シャボン玉のブログ

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がっくりした、元老牧会者会の『お母様の無原罪・独生女論』に対する見解

またまた、元老牧会者会が『独生子と独生女の原理的見解』なるものを出したようです。
何らかの圧迫があってか、自分たちの見解を意思表示して、食口たちにも提示しておかなければならなかったのでしょうか?


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다말해3- 갑(甲)과 을(乙): 독생자와 독생녀의 원리적 견해 - 원로목회자회 
より、ブログ主が翻訳して、転載


独生子と独生女の原理的見解

最近、独生子と独生女の理解に若干の混乱があるので、その意味の原理的見解を披瀝(ひれき/心の中を包み隠さずに打ち明けること)しようと思う。



1. 独生子と独生女の概念の定義


聖書には、イエスが独生子という言葉だけあり、独生女に対する言葉はない。
しかし、真のお父様は独生子だけでなく独生女も多く言及し、原理的に見ても、当然あるべき用語である。


御言葉選集第1巻14ページに「イエス様は、残された天の正兵の条件を完備した神様の独生子であることを皆さんは知らなければなりません。」(1956.4.8)を始めに、約1,500回、独生子について言及され、

御言葉選集第7巻304ページには、「神様の独生子・イエス様がこの地に来られて、もし死ななかったならどのようになったでしょうか?イエスが独生子と言われたので、神様は彼の元に独生女も送られたことでしょう


伝道の書7章28節に『わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった。』と言われました。神様の2千年の歴史は、新婦を探す歴史です。新婦を探す歴史です。それを否定しますか?新婦を探す歴史です。」(1959.10.11)で始まり、​約180回、独生女について言及されました。


独生子イエスは、後のアダム(コリント15章45節)なので、最初のアダムは、当然、独生子です。太初(天地の開けた はじめ)に最初の人間祖先として造られた男性であるアダムはいかなる罪もない神様の一人息子だったので独生子である。

そのため、独生子の元祖はイエスではなく、アダムである。
二性性相の中和的、統一的存在であられる創造主の神様は男性のアダムだけ造られたのではなく女性のエバも創造した。男性のアダムが独生子であれば、堕落する前の罪がなかった女性のエバは当然、独生女になるのだ。


それで、御言葉選集第231巻22ページには、「堕落していない、神様の手で自ら造られた独生子・独生女がアダムとエバです。」とおっしゃいました。


​また、御言葉選集第7巻298ページには、「イエスを独生子と言われました。独生子とは何においていう言葉ですか?神様の愛を受けてただ一人、神様を慰めることのできる一人の息子を言います。エデンの園で、一人しかいなかったアダムが堕落することによって、神様の愛を失ってしまったので、これを再び探すために送られた方がイエスでした。神様の愛をかけて初めて生んだ息子、一人しかいない息子だというのです。それで独生子というのです。」とおっしゃった。


ここで、私たちは、独生子と独生女の概念定義をすることができる。
すなわち、「独生子・独生女はサタンの原罪とは関係ない、神様の愛を受けて、神様を慰められる息子と娘」と言えるだろう。



2. 究極的な宗教真理は、信仰告白で可能だ。


神様の独生子と独生女として生まれたアダムとエバが神様の御言葉を信じて、成長・個性完成して、真の夫婦となり、真の父母になり、人類の真の先祖となり、神様の創造理想である地上天国と天上天国を完成したなら、神様の救援摂理は必要なくメシアの降臨、宗教、贖罪のための信仰生活も必要ないというのが原理観である。


したがって、堕落によって原罪を持つようになった偽りの子女、偽りの夫婦、偽りの父母、偽りの人類の祖先であるアダムとエバの子孫が成した地上地獄と天国地獄を、神様の創造理想である地上天国と天上天国に復帰するためには、原罪とは関係のない神様の愛を受けて、神様の心情を慰めることのできる神様の真の子女であり、真の夫婦、人類の真の父母、真の先祖が新たに来なければならない。


