シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録・第一章 その4 神の声

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第一章 成長と入教 
  神の声

そんなある日、教会に行って心からの祈りを捧げました。「生きておられる人類の親であられる父なる神様は、この重要な問題を解決しなければなりません。声であれ幻想であれ現れて教えて下さりお聞かせください」と祈りました。すると、本当に声が聞こえてきました。


その声は、ピリピ書3章20節の御言葉でした。
「私たちの国籍は天にある。そこから救世主イエス・キリストの来られるのを、
私たちは待ち望んでいる」という声が三度も聞こえてきました。
それで立って周囲と天井を見てみましたが、誰もいませんでした。その声を出せる人やその声の人がいるのかを見てみましたが、空っぽの教会堂に私一人だけでした。
まさに神様の生きた声を聞いたのです。


それで、再びお父様を訪ねました。
「先生、祈りの中で声が聞こえてきました」
「どんな声なの?」と言われたので、その内容を申し上げました。
すると、「伝道師さん、そんなことをしたら狂ってしまうね」と言って笑われました。
「私がイエス様をよく信じ正しく信じたいだけなのに狂ったらどうなりますか?」
「狂っても神様の為に、善の為に狂うならば良いことだから安心しなさい」と言って下さいました。


しかし、その声を聞いてからが問題でした。この道を行くべきか行かないべきかということが問題でした。その時の環境を見ると到底信じることができませんでした。部屋は畳二畳の広さにもならないうえ、雨漏りする土窟のようなところで礼拝を行い、礼拝人数も二、三人だけなので信じることが難しかったのです。


御言葉は途方もなく高い内容であって聞くとうなづくことができるのですが、少し経つと疑問が生じました。「このように変転する心なので、朝と夕で顔色を変えながら、神様が創って下さった本然の顔を一度も持つことのないまま残る人生の道を疑心の思いで生きていくのか?」と私の心は苦しくて辛かったのです。


「私がなぜ人と違った方法でイエスを信じようとするか?長老派教会に通いながら、イエスを信じてもいくらでも救いを受けることができるはずなのに...」という個人的な考えが先んじて悩むようになりました。そして、他の教会は礼拝を終えた後に信者が山のように溢れ出てくるが、ここでは二、三人だけなので、とても自分自身の信仰を保つことができないようでした。


同時に、長老派教会の信仰を守り続けていくことも難しく感じました。嘘偽りを真のことだと信じ、辛いことを楽しいことと思い、愚かな自分を賢いと思って嘘と虚飾で自分を偽装する愚かな人生を生きて来たようで、辛くなりました。


深刻な内的の葛藤の中にも、お父様に何か引力があるのでしょうか、毎日のように御言葉を聞くために訪ねて行きました。まるで磁石に引きつけられる鉄粉のようでした。


そのときは、あまりにも難しい時代でしたが、私は何でもして差し上げたくて、数日に一回づつキムチを作って差し上げることもしました。お父様は、私が漬けるキムチは美味しいと記憶しておられますが、おそらくその頃には、あまりにも食べるものが少なかったときだったので、そのように覚えておられるようです。なぜなら、その頃には私も余裕がない状況なので、調味料もまともに使うこともできずにキムチを漬けて差し上げたことも多かったからです。それでもお父様は、美味しいと言われるので、キムチやにしんなど、いくつかのおかずを作って差し上げました。


毎日お父様のところに行くので、凡川(ボムチョン)教会でも知られるようになり、神学校でも知られました。教会では、私がある若い青年を追いかけて通っていると色眼鏡で私を見るようになり、1952年8月から本格的に問題になりました。


選択の岐路

その後、私は続けて試練に遭いました。お父様は私に、他の人も話を聞くことができるように連れて来るように言われました。それで私はいつも尊敬していた伝道師、一緒に勉強していた神学生、教会で信仰心が深い執事など、たくさんの人をお父様に連れてきました。


しかし、奇妙なことは、その人たちは御言葉を聞いた後、「姜先生がおかしいです。これがなぜ真理ですか?聖書にもない話だけがよく作られてありますね!」と皆が不信しました。一人も肯定的な反応を見せた人がいなかったのです。なので私は、「本当に私が間違っているのか」と心配し始めました。御言葉を聞くときは、うなづき、力が出て良いと思っても、御言葉を聞き終わって家に行くときは、目の前が真っ暗になりました。


