シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

続 どこまで似てる?お母様と朴槿恵大統領

昨日、朴槿恵大統領が2度目の大国民談話をもちました。
しかし、国民の怒り、失望、要求は止まるところを知らず、ついに支持率が5%にまで急落してしまったようです。ソウルだけでなく、あちこちでデモをして『大統領退陣しろ!』という声があがっています。今日も地下鉄でプランカードを持った人を見かけました。あれよあれよという間に、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようです。
まだあと1年あるのにどうするんでしょうか。。どうなるんでしょうか。韓国。


追加:2016.11.05ソウル光化門広場で闘争本部が主催する「集まろう!怒ろう!降りてこい朴槿恵2次国民行動」“4万名集会参席” ※実は10万名以上集まっているそうです。


さて、以前、『お母様と金孝南氏の関係』と『朴槿恵大統領と崔順実氏の関係』 - シャボン玉のブログいう記事を書きましたが、朴槿恵大統領について、詳しく説明されてる内容がありました。それを読むと、これほどまでお母様と朴槿恵大統領は似ているのかとゾっとして不気味になります。
本当にミクロとマクロの世界は繋がって展開されていくのですね。

在韓日本人食口の「本郷人メーリングリスト」で配信された、Fさんの投稿文を引用します。太字・色字はブログ主が加工しました。


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「朴槿恵大統領について」


今、韓国の政治が混乱しており、いろんな情報が飛び交ってます。
以下の内容は私がすこし調べた内容です。
 
崔順實(チェ・スンシル)の父、崔太敏(チェ・テミン)氏は日帝時代に黄海道(ファンヘド)で巡査をしていたが、解放後も江原道(カンウォンド)で警察の仕事をし、そこで浮気をして釜山でお寺に入り、その後いろんな宗教を回り、自分で永世教(ヨンセギョ/えいせいきょう)という宗教を作った。
 
朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領の妻・陸英修(ユク・ヨンス)が1975年に射殺された後、崔太敏(チェ・テミン)が青瓦台(チョンワデ/せいがだい)に手紙を書いている。自分は陸英修(ユク・ヨンス)女史の夢を三度見た。それによると、「自分(陸英修)が死んだのは殺されたのではなく、長女の朴槿恵(パックネ)を韓国の大統領を超えてアジアの大統領にするのを助ける為に霊界に先に来たので、何かあったら助けてあげて欲しいという夢を崔太敏(チェテミン)が見たと言う内容であった。
 
この手紙を崔太敏(チェ・テミン)氏は三度も青瓦台に書いている。この手紙を見た朴槿恵(パックネ)は崔太敏(チェ・テミン)に会う。そして会ったその場で、崔太敏(チェ・テミン)は自分はこのような夢を見たと言う内容を説明するが、その説明する時の様子が自分の母の姿にそっくりであったので驚きの余り気絶したと言う。その後から、朴槿恵(パックネ)に霊が入り崔太敏(チェ・テミン)を信じるようになる。
 
部屋の中で数日2人で入ったまま出てこないと言う噂もあり、崔太敏(チェ・テミン)と何度も会ったことのある人の証言によると、この2人は霊的夫婦だと言っているという。
 
朴正煕(パク・ジョンヒ)はこの怪しい関係を知って、崔太敏(チェ・テミン)を調査しろと金載圭(キム・ジェギュ)秘書官に命じる。朴正煕(パク・ジョンヒ)は崔太敏(チェ・テミン)を嫌っていたが、そのたびごとに朴槿恵(パックネ)は崔太敏(チェ・テミン)の側に立って父の言うことを聞かなかったと言う。
 
後、1979年、秘書官は朴正煕(パク・ジョンヒ)を射殺するが、その時の調査で、金載圭(キム・ジェギュ)秘書官は、殺した理由の一つに、崔太敏(チェ・テミン)を処罰するように忠告したのに朴正煕(パク・ジョンヒ)は何もしなかったことをあげている。
 
朴槿恵(パックネ)は、党代表になる時や大統領選挙に立候補する時など、この崔太敏(チェ・テミン)との関係が常に質問として上がっている。ある時には、2人の関係に関する質問に対する答弁で、朴槿恵(パックネ)は「子供がいると言うのなら、連れてきてDNA検査をして欲しい」と強弁(きょうべん)している。
 
崔太敏(チェ・テミン)と何度も会っている上で話した人の証言によると、1993年10月、崔太敏(チェ・テミン)が82歳で死ぬ前年、最後に会ったが、その時に崔太敏(チェ・テミン)は、「朴槿恵(パックネ)は将来大統領になるので、支援して欲しい」と言ったという。


朴槿恵(パックネ)は党代表をやっていた時、スポークスマンをしていた田麗玊(ジョン・ヨオク)女史は2012年、朴槿恵(パックネ)に失望して党を出ている。彼女の話によると、朴槿恵(パックネ)は、「自分に対してほんの少しでも否定的感情を持っている人がいたらその人を絶対に許さない人だ」とか、「市民と交わる場を作るために、ハンバーガーショップに入って一緒にハンバーガーを食べたのだが、朴槿恵(パックネ)はハンバーガーに一向に手をつけようとしない。それで側近がナイフとフォークを持ってきたらやっと食べ始めた」という経験談を話している。
 
崔太敏(チェ・テミン)氏は巫堂(ムダン=みこ、口寄せ)だが、彼が死んだあと、その娘の崔順實(チェ・スンシル)氏にその霊が受け継がれているという
 
つまり、朴槿恵(パックネ)は2人の巫堂(ムダン)に主管されて政治をしていたことになる。


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<参考>
田麗玊(ジョン・ヨオク)女史:ハンナラ党広報責任者。KBS東京特派員時代に書いた『日本은 없다(日本はない)』で日本でも知られる。ソウル出身。


■ 崔太敏 - Wikipediaより
崔太敏 (チェ・テミン、최태민、1912年-1994年)は、大韓民国の宗教家、社会事業家。黄海道生まれ。日本統治時代に警察官を務め、光復後、僧になったという。6回結婚し、複数の偽名を使っていた。1970年代初め、仏教・キリスト教・天道教を総合した新宗教「永世教(영세교)」の開祖となった。のち永世教の看板を下ろし、1975年4月、宗教団体「大韓救国宣教団」を創設し総裁に就任、朴槿恵を名誉総裁に迎えた。1979年、この団体を「セマウム奉仕団」に改称、地域・大学・企業内に支部を作り急成長させていった。


***以上***



思わずウケて苦笑いしたのはハンバーガーのところです。
清平にある、、何でしたっけ?ヘブンGバーガーでしたっけ?
1000円くらいするハンバーガー。
高級感あって優雅にナイフとフォークで召し上がるハンバーガーを思い出しました。

   ▲ 11日、ヘブンGバーガー清平本店奉献式 | familyforum より


パククネ、ヒラリー、そしてお母様へと、その時が近づいているようです。
天は、お母様がパククネ、ヒラリーが転落していく姿を見ながら、
早く悟り悔い改めるよう、見せているようにも思えます。
生きているうちに早く悔い改めて、お父様の元へ、
ひとつとなったカインとアベルである、亨進様と国進様の元へ帰ってきてほしいです。
お母様が孤独な晩年を過ごされないように。


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