シャボン玉のブログ

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左派が左派を弾圧する『帝国の慰安婦』・ 朴裕河教授筆禍事件の二重性[完結]

最後に[参照]で挙がっていた文をアップします。


日本人が言っていることは何度も読んで聞いて知っていたのですが、韓国人自身が言っているのを見て、今更ながら、「本当だったのか」と思う内容、そして韓国人自身も気づいている人は気づいているのだなと思えました。しかし、それを否定している人でさえ、反日問題の慰安婦問題では口をつぐんでしまう、しまわなければならないという、恐ろしいほどの韓国の反日&民族主義なのだなと思えました。


そして、残念ながらこの問題ばかりは、韓国人であれば、家庭連合だろうと三男派、サンクチュアリだろうとほぼ同じ考えの人が多いということです。


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http://www.mediawatch.kr/mobile/article.html?no=251160 より翻訳転載
'左派が左派を弾圧する '
朴裕河(パク・ユハ)教授筆禍(ひっか)事件の二重性

進歩左派の堕落性を如実に見せる​民族主義批判家・朴露子( パク・ノジャ)教授、
 林志弦 (イム・ジヒョン)教授の衝撃的‘変節’

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朴露子教授と林志弦教授の
民族主義と国家主義に関連した偽善的対談


朴露子教授と林志弦教授は「当代批評」など季刊誌を通じて、2千年代序盤から民族主義批判で象徴資本を蓄積してきた代表的な知識人だ。


※象徴資本:経済資本に対して、通常資本とはみなされない文化資本、社会関係資本のこと。


しかし彼らは最近、自分たちよりも真正性をもって民族主義の問題を批判した朴裕河(パク・ユハ)教授に対する社会の激しい弾圧を黙認し、さらに支持した。
このような前歴の朴露子教授と林志弦授の民族主義批判を、今後読者がどのように受け止めるか見守る内容だ。


以下は、2007年に出版された「より小さな民主主義を想像する」(ウンジン知識ハウス刊)に掲載された林志弦教授と朴露子教授の対談内容だ。対談タイトルは「林志弦、朴露子対談:一筋道ではなく、多岐の民主主義 - 国家主義と民族主義を越えて」だ。
民族主義批判をただ「ふり」だけでしてきた知識人の堕落と偽善を見せてくれた重要な記録と判断されるので、一部抜粋して公開する


「帝国の慰安婦」の著者である朴裕河(パク・ユハ)教授は、慰安婦問題がジェンダー、階級、民族の総体的な問題にもかかわらず、民族の問題がジェンダーと階級の問題を隠蔽・抑圧していることを批判している知識人である。


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林志弦私たちは、日本を特別に扱うように教育されてきました。
    つまり、彼らが私たちを植民支配したので、(私たちの心には)すべての日本人
    は罪悪感を持たなければならないという 集団的罪悪感(collective gult)の観念が

    強く根付いています。ただ日本人という理由だけで、罪意識を持たなければなら
    ないという集団的罪悪感の論理が暗にチョ・スンヒ事件にも適用されたと思わ
    れます。​


    ※ チョ・スンヒ - Wikipedia


    チョ・スンヒが加害者だったので、韓国人が集団的罪悪感を感じたのです。
    (しかし)チョ・スンヒ事件とは全く正反対の様相を見せたものが、結局、同じ 
    脈絡で見れるヨーコの話」に対する韓国人とメディアの反応でした。


             ※「ヨーコの話」血筋に対する盲目的な信頼
 
    「ヨーコの話」は、陽子一家が咸鏡北道 羅南から日本に帰還するまでの過程を描
    いたもので、その後、韓国人たちに強姦と殺害、略奪の脅威を経験したという話
    です。
その話が知られた瞬間、韓国人はとても怒りました
 
    
なぜなら、韓国人が被害者として描かれなければならないのに、加害者である日
    本人・ヨーコが被害者として描かれていたからです
。ヨーコが韓国人を加害者に
    描いたことに対する怒りはチョ・スンヒ事件とは正反対であるかのように見えま
    すが、それはやはり集団的罪悪感がその下に敷かれています
。​


朴露子:集団的罪悪感に加え集団的正義(collective righteousness)、つまり、被害者と
    しての集団的な正義感も混ざっています。それは近代的な民族主義の最も重要な
    精神的な資産ではないかと思います。


    私たちはいつも正当だった。私たちはいつも被害者だった。私たちは加害者であ
    るはずがないというような言葉のように集団を区別化させ、統合させて、集団と

    しての名分を付与するのに集団的な定義くらい効果的なのものがありません


    イスラエルを見ればよく確認することができます。イスラエルは異質な要素が溢
    れたユダヤ教信徒たちを国民化させました。すなわち、私たちすべてホロコース
    トの犠牲者という言葉を前面に出して、国民を軍事化したのです。韓国も同様で
    す。広開土大王の高句麗歴史と対馬征伐からもわかるように、外侵しながらも私
    たちは外侵したことがない、私たちは正義の民族であるなどと強調し、被害者と
    しての正義感をまき散らしているようです。​​


▲『ホロコースト産業』ホロコーストを超大型金儲けに作った者たちは誰か


林志弦:問題は、過去に起こった歴史的事件を民族という名で還元させることです。これ
    は過去に限定されるものでなく、民主化の未来を思考することにも影響を与えま
    す。理由自体を最初から閉じ込めてしまう結果を生むかもしれないですからね。


朴露子:そのとおりです。日帝時代に朝鮮人という言葉が一般化したが、その言葉は民族
    差別の主体として、日本人がすべての朝鮮人を呼ぶ称号でした。開化期には啓
    蒙主義者が主体となって、国民化作業がある程度進められましたが、日帝時代
    には国民化作業が異民族によって逆に進められ、それで民族差別がかえって民族
    の主体性を呼び起こしました。


※開化期:1876年の江華島修好条約締結以後, 国権を奪われるまで, 開化を指向した時期


    しかし、問題はこのような民族という単語が階級的な矛盾や 地域的な矛盾を覆い
    隠してしまうところにあります。​



ー以上ー


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