私が連れてきた人たちの中で信徒が数百人を超える教会の伝道師もいたし、神学校で秀才という評価を受けている学生もいました。凡川(ボムチョン)教会で信仰心が深いことで有名な人々もたくさん連れてきました。しかし、彼らの中で誰も、お父様の御言葉に共鳴する人がいなかったのです。みんな私がおかしいと言うので葛藤を感じざるを得ませんでした。「他の人たちはみんな違うと言うのに、私一人だけが正しいと言ってもいいのだろうか?私ももうやめるべきだ」という思いになりました。


しかし、そのような考えをすれば、お父様の私に対する目つきが変わりました。私が疑えば、お父様が私に距離を置いて対されました。そして不思議なことに、私が疑うその部分についての御言葉を話し始められました。まるで私の心の中を覗いておられるかのように私の思いを知られ話しをされました。


私は一度もお父様に私の心の葛藤についてお話ししたことがなかったのです。それでも疑がったりとか不信をする思いが生じたら、お父様はまるで心の目で見ているように私の思いを知っておられました。「神様のように私の心を見抜いておられる方だ」ということをよく感じました。


そんなある日、御言葉を聞いた後、家に帰りながら否定的な考えが湧きました。「みんな違うと言うのに、私だけが正しいと言うのは何かが間違っている。私よりも、イエス様を長く信じてきた人々、神学を長く勉強した人もみんな違うと言うのに、私が何で一人で正しいと言うのか?私一人が正しいと言って何か変わるものがあるのか?教会で悪口だけ言われて、神学校では、狂ったという言葉まで聞いた。もう本当にやめなければならない」という決心が立ちました。するとその後、汚れた水が流れる下水道に足がはまってしまいました。汚れた水に足がはまると、「私が疑がってやめようと決心したから罰を受けるんだなあ」と思いました。


その時はそんなことの連続でした。葛藤が最高潮に達して、到底これではだめだと決心すると、そのような予期せぬ事故が続いて起こりました。私は自分なりに、お父様から聴いた御言葉を分析もしてみて、御言葉どおりに成されるのだろうかと考えもしてみました。周りのみんなが私に気が狂った、おかしくなったと言ったので、私の心の中の葛藤はよりひどくなりました。


ある日の夜、夢を見ることもありました。鬼のような真っ黒なものが現れ、私を縛って暗い地獄のような場所に連れて行く夢でした。そんな夢を見た日には、私は鬼にだまされて間違った考えをしているのではないかと思ったりしました。
お父様に出会ってから夢で多くのことを見たりもしました。その内容を忘れないようにと、夢から覚めたときにすぐにメモをしようと枕元にノートと筆記用具を置いて、寝たりもしました。


そういう時が過ぎて8月になりました。もうこれ以上はだめだという思いになりました。「これで本当に私がやめなければならない。このように私は迫害を受け、人として扱われもしないので、これ以上は続けられない。周りの人が皆、私を浮気女、放蕩女として見るからこれではだめだ」という考えになったのです。そのような心を持ってお父様に会いに坂を登って行ったのでした。「今日は絶対に部屋に入らず、外から挨拶だけして帰らなければ!」と、固く心に決めました。部屋の中に入って話を聞くと、また御言葉に吸い込まれていくかも知れないから外で挨拶だけしようと思ったのです。


そう思って到着すると、お父様が家の外におられました。それで私はお父様に挨拶をして、「私は今からここで御言葉を聞くことをやめます。以前に信じていたイエス、長老教会で信じていたイエスを信じます」と言おうとしました。


そういう挨拶をしようとお父様を見たところ、昨日まで仁者(じんしゃ=情け深い人)のように見えていたお父様の顔が怒っている虎の顔のように見えました。いざお父様の顔を見ると自信が無くなって、「家に帰ろうか、どうしようか?」という思いがしました。そんな思いを一人でしているとお父様は何も言われず、部屋に入って行かれました。


挨拶も何の言葉も言われず、部屋に入ってしまわれたので、私はまた葛藤が起こりました。それでもどうせここまで来たので、別れの挨拶でもして帰りたくて、私もついて部屋に入りました。それでもお父様は何の言葉も話されませんでした。