そのため、神様の愛の実体である独生子として来られた方がイエスであった。
しかし、イエス様は、また別の神様の愛の実体である独生女に会えず、真の夫婦、真の父母、人類の真の先祖になって神様の御旨である創造理想を完成できず、再臨の日を約束して亡くなった。(御言葉選集第7巻304ページ)


イエス様が地上で独生女に会って真の夫婦になって、真の子女を産んで真の家庭を成し、
霊肉堕落圏内にあるすべての人類を霊肉両面で実体重生することができる真の父母の位置にまで行かなければならなかった。そのため、真の父母の位置は、最初からなされているのではなく、その出発地である独生子と独生女の位置から始まるようになっている。


すなわち、独生子・独生女は真の父母としての出発であり、土台なのである。そのように、再び来られる主は独生子として来て、独生女に会って、真の夫婦、真の父母の位置にまで行かなければならない。

ところで、問題は、真の父母となるための出発である。
独生子と独生女の無原罪はどのように可能なのか?
独生女の無原罪は独生子を通してなされるのか?である。


この問題は、自然科学のように客観的事実に基づいて説明することは不可能である。
ゆえに宗教的問題には、ある程度まで説明できる制約に従うようになり、その次には、霊から湧き上がる信仰により問題解決が可能なのである。イエス様がメシアであることを客観的に説明することは不可能なので、クリスチャンたちは信仰告白により、彼を主として信じるものである。私たちも真の父母様を信仰告白により信じ、侍り、従っているのである。


私たちがメシアとして信じ、侍り、従う真の父母様は、私たちの信仰の基準なので、各自の立場から自己中心的に解釈して判断すれば、最終的に混乱と分裂だけもたらすことになる。真のお父様の在世時、私たちが理解困難な御言葉や指示が多かった。
しかし、理解困難な問題は一旦保留し、侍り従っていく過程で理解できることが多かった。世の中でも、親の言葉を理解できなくとも、子どもなので親を不信せず侍って従うのが子の道理ではないか


今は地上におられる真のお母様が真のお父様と交感れる中で、私たちの信仰の実体中心となられ、基準となられている。
真のお母様が、無原罪での誕生をお話されるならば受け入れ、ある人が言う、聖婚前に特別な儀式を通した原罪清算の主張を、真のお母様が認められないならば、そのまま従うべきであって第三者の立場から他の主張を展開すれば、最終的に親不孝の結果だけ招来するようになる



3. すべての人は、独生子・独生女にならなければならない。


すべての人が独生子・独生女にならなければならないという話は、クリスチャンが聞くには、確かに異端である。しかし、真のお父様は独生子・独生女の出発は、一人から始まるが、一人の独生子、一人の独生女で終わってはならず、すべての人類が皆、独生子・独生女にならなければならないことを多く強調された。

このような教えは、私たち各自が皆、小メシアとなって、各家庭で真の父母にならなければならないという論理と一脈相通じる。


御言葉選集第41巻には、「真の人生の道が何か?神様を私の父として侍り、その父の真の息子、娘、すなわち、独生子・独生女になるのです。独生子・独生女となることが、私たちが行くべき人生の道であるというのです。」(1971.2.15)

御言葉選集第94巻には「皆さんが苦難の絶頂にある神様を解放することができる独生子・独生女になり、新郎新婦になり、神様の聖殿となり、神様の骨髄の心情を解放して、神様と共に愛の園に入ることができる問題だけ、この課題として残っているのです。」(1977.6.26)


御言葉選集第393巻には「イエスが独生子だとしたことと同様に、独生子・独生女となって、神様が「お前たち二人しか知らない。」と言える出発をしなければ、それ以外はありません。それが皆さん祝福家庭だというのです。」(2002.9.29)
 

結論


このように、独生子・独生女の概念定義、独生子・独生女の無原罪説に対する信仰告白
真の父母の出発と土台は、独生子・独生女であり、特殊な独生子・独生女から、独生子・独生女の一般化と世界化の原理的見解を介して、救援、復帰、重生、復活、再創造に至るまで、子女として私たちの原理的『真の父母信仰』を顧みる機会になることを祈る。


                2016年11月
                元老牧会者会



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 家庭連合製作『祝福に行こう!』ビデオより



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