シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録・第一章 その3 おし(唖)になる

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

姜賢實(カン・ヒョンシル)

第一章 成長と入教 
  再び訪ねる


その日以後、神学校で学んだすべての神学の内容が一度に壊れたことを感じました。なぜかその青年の話を聞いた後から私の人生が無に返ったようで、祈祷をしても神様が答えて下さるようではありませんでした。お父様の祈祷は私が信仰生活をしてきたものとは相当に差異がありました。既成教会では祈祷をするとき、意識的に祈祷の形式と教会の制度に縛られて祈祷するときが多いのですが、お父様の祈祷は真心(しんしん)から湧き出て神様を思いながら血と肉と骨の中から自然に流れ出る祈祷でした。その祈祷を聞きながら、「この方は神様と近い因縁を結んでおられるのだな」という感嘆がおのずと起きました。そして七年前に私が決心したことを知っておられることを考えると、普通の人とは違うという思いもしました。


数日夜通しで話ができるほどの話があると言われたので、もう一度行ってみなければという思いになりました。次の週の月曜日以降にもう一度訪ねに行かなければという思いはしたのですが、まず三時間の間、聴いた話をじっくり吟味(ぎんみ)してみました。考えれば考えるほど余りにも論理的で確実な内容であったので、結局木曜日に再び訪ねました。


午前中は学校に行って、午後に話を聞くために訪ねると、青年は私を見て大変嬉しがりました。「どうぞ部屋に入りなさい。」というので、一瞬、私は疑いの思いが起こりました。「この方はなぜ私をこのように喜ぶのか?若い男性だから、もしかして私が若い女性だから喜ぶんじゃないのか?」という思いが浮かび、気持ちが良くなかったのでした。


そういう私の心を知っているのか知らないのかわかりませんが、青年は再び話を始めました。内容は、神様がどのように存在されるのかというもので、創造原理に関するものでした。その御言葉を伝えるお父様の姿に大変深い感銘を受けました。


「神様は果たして存在されるのか?存在されるのならどのように存在されるのか?」という問題は重要なものですが、事実、目に見えないので、百パーセント確信を持って伝えることが難しいものです。しかしお父様はあまりにも明確に絶対的に神様の実在を伝えられました。そういうお父様の姿を見ながら、私自身の信仰を振り返って見ざるをえませんでした。私は、「いつ神様について真正に信じて証したのか?イエス様について全力を尽くして伝えたことがあるのか?私が信じていることを伝えることができるのに、絶対的に信じることができないので、伝えるときにも相手の心に絶対的に伝えることができなかったな。私の信仰は本当に不足だった。こんな信仰で多くの生命を生かすことができるのか?」ということを感じました。そしてお父様が話される御言葉は頭で研究されて絞り出された御言葉ではなく、全世界人類を救うための神様の御旨であるということを自然に知ることができました。


そういう感動を受けながら心の片隅では、疑心と葛藤もありました。「この世の終わりには偽キリストが多く現れるというが、もしかして偽キリストではないのか?」という心配もしたのです。そのとき、神学校では、お父様が北韓でどんなことをされていたのか、そのうわさが立っていました。一言で言えばお父様は異端だということでした。そのうわさを考えながら、「偽キリストがここにいる、あそこにいると言っても行ってはならず追ってもいけないというが、これはつまらないことではないのか」という心配になりもしました。


そのときには、お父様が再臨主であるということは夢にも考えることができませんでした。ただ、「御言葉を条理よく話され、多くの体験を持っておられ、霊的に明るい方であるな」と思い、祈祷をたくさんされる神霊の高い方であるということだけ思っていました。


先生(=師)として侍る


二回目の御言葉を聴いた次の日の(1952年)5月16日金曜日、再びお父様を訪ねました。夕食を早く済ませて登って行ったら、お父様はその日はさらに喜んで迎えて下さいました。二日間御言葉を聴いた土台の上の三日目、私は完全に御言葉に酔って聴きました。
「ああ、これならできる。今、この時間にもこの世の人たちは戦い殺しあう暗闇の中でわめいているが、私は真の真理に出会ったから、これでできる」という考えになりました。私は新しい御言葉に酔い、精神が体の中にあるのか体の外にあるのかわからないほど、時間が過ぎることもわかりませんでした。御言葉を全部聴いた後にお父様に申し上げました。


「一つ、お願いがあります」
「何ですか?」
「これから先生として侍りたいので、先生(ソンセン)ニムとお呼びしてもいいでしょうか?」


みすぼらしい服を着た青年を私はそのときから、先生(ソンセン)ニムとお呼びすることにしました。横で肖像画を描いていた青年とおばさんも喜びの表情でした。その青年が金元弼(キムウォンピル)先生であり、おばさんは玉世賢(オク・セヒョン)オモニでした。そのときには、玉世賢(オ・クセヒョン)オモニや金元弼(キム・ウォンピル)先生などお父様に侍る人たちが、「アボニム(お父様)」と呼ばずに、「先生(ソンセン)ニム」とお呼びして侍っていました。