無言で30秒程度経ってから、
「今日、ここまで登って来ながらどんな考えをしたのか」と尋ねられました。
「考えたことは何もありません」と言ったら、
「考えたことがあるんだけどね」と言われるのでした。
「覚えていることは特にありません」と言いました。
そう言うと、「若い人がなぜさっき思ったことを覚えていることができないの?今ここに登って来ながら、松の木の曲がり角を曲がりながら、次からはこの道を行かないと思ったんじゃないの?今日ここに来たのは、別れのあいさつをしに来たんじゃないの?」と言われました。


その言葉を聞いて、私の顔がにんじんのように真っ赤になりました。なぜなら、良心の呵責を感じたからです。私が思っていたことをその如くお話しされたので、どうすることもできなく頭を垂れていました。


そんな私にお父様は、「私は実際に力がある者であり、能力のある者です。商売をしても上手にしてお金を稼ぐことができ、また、就職しても、私は今よりいい生活ができる力があります。これもできなくて、波止場町で労働をしても、誰よりもいい暮らしができます。しかし、なぜこの若者が、夏でも冬服を着て畳二枚の広さにもならない部屋の隅に引きこもって座っているのだろうか?その理由は、神を愛することに狂った者だからです。神の御旨を成して差し上げるために、私は明らかに狂った者です」と言われました。



その言葉を聞いて、私の心は驚きました。「私は神様を愛することにまだ狂ってみたことはなかったし、神様の御旨を成して差し上げることに狂ってみたことがなかったが、この方はやはりたいした方だ。神様を愛するために狂った方、神の御旨を成して差し上げることに狂った方に従って、私もちょっと狂ってみなければならない」と心の中で思いました。


その後、お父様が私に、「信じられないと言って、荷物を包んで出て行くことはできます。しかし、いくらもしないうちに戻ってくるはずなのに、なぜ無駄な苦労をしようとするのですか」と言われました。その言葉を聞きながら、「これが真(まこと)であるな」と思いました。


しかし、人の心は、「朝変夕改(ちょうへんゆうかい)」と言われます。朝と夜で心が変わるので、自分の心を自分でどうすることもできませんでした。そのようなことが一度や二度ではありませんでした。そんな日には、多くの考えが湧きました。「五分後に何が起こるかもわからないで生きるのが人生だ。明日で終わりになるかもしれない命にもかかわらず、千年万年の設計を立てて、自分の為に足がすり減るほどあえぎながら走り回っても、いざ自分の大切な魂の為には一歩も動くことのない悲しい道、不幸な道を歩いて来なかったか」とじっくり考えてみました。嘘と虚飾で自分自身を偽装する悲しい人生の道を行っているのではないかを深刻に考えるようになりました。

疑心と役事の反復

ある日は、私が学んだ神学校の理論で、お父様がそれまでお話しされた原理と対比し討論するために訪ねました。

「先生、イエス様を信じるにおいて、どうして数字が必要ですか?40日、40年、400年、4000年と、4数を持って聖書を解釈されましたが、私は神様の摂理がそうなされたとは信じません」と言いました。

そしたら急に頭が痛く、胸が苦しくなりました。そして、口からは血まであふれ出ました。そんなことを自分の目で見ながらも信じられない不思議な出来事でした。そのとき、お父様が私のあごに手をあてられたのですが、嘘のように血が止まり、頭がすっきりしてきました。「痛いところをこんなに治して下さるので、私はこの道を行かなければならないのだが…」という思いになりました。

また、ある日、お父様を訪ねました。その日に限ってお父様の身なりと家があまりにも薄汚く見えました。途方もない御言葉を話されるのですが、みすぼらしい姿を見て、やはり理論であって実際に実現するのは難しいという気がしました。

私の顔をうかがったお父様は、「聖書をどこでもいいので広げて見なさい」と言われました。聖書を広げたところ、マタイ福音書14章でした。お父様は31節を読むように言われました。そこには、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と記録されていました。
お父様は聖書を持って、「これは私の言葉ではなく、神様の言葉です。神が、信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのかと言われても疑いますか?」と言われ、叱られました。

そう言われながら、「これから、この原理でキリスト教が統一される日が来るでしょう」と言われました。その言葉を聞いて、「キリスト教が統一されるには、各宗派の代表が集まって会議もして、その方法を模索しなければならないのに、ボンネッコルでわずか三人が統一を成功させることができるでしょうか?」という言葉が自然に出ました。

