よりもっと良い話を一言話したいんだがしようかしまいか?「してくださらなければなりません。」ならば、拍手してみなさい。(拍手)特別に母親たちが拍手を大きくしなさい。(拍手)


 赤ちゃんを産んで育ててみた母親の心情では何が恋しいか?「この園の中で先生が愛することのできる山鳥のような息子娘を再び産んで育てたらどれほど幸せだろうか?」そのように考えませんか?年老いたお爺さんもするのに、私よりもずっと若く青春に近い友の立場に


(P209)


いる婦人たちはそれ以上を考える時、そのような子供を生んで、清心中高等学校に突然送れないのです。 清心中高等学校よりも清心小学校があればいい。それよりも清心幼稚園があればいい。


 先生が愛する信俊が、 清心幼稚園があればどれほどいいか!王オンマ、王アッパの懐ですやすやと眠っても時間になれば、5分前に出れば学校に行けます。今や、父母様の懐を離れて幼稚園に行くのですが、1時間30分かかるソウルです。自動車でその時間走って遠くまで行くのです。ここで眠って朝に出て行くときに「ぼく、幼稚園に行きたくない。 王オンマ、王アッパ!」と言いながら涙を流すのをたくさん見ました。


 ずっとこの園でそのような事がおきれば、この自然がどれほど悲しくて心が痛いでしょうか?ここに大学を作って中高等学校を作って名を成したが、そこに小学校があれば、若い婦人たちがどれほどこの園に飛び上がってやってくるでしょうか?それを眺めながら、このお爺さんの心はもっと良いか悪いか?返事!婦人たちがもっと良いか悪いか?「良いです!」問わずにお爺さんが答えとして「もっと良い!」といえる環境になれば、どれほど、どれほど、どれほど良いか!


 この自然でつぼみができて咲くことができる花を思って、実を収めることのできる、新しい明年を考えられる環境はどうですか?連結して歴史を友にして生きていける生活の余白がある環境が先生には無いんだね!それを再び回生することができれば、今からでも幼稚園を作って若いお母さん、お父さんが子供たちを連れて来るのです。


 その子供たちが「お母さん、お母さん!幼稚園のどの先生がいい。わぁ。その先生はお姉さんよりも美人だよ。声もいい。歌うとしびれる。私もそれより素晴らしい幼稚園の先生になれたらいいな。お母さんも望む?」と言えば、お母さんはどうでしょうか?「もちろん願うとも。そうだとも。私に力があれば、


(P210)


百年千年の悔いを握り潰してでもその願いを成せるよう先頭に立つだろうに。」というでしょう。


 そのようなお母さんたちが多いだろうに、もう現れなく、ない幼稚園を誰が呼んでくれるかというのです。赤ちゃんをお母さんが腹中で教育するのを何といいますか?胎教といいます。胎教。それまで考えれば、生んだ赤ちゃんを幼稚園以上に教育できる位置が何処か?


 ここの清心、清い心の谷間になければならないのに、何故ないのか?
名前が間違ったのか?子供を愛することのできる清い心が出発する所なのに、 清心の歴史の根は何処に行ったのか?このようなことを知らなければなりません。



教育の花園を造れ


 新しい出発をする今日から新しい何の園だと?子供の園で花になる歌を習い、踊りを習い、また芸術を思う存分描くのです。私はお父さんお母さんの懐よりも美しい幼稚園の保母たちの懐が高く尊いことを知っているので、第2のお母さん以上の保母の懐で成長できる私たち幼稚園の子供たちはどれほど幸せか!そのような考えをするお爺さんが悪いお爺さんですか、良いお爺さんですか?返事!「良いお爺さんです。」


 良いお爺さんなら、今日から先生がいようといまいと、自分が保母を代身できる心を持って、この園を抱いて夢の中でも幼稚園の保母の生活をしてみようと決心する婦人たちが多ければ、自動的に今日明日にでも私は幼稚園を開門しろと命令できる自信があるのです。そこに後援できる保母になれる婦人や未来の幼稚園の先生になる婦人も多いだろうから、それを後援する意味で、心の底からほとばしる歓喜の声に負けない拍手で歓迎できる


(P211)


了見がありますか?


 私は年老いて拍手の音が聞こえないのだが、、(拍手)これは何の音か?
あ、真のお母様の拍手の音だね!(お母様笑われる)いやぁ。保母たちも尊敬する真のお母様の拍手の音が大きいのを見るとき、萬事亨通できる新天路程の花が咲くんだね。ここから右手、その次に左手をあげたい心があれば、母親になれる、赤ちゃんを宿したい少女たちまで讃美の左手をあげて歓迎できる群れが現れるはずですが、どうですか?どうですか?「どうですか?立ち上がって歌いましょうか?(お母様)」


 いいや。どうなのか、見たいのに手を上げる人がいないので、悪口しか出てきません。オモニ、あげなさい。さぁ、この手の代わりに全部みな左手をあげなさい。二つの手と二つの心、アボジ・オモニの心と手に代わって両手で歓迎できることを祈願します。出発しましょう。(両手をあげて全体拍手)


