シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録 第二章 その8 大田で御言葉を宣布せよ

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第二章  ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
  ● 御言葉を宣布する生活
   ▲ 大田(テジョン)で御言葉を宣布せよ 


1954年3月26日、大田(テジョン)に到着しました。教会を開拓しようとして行ったのではありませんでした。大田教会開拓のために行ったのは2年後の1956年6月でした。お父様は私を大田に送られながら「宣戦布告をせよ!」と言われました。私は、「お父様、戦争が起こったのでもないのに、何で宣戦布告をしますか?」とうかがいました。そうしたらお父様は、「伝道はしなくても大丈夫。新しい御言葉を受け入れよという宣戦布告をせよ。新しい時代が来たと、再臨主が来られたと宣伝をせよ!」と言われました。




お父様は私に神霊の高い牧師、長老、教主、信徒たちに新しい時代の御言葉を知らせよという使命を下さいました。その時から本格的に私はその使命を果たす為に、40日、60日、80日の間、御言葉を伝えてから帰ってきました。お金は一銭もなく、御言葉を宣布しに通うことは易しくありませんでした。地方のどこに行っても教会もなく、食口一人もいませんでした。さびしくつらい路程でした。食事はもらって食べ、寝る所は事情を話して寝る場所を借りて寝ました。そうして戻って来る時には、着ている服一着だけ残し、お世話になった人々に、すべてのものをあげて帰ってきました。


苦労をして80日出て行って、御言葉を伝えて戻って来ては、お父様に報告をしました。お父様はとてもとても興味津々に報告を聞かれました。そして報告をすべて終える前に、「そうか。また出て行かないとね!いつ出て行くの?」と言われました。そんな時には胸がどきっとしました。「苦労して帰ってきた弟子に、一日でも暖かい部屋で休んでから行きなさいとは言われないのか?」というさびしい気持ちになったりしました。「一日でも伝道ということ考えずに暮らせたらいいのに」という思いがしたりしました。


大田(テジョン)に到着して一番最初に中央長老教会に行きました。その教会の伝道師が私の知り合いだったからです。しかし、その人は私の言葉を聞きもしないで、はじめから怒り出しました。「私はイエスをよく信じている伝道師なのに、何の言いたいことがあると言って騒ぎ立てるのか」と言いながら、私が持っていった包みを床から庭に投げてしまいました。その日は雨が降って地面が濡れていました。雨に濡れた包みを拾うと、「早く出て行け!」という叫び声を聞いて追い出されました。


それ以来、行く道は順調ではありませんでした。行く所ごとに門前払いで、夜になれば寝る所を探すのも大変だったし、一日三食のご飯をもらって食べるのもきわめて難しい事でした。寝る所を探すことができず、既成教会に入って、冷たい床の上で徹夜祈祷をするのが常でした。


しかし、後になると教会で寝ることすら困難になりました。それで、大田長老教会で知り会ったある執事(チプサ)の家の小部屋で過ごすようになりました。その小部屋はお米を積んで置く所で、火がつかない冷たい部屋で足を伸ばして横になることもできないほど狭かったたのです。私はその部屋に座って夜を明かしたものです。


そんな中、大邱(テグ)第一教会の韓秉赫(ハン・ビョンヒョク)牧師が復興会をするという知らせを聞きました。韓秉赫(ハン・ビョンヒョク)牧師は、大邱で有名だったので、神様の摂理を少し分かるのではないかと思いました。御言葉を伝えたい切実な気持ちで私は夜通しで韓牧師に手紙を書きました。神の摂理がいつ、どこで、誰を中心として行われているのか、主はどのように来なければならず、いつどこに来られるのか、洗礼者ヨハネの使命は何だったのかなど、御言葉の核心を要約し、理解してもらえるように丁重に勧める内容でした。全部書き終わると15枚になりました。


家の主人である執事に、復興会が開かれる日の午後に韓牧師に手紙を渡してくれるようお願いしました。その日の夕方、私は緊張した気持ちで復興会に参席しました。


しかし、韓牧師は、「釜山(プサン)から大邱(テグ)に行って、信仰のある勧士(クォンサ)と執事(チプサ)をみんな奪った女の異端が大田(テジョン)にまた来ました。今、この場にもその女の異端が来ているかもしれません」と言いました。「さらに、その女の異端は、聖書にない教理を自分勝手に歪曲して説明します。皆さんも気を引き締めて信仰して下さい。そうしなければ異端に誘惑されやすいです」と付け加えました。それとともに、私が手紙に書いた内容をいちいち反論する説教をしました。


説教をじっと聞きながら、2千年前のイエス様が思い出されました。イエスを殺した彼らは一般のユダヤ人たちではなく、祭司長、律法学者、パリサイ人でした。同様に、お父様に一番反対する人も平信徒ではなく、指導層にいる者たちであり、羊の群れを率いる牧会者たちであることを考えれば、重苦しく切ない気持ちになりました。