お父様は私の言葉を聞かれて笑われながら、「今は難しく見えるが間もなくそうなります。キリスト教だけでなく、宗教も統一され、世界も統一され、天宙も統一されるでしょう」と言われました。「ところで、天宙とは何ですか?」と尋ねると、「天宙は天と地を言う」と答えられました。

ある日は、光復洞(クァンボクドン)国際市場(クッチェシジャン・こくさいいちば)の前を歩いていると喧嘩している男と女を見ました。二人はいろいろな悪口を浴びせ、血だらけになりながら喧嘩していました。私は心の中で不平を言いました。「あんなに喧嘩している人が多いのに、いつ地上天国が成されるのだろうか?天国が成されるという話は到底信じがたい」と言うと、いくら歩こうとしても、両足が地面から離れませんでした。足がしびれたように痛くなって一歩も踏み出すことができませんでした。


結局、神様に、「神様、どうして私の心のままに考えることもできなくして、心のままに歩くこともできなくされたのですか?」と言いながら祈りました。
すると、道で声が聞こえてきました。私の心と耳に神様の声が聞こえてきました。
お前に何度も現れて教えてやったのに、お前はそれでも不信し疑うのか?お前にはするべきことが多い。わめく人々の声が聞こえないのか?彼らの命を父の愛の中に導くべき伝道師であるということだ!」と言われる神様の声があまりにも鮮明に私の行くべき道を教えて下さいました。




結局、その場で、「父の御心のままに、お言葉の通りいたします」と誓い悔い改めたところ、痛かった足が地面から離れて歩くことができるようになりました。私が経験したことを嘘だと思う人もいるかもしれませんが、直接経験した私には今でも忘れられないことです。その後も、真の師は冷たく蹴飛ばしておいて私を狙うサタンには妙に笑いながら、その味方になろうとしていた不信の心を責めたものです。

疑問や啓示が繰り返されていたある日、私は談判祈祷をしました。その内容は、「私が行くべき道がどの道であり、神様の願われる道はどのようなものか?」ということでした。ある日、神様は祈りの答えを下さいました。
「私が六千年間摂理し、役事してきた道がすなわちこの道である」と教えて下さいました。それ以後神様は、私が勝手に考え暮らすことができないようにされました。ひたすら神様とだけ因縁を結んで生きることができるように懲戒し、導いて下さいました。

私が最後に談判祈祷をした時も、答えの恩賜(おんし)を下さいました。その時、私は断食をしながら談判祈祷をしました。「神様!私の生命は自分が貴いということを感じて知っています。どこの誰が地獄に行く事を喜び、どこの誰が自分が滅びる道を選択しますか?ですから、このように祈祷を捧げますので、本当にこの道が正しい道かどうか教えてください。私に正しく教えてください。そうすれば、私はその通りに従っていきます」と祈祷しました。

すると神様は、「文鮮明先生は、私が今まで地に対して苦労し、地で救いの摂理を役事してきたすべて全体を継承してくれた者である。彼はそのように貴く大きな役事をしている。二千年前、イエスが地で成し遂げなけれならなかった使命、私の六千年の間に導いてきた役事をしている。そのようなすべての使命を継承した者がすなわち文鮮明先生である」と教えてくれました

その答えの恩賜(おんし)のゆえに、私の行く道ははっきりと定まりました。そしてすべての生活の中心にお父様を置きました。この道を行って死のうと決心したのです。この方がまさに私が慕って待っていたメシア、救世主、再臨主であると信じ固く決意しました。

ある日、お父様が私に、「明日は誰々に会うはずだから、彼を伝道をしてみなさい」と言われました。次の日の早朝祈祷を終え、ある一人の勧士(クォンサ)を私たちの家に連れてきて話をしました。

「勧士(クォンサ)ニム、イエス様を信じる目的は何ですか?主に会って、救いを得ることではないでしょうか?その主がいつ、どのように、どの地に来られるのか、私たちは一緒にお祈りしてみましょう」と言いました。

後に夜明けごとに水垢離(みずごり)をして、その勧士(クォンサ)と祈祷の時間を持ちました。数日後、その勧士が幻想を見ました。最初は明かりのついた電球三つが見えて、その次には、ムクゲの花が三輪見えて、イエス様の顔がその上に出るという幻想でした。

