シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録・第一章 その8 信仰者の十二峠

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第一章 成長と入教 
  信仰者の十二峠


▲水晶山 アンチャンマウル 統一教聖地


6月のある日でした。私は10人余りの食口たちが脱いでおいた洗濯物を持って水晶洞(スジョンドン)の裏山に登りました。干ばつが終わる頃だったので、山から出てくる水はちょろちょろと出ていました。大きな洗濯おけに鍋で水を汲みあげて洗濯をしていると長い時間がかかりました。洗濯をすべて終わって下りてくる時には、暗くなり始めていました。


ところが家に降りて来てみると、多くの食口たちがいるのにご飯を炊かないで、私が来ることだけを待っていました。その時に私は、この世で言うところのお手伝いさんのように働きました。急いで洗濯おけを置いて、薪を斧で割ってご飯を炊きました。


心は急いでいるのに、薪が濡れていて火がよく付きません。濡れた薪なので煙が出て、涙がとめどなく出ました。最終的には火が強くないのでご飯が生煮えになりました。食口たちがご飯を食べながら、「なぜご飯がこんなに水っぽいのか?米に水の味がする。おかずも美味しくないし」と一言ずつ小言を言いました。ある食口は、「ほうれん草を和える時には手でよく揉んで和えれば美味しいのに、さじでかき混ぜたのか全然美味しくない」と料理をけなしました。


そんな言葉を聞くと、私は本当に我慢できませんでした。「私がイエス様をよく信じようとここに入ってきたのに、お手伝いの役割をするのも大変なのに、横からみんな私を女中扱いして、けなすことまでするんですね。私を天国の一番いいてっぺんに座らせてくれるとしても私はもう行きません。こんなことは辞めなければならない」と言う思いになりました。


それでお父様に食膳を持って行き、「私はイエスを正しく信じ、良く信じるためにここに来ました。そして、この苦労をしながらも、神様の御旨を成して差し上げる同役者(どうやくしゃ=御旨を共にする人)になろうとしました。すべてが大変難しいですが耐えて忍びました。しかし、もう本当にこれ以上できません。一緒にこの道を行くと言いながらも、周りの多くの食口たちが私を食口として見ずに女中扱いをします。私の心を針でチクチク刺す以上に痛い思いをさせるので、私はもうこの道を行けません。今から荷物を包んで私の親が信じてきた長老派教会に戻ります」と言いました。


するとお父様は、「荷物を包んで出て行くなら包んで出て行きなさい。姜賢實がいたとして御旨が成されるわけでもなく、姜賢實がいないと御旨が成されないことでもないので、行くなら行きなさい」と言われました。私はその時、とても興奮した状態だったので、「後で私がどうなろうと、これ以上は到底私は耐えられません。先生のお言葉通り荷物をまとめます」と言いました。


すると、突然お父様がにっこり笑って、「神様は本当に姜賢實を愛しておられるんだなあ」と言われました。「周りのすべての人たちが賢實をいじめるのは自分の心ではなく、神様がさせてそのように心を痛めつけているのだ」とおっしゃいました。また、「賢實が先生に会って信じて仕えてきたその信仰の結実を成すためには、このような試験を通過しなければならない」と言われました。


神様がとても愛するのでこのような貴い贈り物を下さったのであれば、それを喜び感謝して受け取るべきで、我慢できずに不平を言うとか不満を持ったり心の中で苦しげに戦うことになれば、次にはそれよりももっと辛く難しいものが来る。誰が何をどのようにしたとしても、そのようなことがあるときは無条件にありがたく感謝する心で、神がさせたことだと理解し従うようにしなさい。そうすれば、信仰の道を行くのにすべてのことが教訓の材料となるんだよ」と言われ、「荷物をまとめて出て行くのなら出て行きなさい。いつかは包んで持って行ったその荷物をまた包んでここを訪ねて来るだろう」と言われながら、慰労して下さいました。


その日の夕方に食事を終えて、お父様はある食口にあめ玉を買って来るようにさせました。あめ一袋を前において、部屋で丸くなって座った食口一人一人に歌を歌わせました。歌を歌った後、あめを分けて下さいました。そして最後に私に祈祷しなさいと言われました。その時私は心の中で積もっていたすべてのものをみな解いて祈祷をしました。


祈りが終わった後、お父様は、「万事に感謝することができなければならない。万事に感謝するということはとても大変なことだ。人はありがたい時に感謝し、いい時に感謝するが、困難な苦境に処したときに感謝する事はとても難しい事であるから、ここにいる君たちは皆、万事に感謝することができる心を持つようにしなさい」と言われました。


私はその時お父様のお話を聞いて、「信仰の正道を求めて歩むには、こんな難しい坂や峠を感謝することで越えなければならないんだ!」と思いました。お父様は、「このような難しい峠は一つ二つではなく、越えたらより大きな峠がまた待っているので、目を覚まして祈り、精誠を込めなければ、鬼も知らないうちにサタンの餌食になってしまう」と言われながら、「アリラン峠は十二峠だというが、この時代に真の信仰者が越えなければならない峠は十二峠よりもっと多いことを知って行かなければならない」とお話して下さいました。