結局、その復興会の後に、教会ごとに女の異端が来たという噂が伝わり、私が教会を訪れて祈ることすら容易ではなくなりました。見知らぬ若い女が教会を訪問して祈りをすると、「大田に来たというその女の異端ではないか?」という目つきで見たからです。しかし、私は休むことなく、強く大胆に御言葉を宣布しに通いました。


ある日、聖潔教会(=ホーリネス教会)を訪ねて牧師に会いました。教会はそんなに大きくはなかったのですが増築のために教会の前に垂木(たるき)がたくさん立てておかれてありました。私は強く心を決めて、牧師に御言葉を伝えました。


「牧師様も祈祷をたくさんされて精誠をたくさん込めれば、今日(こんにち)この時がどんな時であるのかをだいたい見当をつけることができるでしょう。実際に、ずっと昔にイエス様が来られた時、ユダヤ人がイエス様を自分の目で見ても知る事ができなかったではないですか?今もそのようなときです。牧師様が祈祷をたくさんされ、主に会おうと苦労をたくさんして来られたのに、来られた主を知る事ができなければどれほど残念でしょうか?今まで苦労してきたことが水泡(すいほう)に帰(き)してしまいませんか?それで私は、祈祷をたくさんして精誠をたくさん込める方たちに、このような時が来たことを伝えに来ました。昔の旧約時代から新約時代に移って来たときが信仰の転換期だったように、今が新約から新しい神の摂理の時代に転換される時代です。このような時代的転換期を知って信仰の焦点を合わすことができなければ、私たちも2千年前のユダヤ人たちのように不信の後裔となってしまうでしょう」


話をみんな聞いた彼はかっと怒りました。「いや、大田(テジョン)に女の異端が入って来たということだが、あんたがまさにその女の異端か?」と言いながら立ち上がってこぶしで私を殴ろうとしました。


私はとっさに外に飛び出しその場を避けました。すると、彼は工事のために立てて置いた垂木を持って私を叩こうとしました。思ったように叩けないので、逃げて行く私の後ろから垂木を投げたのでした。幸いなことに私には当たりませんでした。


2千年前、イエス様がどのくらい苦しく切なくて、「この蛇の子らよ、誰があなたを教えて差し迫った神の怒りを避けるのか?蛇の子らよ、あなたがたは悪だから、どうして良い話をすることができるのか?」と叱られ、「あなたがたは災いである」と言われて怒られたその心情が感じられて切なく思いました。


大田で40日間、苦労しながら御旨を成そうと努力をしたのですが、大きく得た物はありませんでした。


大田で一つ得たことは、ペク・シンミョンおばあさんに会ったことです。ペクおばあさんは霊通する方で、何十年も霊界と通じていることで有名でした。その方は私を見るやいなや、「あなたは天使長的ラッパの使命を持っています」とすぐに証しました。それまで私は、天使長が空中でラッパを吹いて降りてくるものとだけ考えていました。



後でお父様にその話を報告したところ、「姜賢實(カン・ヒョンシル)がしていることが天使長のラッパの使命だ。主が来られる前に、現れる前に、まず天使長がラッパを吹かなければならないんだ。そのラッパが何のラッパかと言えば、本当に新しい時代が来たという事、主がこの地に来られたことを知らせるんだ。そのようなことを、天のラッパを吹くこと、すなわち天使長のラッパの使命であると言うんだね。その人がそのことを言ったのだ」とおっしゃって下さいました。


私はペク・シンミョンおばあさんに、協会創立記念にお父様と数人の食口たちで撮った写真を見せてあげました。すると、お父様を指さしながら、「ここに宗教を統一される方がおられる」と喜びました。それで私は、「この方が誰なのか知っていますか」と尋ねました。ペクおばあさんは、「この方は、再臨主です」と答えました。そして、私に、「あなたは今行く道は無限に狭く険しい道であって、誰もが行くことをためらいます。しかし、遠くなく世界の人たちが皆行かなければならない道なので、つらくても難しくても、必ずこの道を行かなければならない」と励ましてくれました。


しかし、私は率直に言って、この方の言葉に半信半疑でした。韓国人一人でもこのように伝道するのが難しいのに、世界の人々が訪れて来るという言葉は百パーセントあっさりと信じられなかったのです。


今はその方のおっしゃったように、世界194カ国に宣教師が出て宣教活動を展開しています。60年余り前の予言が現実として現れて成されています。世界の各国で宣教活動をしている統一食口たちは、韓国を真理の祖国、信仰の母国として憧(あこが)れ慕(した)っています。生きている間に信仰の宗主国である韓国の地に足を踏み入れてみたい、という人が世界各国にたくさんいることを考える時、熱い涙があふれ出てきて、神に感謝を捧げるのです。


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★ 韓国語で回顧録を読みたいという方の為に、このブログに今まで掲載された日本語訳文をさらに自動翻訳で韓国語に訳し、意味不明なところを修正しました。


▼ 回顧録 第1部 日→韓訳文 シャボン玉公開用
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