シャボン玉のブログ

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除された姜先生の回顧録 第二章 その7 龍門山へ発つ

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)


第二章  ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
  ● 起きて叫ばん
     ▲  龍門山(ヨンムンサン)へ発つ 

1954年3月25日、龍門山(ヨンムンサン)で羅雲夢(ナウンモン)長老が復興集会を開いているので、お父様が一緒に行こうと言われました。お父様のお供で、玉世賢(オク・セヒョン)お母さん、池承道(チ・スンド)お母さん、李耀翰(イ・ヨハン)牧師、金ジェゴン、ジョンドッキ、ジョン神父と、私の八人で出発しました。


▲ 龍門山

龍門山への道は舗装がされていません。それで、徒歩で登りました。羅雲夢(ナウンモン)長老が龍門山に大きなテントを張って復興会をしていました。私たちはまず、近くの村に部屋を二つ借りました。

お父様は家におられて、私たち一行はその夜、羅雲夢(ナウンモン)長老が開く集会に出席しました。私たちはその復興会に出かけながらお父様に、「もしかしたら羅(ナ)長老に先生と会う意思があるか尋ねてみましょうか」とお聞きしました。しかし、お父様は何かの予感があられたのか、「私が会うのはよくない」と言われました。

「なぜですか?」
「会って、彼がよく理解して感謝して受け入れるなら彼もいいし私たちもいいが、もし御言葉を受け入れず、反対をしながら間違った話をすれば、彼が一生の間に築いたすべての功績と期待が一夜にして崩れるようになる。だから、その人のためにもあなたたちが会うのが良いだろう。私が直接会って、その人が行く道を塞(ふさ)ぐような結果になると良くない」と言われました。


私たちを通して御言葉に接した後に、彼がお父様を訪ねて来るようになることを望んでおられることがわかりました。羅(ナ)長老は、何かの啓示を受けたのか、説教の時間に、「ここに心霊の盗賊たちが来ているので注意してください。心霊をよく保っていないと、盗賊たちに盗まれてしまいます」と言いました。

復興会の雰囲気には恩恵がありました。皆が手を叩き大声で祈るのですが、悔い改め、罪を告白し、痛哭の祈祷をする人々が多くいました。復興会を終えて出て行く時、私たちのことを知った青年がけんかをふっかけながら垂木(たるき)で叩こうとしました。青年たちから逃げて下りてくるのですが、ある人は垂木につまずいて倒れそうになることもありました。 

※垂木(たるき/서까래):木造・鉄骨構造などの建築における小屋組構造材 

その日の夜、お父様は私たちに多くの御言葉を下さいました。霊的な復興師や大復興師たちの使命は、長く続かないということでした。神様の摂理と一つになれないときは、7年を越えることが難しく、最終的にすべての恩恵の役事を終えてしまうと説明して下さいました。

彼らの使命が終わった後も自分たちの使命が終わったことを知らずに、なぜそうなったかも分からない場合が多く、韓国の有名な復興師たちも自分たちがしなければならない使命を果たせない時、いろいろな方法でその人が打たれて恩恵がさめて冷たくなるというのでした。

その日の夜のお父様の貴い御言葉を聞きながら、集会に参席していた人たちの事を考えてみました。「彼らも一緒にこの貴い御言葉を聞けば、どれほどいいだろうか」という思いになり、痛い心情で彼らのために祈りました。

翌日でした。まだ、日が薄暗い時、大邱(テグ)から任執事(イムチプサ)が龍門山(ヨンムンサン)にいた私たちを探しに来ました。任執事(イムチプサ)は来るやいなや、「先生、大変です。刑事たちが先生のおられる家を襲ってきました。無理やりドアを壊して入り、その部屋に「出入厳禁」と真っ赤な字を書いて、部屋の中にあったすべてのものを警察署に持って行きました。刑事たちが、どこへ行ったのかと聞いたので、龍門山(ヨンムンサン)に祈祷をしに行ったと言いました。おそらく今日の午前中に、ここに刑事が来るでしょう。さあ早く逃げなければなりません」と言いました。