 こうして幼稚園が出発するようになりました。なりませんでしたか?
「今日、公式的に訓母様に、ここ天正宮の近所に信俊様が特別に勉強できる幼稚園、さらに小学校まで建立しろと特命が下されました。私たちは拍手で歓迎しましょう。」(拍手)今日から始めなさい。許可がないなら私が許可を出してやろう!私の許可が文教部長官の許可よりも高いことを知らなければなりません。


 私は、涙を流しながら行く信俊の姿を見れば耐えられません。私がここに住んではいけないのに、、、今日から緊急会議をして幼稚園はもちろんのこと、小学校の先生もできる資格があるのかないのか?あれば一生懸命やって、幼稚園からやって試験を受けずに小学校に入り、小学校を卒業すれば 清心中高等学校に入り、 清心中高等学校を卒業すれば、 清心神学大学院に入るのです。天の国の博士まで、何処に行かないでこの園で育てることができるのです。


 そうすれば、教育の花園を造ろうとする先生の意志が全て成されるの


(P212)


ではないですか?アジュでないかというのです。歓迎すれば、目を閉じて、神様が許さざるを得ないので、神様が許されることを知って拍手しましょう。
「私たちは皆目を閉じて‘アジュ‘拍手をしましょう。」「アジュ!」(拍手)
先生が言おうか言うまいかと尋ねたことを話したので、皆さんがこれからは願わなければなりません。先生の一念のみ言葉を中心として勝利の結果、良い結果が成し遂げられて良いので手足を合わせて拍手してみよう!(拍手)萬事亨通です。



‘千年岩‘のように変わらない万年天国を成さなければ


 さぁ、今からオンマの歌、、、!訓母、わかりましたか?「はい。」 訓母がそれをしなくては。教える母なのだから。何処かを回って夕方に来たのか?私は来るや否やこの話を耳打ちしました。天地を動員して言えないので、そのような考えをしたという、話したいことを全部話しました。話せなかった内容を話せるようになったのです。


 (父母様 ‘할미꽃(オキナグサ)’ の歌、お母様 ‘エーデルワイス‘ と ‘가고파(行きたい)’ の歌、お父様 ‘고향무정(故郷無情)‘ を歌われ、‘마음의 자유천지(心の自由天地)‘を一部改詩して歌われる;白金に宝石を入れた王冠
をくれるとしても、土の匂い・汗に濡れたベチョクサム( 麻の単衣チョゴリ)にさえ劣る。純情の泉が湧く私の若い胸の中では、血が沸く炎がめらめらと燃えているが、故郷の跳ね回った山川を忘れられず、目を閉じて懐かしく思う老いた爺さんの目には涙がこぼれるが、地も私と一緒に泣いているのだな!)


 私が3次まで終えなければなりません。「作詞しないでそのまま歌ってください。(お母様)」作詞も必要だろう!眠っていた人が起きて誰でも歌える、心が解放される歌が作詞の歌であることを私は知っているので、、。そのような時間がもっと良いことを知っているので、歌をつけて歌うことを許してくださることを願います。


 ユ・チョングァン!「はい。良いです。自由の作詞作曲が良いです!」良いのだが独島の歌を一度歌ってみなさい。私が息が切れるので、ちょっと休む間に出てきて歌い


(P213)


なさい。 独島は孤独な道(どう)の道を開拓した統一教会・宗教の名前だということを知らなければならず、文総裁の顔が独島の顔のようだと考えながら歌を歌えば、味が本当に高く尊いと感じられます。(歌)


 これを私たちの聖歌に入れました。趙元周、何処にいる?「はい。」ダンベリーから出てくる時、ダンベリー獄中を顧みながら考えたのがこの歌です。
千年岩!万年岩!ここまでしてこそ先生の解怨として全て解いて軽い身体で飛び立つというのです。‘천년바위(千年岩)‘を歌ってみなさい。


 これはダンベリーから出てきて聖歌に入れたのです。その事由が何か?東洋から西洋まで全て回ってみたが、何も意味が無い(役に立たない・無駄)というのです。今はもう全て捨てて私の行く道を行かなければならないというそのような意味です。‘千年岩‘のように変わらずに往来する道の真ん中に立ち、万年天国を成さなければならないというのです。さぁ歌ってみなさい。(歌)


 さあ、私たちが3唱はしなかっただろう?「お父様お母様の合唱はされませんでした。それでもう一度立ち上がられて父母様の合唱を聴いて敬拝をお捧げして万歳三唱をして終わります。」(父母様‘산유화(山有花)’歌)
グッバイ!(拍手)「金榮輝会長、出てこられて万歳三唱をリードしてください。」その人が出てきたからひとつ歌いなさい。(‘울고 넘은 박달재(泣きながら超える丘)’歌) (億万歳三唱) (敬拝)*



ー以上ー



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