  中央前:金元弼先生


この日のお話がほとんど終わる頃、時計を見たら夜明け4時を少し越えていました。4時30分には早朝祈祷を私が導かないといけないのに、4時15分ごろにになってやっとお話が終わったので、準備がまったくできませんでした。教会に下りて行って早朝祈祷会を導こうとしても準備が全然できていないので、心が苦しかったのでした。しかし、早朝祈祷をする途中に信徒たちの中で悔い改めをして頭をかきむしりもし、胸を叩き、礼拝堂の床を叩きながら痛哭をする者たちもいました。平素に祈祷会を導く準備をたくさんしても、こんなことがなかったので、おかしいなと思いました。「今まで三日の間聴いた内容を中心として話を伝えたので、こんな役事が起こったんだな」と考えました。


その日は土曜日でした。家庭訪問をするのですが、お父様についての思いが頭から離れませんでした。どうしても行って会いたくなり、我慢できなくなりました。それで一緒に家庭訪問をしていた執事(チプサ)に話しました。


「執事(チプサ)ニム。あのボンネッコルにある青年がいるのですが、イエスをよく信じているようです。しかし、教会に通っていません。私が教会に出て来るよう勧めなければなりません」
「どんな青年なの?」
「どんな青年なのかといえば、見たところ良く見える人ですが、悪いことに教会に通っていないのです」
「じゃあ、行って来なさい」


そう話を終えて、その執事を長老の家に待たせておいて、お父様のおられるところに登って行きました。ちょうどそのとき、お父様は家の外に出ておられ、私を喜んで迎えて下さりながら、中に入って御言葉を聴きましょうと言われました。
「今、家庭訪問をしているので、帰らなければなりません」
「20分でも御言葉を聴いてから行けばいいのですが」と言いながら御言葉を話されました。そして私に、「今まで御言葉をたくさん聞きましたが、この御言葉は神様からきたものなのか、人間の頭から絞り出したのかを知りたくはないですか?その出所を突き止めたくないですか?」と聞かれました。
「はい。知りたいです。どうすれば知ることができますか?」
「それなら祈祷をしてみなさい。神様は必ず教えて下さるでしょう」
お父様の答えを聞いて、私の心はうれしかったです。


もしその時、お父様が、「この御言葉は神様から来た御言葉であるので、この御言葉を信じなければ亡んで地獄に行きます。」としたなら、私はそのまま何の未練もなく去っていたでしょう。しかし、お父様は「直接祈祷してみなさい。」と言われたので、なぜか嬉しかったです。
「はい。祈祷してみます」
「自分の子がパンを求めるのに、石を与える父母があろうか。魚を求めるのに、へびを与える父母があろうか。神様も子女が懇切に祈祷すれば必ず応答して下さるのです」と言われたお父様の言葉に力がありました。


おし(唖)になる


次の日は主日(=日曜日)でした。それで教会で礼拝を捧げ信者たちと話をしました。次の日の月曜日に早朝からその言葉についての祈祷を始めました。祈祷をしている途中に神学校で学んだ理論が頭をずっとかすめました。こんなにりっぱな理論が多いのに、その理論を実践した人が少ないのがもどかしい。この世に多くの理論が実践に移されずにそのままになっている。お父様が話されたことも一つの理論として終わり、実践されるようでもない。そう考えると、頭が痛くなり、胸が重苦しくなりました。天のお父様と呼んでも舌が回らなくなり口も開かなくなり、祈祷ができないおしになりました。


私は心の中で祈祷しました。「主よ。私がどんな罪を犯したので父と私の間にこのような壁が生じたのですか?この壁のゆえに胸が重苦しく息が詰まるようですから、神様がこの壁を壊して下さい」と祈祷を捧げました。


そして私は悟りました。体が火の中に投げ入れられることだけが地獄ではなく、私が神様から離れるとき、すなわち神様が私の中におられないときが地獄であると悟ったのです。「私が神様の愛の主管圏にいることができず、神様の主管を受けることができない非原理圏が地獄である」ということです。そのとき私は地獄が何であるかを感じました。言葉も話せず、息もできず、心があせりました。


父よ。私にあるすべてをみんな持って行ってもいいです。しかし、父と通じることのできる祈祷の道だけは持っていかないで下さい。神様と私の間に心情的な内的な因縁だけは切らないで下さい」という思いでした。


言葉が話せないので余りにもつらかったです。そのように言葉が話せないおしになり、三日が過ぎました。その三日がどれほど飽き飽きし重苦しく苦しい時間だったか、三年の歳月が過ぎた気分でした。


四日目になった日に教会に出ました。教会で祈祷を捧げたのですが、「人の話も信じることができず、受け入れないおまえが、神様の御言葉をどれほど信じて受け入れられるのか?」という心の声が聞こえました。


「神を愛していると言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない」と言われたヨハネの第一の手紙4章20節の言葉が思い出され悔い改めの祈祷を始めました。


