シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録 第二章 その1 第一号伝道師

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第二章 ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
● 起きて叫ばん
 ▲ 第一号伝道師


1953年7月17日、お父様が私を呼ばれました。


「開拓に行かなければならない。開拓に出れるよう準備しなさい」
「どこに行けばいいですか?」
「韓国で一番キリスト教が強いところが大邱(テグ)だから、
そこから伝道を出発するのが良いだろう」
「わかりました」
「40日の間、大邱(テグ)に行って伝道をしなさい。必ず40日を満たして来ないといけない。もし39日目の夜に帰って来ることになったら家の中に入れもせず、門の外に追い出すだろう。そして、それからは食口として認めないだろうから、それを知っておきなさい」と言われました。
「わかりました」


お父様があまりにも深刻に言われるので、返事をしながら私の心もそれにあわせて悲壮になりました。決意と覚悟を誓って伝道に行くために、体と心の両方の準備を始めました。


その知らせを聞いて19日に李得三(イ・ドゥクサム)オンニ(お姉さん)がチマチョゴリ(韓服)二着を買ってきました。李得三(イ・ドゥクサム)オンニは信仰心が篤く、お父様に侍るのにいつも最善を尽くしていた方でした。経済的にも豊かだし、人柄が良く、心が広くて、いつも周りの人たちを取りまとめて配慮することが生活化していました。


そのときも、私一人で伝道に行くようになったという知らせを聞いて、あつらえてきましたが、夏に涼しく着ることができる襦袢(じゅばん=肌着)とチマ(韓服のスカート)一着、そして楽にすぐ洗って着ることができるチマチョゴリでした。


しかし、私が李得三(イ・ドゥクサム)オンニと話をしているときに、お父様が二着のうち一着をそっと隠されるのでした。「先生がその服を着るわけでもないのに、なぜ女性の服を隠されるのか」と怪訝(けげん)な思いがしました。不思議な気がしましたが、お父様が何のお言葉もおっしゃられないので、私も何も言いませんでした。


いよいよ20日の朝になりました。お父様に呼ばれて私は部屋に入りました。お父様は、私一人を座らせて祈祷をされました。


「アボジ・ハナニム!あなたの愛する幼い娘が、新しい御言葉と新しい知らせを持ってあの狼たちが蠢(うごめ)くサタン世界である大邱に発ちます。生きておられるアボジ・ハナニムが同行して同役(どうやく)して下さらなければなりません。神様はこの幼い娘の力になって下さり、山城(さんじょう)になって下さり、盾になって下さり、すべての事を主管して下さい。ハナニム!サタン世界で奪われたその恨(ハン)をこの幼い娘をして感じさせて下さらなければなりません。そうして、大邱(テグ)にお父様の御言葉の花を見事に咲かせるようにして下さい。大邱(テグ)に神様の体となる新しい教会を建てることができるようにして下さい」と泣き声混じりの祈祷をして下さいました。お父様の祈祷が私の心情を動かしました。


そして、お父様は、「本当は、若い姜賢實(カン・ヒョンシル)を、サタンたちが蠢(うごめ)く大邱(テグ)の地に送り出したいという思いは一つもない。しかし、送らなければならない私の心情を知ってくれることを願う。私の心はこんなに痛むのに、ましてや神の心情はどれほどより痛いだろうか。行けばつらく難しいことがたくさん起きるだろう。そのたびに、まず何よりもあなたの背後に生きておられる神様が共におられるという、これだけは一時も忘れずにいつでも記憶しながら働いてくれることを願う」と話して下さいました。


お父様は毎日、神の御旨に狂っておられ、神の創造目的を必ず実現させておくという固い意志で燃えておられました。そのような意志は平安な時や迫害が迫ってくる時も変わりがありませんでした。お父様の心情は常に一貫していました。


第一番目に立てられた伝道師として、お父様の心情を忘れずに、神様の御旨を成して差し上げなければならないという決意が、心の中でより固くなりました。


祈祷と御言葉を終えた後、お父様が旅費を下さいました。旅費は釜山から大邱(テグ)まで鈍行汽車の切符を買うと、お米一升を買えるお金にしかなりませんでした。率直に言って旅費が余りにも少なく、心の中で驚きました。そのときが困難な時代ではありましたが、お父様はたまに食口たちに洋服を作って着なさいと、二、三着作って着れるお金を下さるときもありました。ところが、40日の間伝道をして来いと言われながら、往復交通費にもならないお金を下さるので当惑しました。


 ▲当時の釜山駅



それでもいただく旅費を感謝して、白い風呂敷に荷物をまとめて家を出ました。後で知ったことですが、二千年前、イエス様が伝道に出て行った弟子たちに服二着を持って行くなと言われ、お金もわずかしか持たないようにされたので、お父様は私にもそのような道を行くべきだという基準を立てて下さったのでした。


送ってくれる人も誰もおらず、家を出てみると無性に心が憂鬱でした。振り返って見るとお父様が塀の上に手を置いて私を見ておられました。「お元気でいてください」とあいさつを差し上げたのですが、見るとお父様の表情は私に対する期待で満ちていました。お父様は塀の瓦屋根の上に手を置いて立たれ、最初の伝道師を派遣されながら、大邱(テグ)に必ず教会を開拓して帰って来いという表情で私を見られました。お顔の表情がそうであるなら、お父様の心情はどのくらい切実であられるだろうかという思いになりました。


「いくら人がいないからといって、何もない私にこのように大きな期待と願いをかけられるのか?」という思いがすると、お父様が凄絶(せいぜつ)でかわいそうで、神様に対する切実さがそのまま感じられました。それで私も思わず心の中で泣きながら新たな決意をしました。


「必ず戦って勝利いたします。先生が期待され願われる姜賢實(カン・ヒョンシル)になります」と誓いました。


お父様は、私が振り返るたびに手を振って励まして下さいました。少し行って振り返って見るとお父様は手を振られ、また少し行っては振り返って見ると、また手を振られました。私が見えなくなるまで、お父様は、そこに立ってそのように別れのあいさつをされました。

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