私たちが生きていれば、常に私は善なる立場、正しい立場だと思う時があります。しかし、実際には是非を分けない方がいい場合もあります。私は他の人たちに、その場で是非を分けるよりも三日の間祈祷をしてみろと言います。祈祷をすれば、いつも問題は自分自身にあるということがわかるようになります。私が相手におかしな思いを抱いていたことが問題だということを悟るようになるのです。私が悔い改めをしてみると、相手には何の問題もありません。


その時、お父様は私をたしなめながらも憐れんで、心情的に収めて下さろうとあめ玉の宴(うたげ)を開き、より高い信仰の段階へと導いて下さいました。そのようなお父様の御言葉により、私は悟ったのでした。


水晶洞(スジョンドン)教会時代、私は有名な牧師と霊的な人たちに会いました。お父様は、霊的に啓示を受ける人たちにお父様がしておられることについて伝える事を望んでおられたからです。


当時のお父様は、多くの人々に御言葉を伝えなければならないという考えを非常に切実に持っておられました。それで、霊的に啓示を受ける人がいるという噂を聞くと、私に訪ねてみなさいと言いました。チャ・ヨンウン先生にも会い、金ダルヒャン伝道師にも会いました。金ダルヒャン氏は私とお父様が一緒に訪ねて行って御言葉を伝えた時に非常に喜びました。御言葉をすべて聞いた後、彼はお父様を食事に招待したいと言いました。それでお父様と私は彼の家に行って、非常に良い接待を受け、また、御言葉を伝えることもしました。


韓ミョンドン牧師も訪ねました。お父様も一緒に行かれ、お父様と韓牧師の二人が直接会いました。しかし、お互いに話が合いません。韓ミョンドン牧師は、殉教的信仰生活をし、釜山で最も尊敬される牧師でしたが、保守的で伝統的な神学観に立脚して語りました。なのでお父様が原理を持って話をすることを一つも受け入れることができませんでした。お父様が情熱を尽くして神様の御旨を伝えられたのですが、韓牧師は、お父様を話にもならない異端であるとだけ言いました。


最も記憶に残ることはチャ・ヨンウン氏に会ったことです。チャ・ヨンウン氏は、終戦後、北側から韓国に下りてきた人で、南下するときに神様の直接的な導きを受けたと言いました。昼は雲の柱、夜は火の柱で導きを受けた特別な心霊の持ち主で有名でしたが、当時は釜山の草場洞(チョジャンドン)に来ていました。


お父様はチャ・ヨンウン氏を何回か訪ねて話をされました。そのうちの三回は私も一緒に同行しました。お父様が一度、三時間御言葉を語られたのですが、清山の流水のように心に溜めていた御旨を広げて見せられました。しかしチャ・ヨンウン氏は、大きな反応がありませんでした。私は、「チャ・ヨンウン氏にも神様が役事して下さって、天の御旨が分かるようにして下さい」と心で祈りました。


「どのような意味があるのかはわかりませんが、先生が直接訪ねて行ってお話されるのを見ると、神様が愛しておられる娘であると分かります。この方に直接現れて、神様の真の御旨を示してくださり、教えてやってください」と言いながら熱心に祈りました。


三回も訪ねて御言葉を語られた後、お父様は、「これで私のするべき責任は果たした」と言われ、それ以後は訪ねられませんでした。


お父様は、「神霊的な生活の中で、神様の直接的な導きを受けて生きてきた彼らには重要な責任がある。終わりの日に彼らがするべき責任を果たさない時は、何十年の恩恵の生活をして来たことが、一日で水泡(すいほう)に帰(き)する」と言われて、一人の命を宇宙よりもより貴く思いながら、恩恵を受けた人々を探し求められました。貴い恩恵の中で生活してきた人々が、最後の時に信仰生活の有終の美をよく刈り取れるように、至誠(しせい)を尽くされたのです。そのようにお父様は、何十年、彼らが積んできた功績を神の側で刈り取ってあげるため努力されました。


水晶洞(スジョンドン)のお父様の生活は祈祷と精誠の連続でした。食口たちが訪ねて来ない日は遠くの山を眺められながら、小さくは私たちの国と私たち民族の為に、それからキリスト教界の為に祈祷され、大きくは人類の救いと神様の御旨の為に祈祷されました。神様の染み付いた恨(ハン)を考え、どのようにすれば御旨を成事(せいじ)させることができるのかを考えられ、その重い荷物を一人で耐える為に祈祷された生活の連続でした。


お父様は、神様に向かった精誠では、世界のどの誰にも負けない、世界のどこにも見ることのできない精誠を込められた方です。いつもお父様の主体であり、為に生きる主人は神様であられました。もしかして神様を寂しくさせはしなかったかと心配され、いつも薄氷を歩いて行かれるような慎重な生活をしておられた姿を横で確然と見ることができました。


そして食口たちや新しい人たちが訪ねて来るときは、全力を注いで話されました。お父様は食口たちを御自身の命のように貴く思われ、愛され誇られる情の所有者であられました。



第1部「成長と入教」終わり
第2部へとつづく


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偶然見つけました。水晶山の統一教聖地への道のりの写真です。
All about Hiking : 네이버 블로그

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