その日の朝食後、私たち一行は、お父様を中心に礼拝を捧げました。私たちは賛美歌を歌いながら涙の海を成しました。その日、お父様は、「私が行くところは戦いであり、涙であり、迫害であり、苦痛である。このサタンの世界を神の国として建てようとするから、サタンがじっとしていない。どんな方法であっても成すことができないよう妨害工作をしているのである。神様の能力で一夜にしてサタンを屈伏させることもできるが、人間の責任分担があるからそれができず、人間がしてくれることを願っておられる」と言われました。御言葉の後、祈祷を捧げたのですが、再び涙の海を成しました。

「神様、私が行く道には険しい峠のような茨(いばら)の道が置かれています。行っても行っても、越えて越えても、また越えなければならない峠道です。父よ、韓国の宗教界と社会が反旗を翻して御旨を成せないように妨害しています。彼らが御旨を少しでも知っていたら反対はしないでしょう。分からなくて反対するので、彼らの過ちを過ちと思われずに許してやって下さい!お父様、私はどんなに苦しく難しくても、これを苦しいとか難しいとか思いません。心配することは、反対を受け迫害を受けている私を天のお父様が見て憂慮し心配されないかを恐れているのです。お父様、私は父と約束したその御旨を生前に成して差し上げます。お父様、私を見て心配の荷物を解いて安心して下さい!この息子がいるではありませんか!どんなに恐ろしい試験も、患難にも、痛みも、辛さも、私は感謝の気持ちで甘く受けて克服していきます。師匠に従っているこの不幸な群れを、父よ、記憶されて、強く大胆に共に勝つことができるようにしてやって下さい!御旨と愛が永遠に私たちを見守ってくださることをお願い申し上げながら、主の名で申し上げました。アーメン!」と言われてお父様が祈祷を捧げられたのですが、私たち一行は大声で泣きながら共に祈りました。


龍門山(용문산)から金泉(김천)までの徒歩の時間が分かります。
    25분+45분+1시간20문+30분+20분+30분+1시간10분+1시간=360분(6時間)

祈りを終えて、龍門山(ヨンムンサン)を後(あと)にし金泉(キムチョン)まで歩いて来ました。歩きながら、「一つの国を独立させた独立軍も命を差し出して戦ったのに、6千年の間神様が願われた天の御旨を成すこの重大な事に、なぜ生命を捧げられないか?彼ら以上の心情と度胸を持って戦わなければならない。また、遠い後日、後世の人々が、『この御旨を成す為に犠牲の祭物になり、すべてのものを惜しまず捧げて戦ったあなた方のおかげで、このように私たちは良い世の中で幸せに住んでいます』と言えるようにしましょう​​!韓国だけでなく、全世界の人類が感謝しながら叫ぶことができるその日を必ず作らなければならない」と思いました。

みんな私のような思いであって、金泉(キムチョン)に到着したとき、我々は両方の拳を握り締めて堅い決意をしました。「この道から離れず、最後まで志(こころざし)を立てて戦い、神の栄光を取り戻そう!先生の手足となって一緒に苦難と喜びを共にしよう!」と決心を交わして別れました。

お父様と李耀翰(イ・ヨハン)牧師はソウルに、玉世賢(オク・セヒョン)お母さんと池承道(チ・スンド)お母さんは釜山に、私と金ジェゴン勧士(クォンサ)は大田(テジョン)に、そしてジョン勧士とジョン神父は大邱に散らばりました。私はその時、大田に行ったので大邱を離れることになりました。


警察が大邱にあったすべての荷物を押収して行ったので、歴史的な記録が失われたことは今でも残念です。警察がその部屋にあった荷物をすべて持って行って、それまでお父様が送ってくださった手紙、集めておいた写真、私が夢で見たことを受けて書いておいた手帳まですべて失われてしまいました。重要な歴史的な記録が失われたことがとても残念です。



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★ 韓国語で回顧録を読みたいという方の為に、このブログに今まで掲載された日本語訳文をさらに自動翻訳で韓国語に訳し、意味不明なところを修正しました。


▼ 回顧録 第1部 日→韓訳文 シャボン玉公開用
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