その勧士は、幻想で見たものが何なのかについて再び祈祷をしました。その結果、「電球は明るい光を指し、ムクゲは韓国を意味し、イエス様の顔は再び来られる主を意味する」との答えが返ってきました。

その言葉を聞いて私は、「一度祈っただけですべて解決されたとみることができないので、もう一度祈祷してみてください」と言いました。

やはり同じ題目で祈祷をささげたところ、「伝道師様、今回の祈祷は失敗しました。何の関係もないことを示してくださったんです」と勧士が言いました。今回は変な山が一つ見えて、その次には背がすらりとした青年一人が見えたというのです。

その話を聞いて私は、その勧士を連れてお父様がおられるところに行ってみました。そこに行く途中で、その勧士が私に緊迫した声で、「伝道師様、変です」と言いました。
「何が変なのですか?」
「あそこに見えるあの山は、今日祈祷したときに見た山です」
お父様がいらっしゃる家の戸の前に着きました。
「本当におかしいです。この家は、私が祈祷したとき見た家と同じですよ」

このような話をしているときにお父様が戸を開けて出て来られました。お父様にお目にかかったところ、その勧士は幻想の中で見た方とまったく同じだと言いながら、とても喜んでお父様に丁寧にあいさつを捧げました。

その勧士が家に帰った後、お父様は、「勧士に幻想を見せてあげたのは、姜伝道師があまりにも信じることができないので、勧士の証しを通して信じるようにしたのです」と言われたのでした。

ある日、神学校の創設者である韓尙東(ハンサンドン)牧師が西面(ソミョン)で復興会をするという知らせをお父様に申し上げました。
お父様は、「それでは、姜伝道師が行って会ってみなさい!」と言われました。その人は、神学博士であり、神社参拝を拒否したという理由で七年も獄中生活した牧師でした。
私が平素尊敬していた人だったので、霊界で協助してくれれば問題はないだろうという気持ちを持って訪ねました。復興会が終わった後、その牧師に、「牧師様、最近、私がとても話が上手な先生に会いました。聖書66巻の疑問点を確実に解いてくれる方です。不思議なことに疑うと頭が痛く、胸が苦しく、おしになって、足が地面にくっついてしまったことがあります。ですので牧師様も行かれて、調べて見て下されれば良いのですが」と私の信仰体験を話しました。

私の話を聞いたその牧師は、顔色がすぐに変わりました。「長老教会のイエス様を信じて救われることが明らかなのに、なぜ他のところへ行きますか?すぐに関係を切って、行かないように」ということでした。結局、肯定的な答えを聞くことができずに帰ってきました。帰ってきてお父様に、「霊界で協力してくれることを信じて行ったのですが、通じませんでした」と報告を差し上げました。その後、私の心情は地獄でした。


私の報告を聞いたお父様は、「韓牧師が誰であろうと、彼も神の息子であるから、いつかわかる時が来ます」と言われ、賛美歌を歌おうと言われました。

大山を超え険しい谷に行っても
光の中に歩いていくと
主はいつも守ってくださると約束した言葉は変わらない。
天の栄光、天の栄光、私の心の中に満ちあふれ
ハレルヤを力強く歌って、永遠に主を賛美せん。
真っ暗な夜に歩くことがあっても
主は私の道になられ
私に明るい光になられるので
道に迷う心配がない。


お父様と玉世賢(オクセヒョン)オモニ、そして私の三人が賛美歌を歌って歌いながら涙の海になりました。そして、お父様が、「父なる神様、なぜ他の人々が違うという道を行かなければならないのですか?父と約束したその御旨を成して差し上げるためです。どんなに大変で難しいことがあるとしても、私は必ず神の御旨を成して差し上げます」という内容の祈祷をされました。多くの人が反対しますが、神の御旨であるから私は出発したし、この道を行くべできであり、必ず勝利して、神様を喜ばして差し上げようと何度も誓いました。

いつかお父様が、「姜賢實は、霊界で伝道されて来たのである」と言われましたが、おそらく当時、私が疑って心霊的に問題があるたびごとに、事件が生じて疑わないようにさせた役事が多かったのでそのように言われたようです。


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