「私は、人の言葉も信じることができず、受け入れることができない者になりました。私の不信の罪を許して下さい」と悔い改めの祈祷を捧げました。すると頭の痛みと胸の重苦しさが解かれ、心と体がすっきりしました。
そして口が開かれ、「父、神様、主よ!」と呼ぶことができるようになりました。


それで朝の食事をする前に喜びの思いでお父様のところへ走って行きました。三日の間、行かなかったので、お父様は、「なぜ三日も来なかったの」と言われました。私は三日の間、地獄に行って来ました。先生に出会う前にはこんなことはなかったのに、先生に会ってから後に頭が痛くなり、胸が重苦しくなり、祈祷ができず三日間おしになりました。その間、多くの時間を奪われ、神霊的にも多くの傷を受けたので、損害を受けたものを賠償して下さらなければなりません」と言いました。


そしたらお父様は、「祈祷をするとき、疑心の思いはなかったの?」と聞かれました。
「私も知らないうちに、疑心が生じました」
「おしになったのは疑心を抱いたからだね」


お父様は私にもっと話をして下さろうとされたのですが、私が賠償をしてもらわなければという言葉を言ったので相対基準が合いませんでした。お父様は結局、家の外に出てしまわれました。


そのとき、玉世賢(オクセヒョン)オモニが私に話しかけてきました。
「あの方は立派な方です。神が愛する方です」
「私に良い話をしていただけると思ったのに、なぜ先生は自慢だけをするのですか?
おばさんは先生にいつどのように出会ったのですか」
「私は啓示を受けて入って来ました」
「啓示が何ですか?」
「神様の声を聞きました」
「本当に聞きましたか?私は26年間、イエス様を信じてきましたが、神様の声を一度も聞いたことがありません。私も是非聞いてみたいのですがどうすればよいですか?」
「私心を捨てて真心から祈祷すればいいです。実にあの方は神が大変愛される方、再臨イエスです」
「あの方が再臨主ですか?再臨主は雲に乗って来られると言われているのですが、雲にも乗って来られないのに、再臨主と言われるのですか?」
「私は神様から啓示を受けました。神様が愛する方であり、世界的に大きく働く方との啓示を受けて出会った先生です」


そのように玉世賢オモニは伝道された時を回想しながら話を聞かせてくれました。
玉世賢オモニは長老教会の篤実(とくじつ)な長老の夫人として恵みをたくさん受けた勧士(クォンサ)ニムでした。


「ある日、家で祈りを捧げていたら、天からの声が大きく聞こえてきました。『萬寿臺(マンスデ)の向かい側で若い青年を訪ねなさい』という啓示を受けました。


※萬寿臺(만수대/マンスデ):朝鮮民主主義人民共和国平壌市中区域の地名。大同江 西岸の丘陵地である


私も最初は聞き間違えたと思って探しませんでした。すると、目の病気になりました。病院にも行ってみて薬局で目薬を買ってさしてみましたが治りませんでした。それで、神様に祈ったところ、『なぜ訪ねよと言ったころに行かなかったのか』と叱る声が聞こえてきました。結局、行けというところに行ったら、先生がおられました。先生にお会いするやいなや目の病気が治りました。それ以来、先生を手厚く侍ることなりました。その時の先生は、平壌(ピョンヤン)で小さな部屋を持って礼拝をささげておられましたが、平壌市内の信仰心篤い勧士、執事、平信徒たちが啓示を受けて多く集まって来ました。神様から直接の声と啓示を受けた者が多かったです。


すると、平壌市内の牧師たちが、長老たちと会議を開いて、そのまま放って置いてはいけないと決議したのです。最初は教会でも問題となり、次には長老会議で問題になって総会で問題になって既成教会の信徒たちが警察に投書をしたのですが、80通以上もなったということです。社会秩序を乱し信徒を奪っていくと警察に投書をして、結局先生が平壌の獄中に収監されることになりました。私は、雑穀の粉と季節が変わるごとに服を作って、毎月一回ずつ面会に行きました。」


そう言いながら涙を流しました。賠償してもらわないという私の心の中に玉(オク)勧士(ウォンサ)ニムの涙が落ちてくるようで、「私が間違っていた」と思いました。


「夫が長老教会の長老だったので、面会に行くのがなかなか難しくなかったからでしょうか。月に一度、平壌(ピョンヤン)から興南(フンナム)まで通って来るのでなかなか行けませんでした。ある日、汽車の中で祈りました。「神様、私は文先生に面会に行くことを来月から止めなければなりません」と言ったら、白い服を着た老人が現れました。


「なぜ面会に行かないようにしようと思うのか?今は影の中に埋もれて臭い獄中にいるが、その先生は普通の方ではない。今後、全世界から無数の人々が山や海のように集まる時が来る。だから、どんなに難しくて大変でも続けなさい」と言うことでした。それ以後、続けて面会に通いました。」


その話を聞いて私は感動を受けた一方、驚きました。お父様に世界の人々が訪ねて来て、学び、頭を下げる時が来るという言葉に、私も祈ってみなければならないと思いました。しかし、私は私心を捨ててどんなに本心から祈ってもその声は聞こえてきませんでした。



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