シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

削除された姜先生の回顧録 第二章 その10 全羅道で出会った人々

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第二章  ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
 ● 御言葉を宣布する生活
  
全羅道(チョルラド)で出会った人々


大祭(たいさい)が終わった翌日から私は全羅北道(チョルラプクド)一帯を巡回しながら御言葉を伝えました。全羅北道の裡里(イリ)で起こったことは今でも忘れることができません。


その時、私は大田(テジョン)に行ってペク・シンミョンおばあさんにもう一度会わなければという思いがしました。しかし、大田に行く汽車の切符がなくて裡里(イリ)に行く切符を買いました。裡里(イリ)は予定になかった所でしたが、そのまま裡里(イリ)に行く汽車に乗りました。


夜行に乗って裡里(イリ)駅に到着すると、夜が明けようとしていました。裡里(イリ)駅に到着して、「神様、道を導いて下さらなければなりません」と祈りながら歩いて行くと、何人かの白い服を着たおばさんが私を見て、「先生、今来られましたか」と挨拶をするのでした。どんなに考えてみても知らない人なので、いつ、どこで私を見たことがあるのかと尋ねました。


するとその人は、「私もわかりませんが、今日早朝祈祷をしたのですが、先生の顔が幻で現れました。今日このような人がお前の家に来るはずだからというので待っていたのですが、お出迎えをするようにという言葉があって、今待っていた最中に先生が来られました」と答えながら大変喜びました。


その人は李順姫(イ・スニ)執事(チプサ)でその人の家に行ってみると貧しく暮らしていました。その人は化粧品の商売をするために普段は時間がほとんどありませんでした。しかし、今日は特別に啓示があって、商売に行かずに私を待っていたと言いました。


朝食に粟ご飯を作ってくれていっしょに食べながら、あれこれ話をしました。


「実は、私は聖潔教会に通っていた者です。ところが今は教会に行くことができないでいます」「なぜ教会に行くことができないのですか?」と聞くと、「啓示を受けた内容を話したところ、聖書にない話をすると言って教会から異端と呼ばれ、行かないようにしています」。


その時、どこからかハガキ一枚がきました。その人がハガキを見たところ、「真の父母様から来た手紙です」と言うのです。当時、私たちの教会でも、「真の父母」という言葉がなかった時代でした。お父様を「先生」と言って侍ったので、「お父様」と呼んでいなかったし、聖婚前だったので、「真の父母」という概念がありませんでした。


そうして、その人が手紙を読んだのですが、六千年間父と娘が別れて再会するという内容でした。ところがその内容は、とても切々と学識ある言葉になっていて素晴らしいものでした。六千年間、(別れていた)娘が父に会いたくてどれほど慕い、父がその娘をどれほど愛したか、お互いが相手を探す為に困難を耐えてきたという内容が大変感動的でした。私はその手紙に大きな恩恵を受けました。


それで、「私もそのハガキを一度読みたいです」と言ってハガキを見ました。すると、その内容はその執事が読んだ内容と全く異なるものでした。親戚からきた一般的な見舞いのハガキだったのです。私は心の中で、「本当に不思議だ。見舞いの手紙を真の父母様が下さった手紙だと、それほどまでに感動的に読むことができようか?」という気がしました。


後でお父様にその手紙についての話をして差し上げたところ、「今の時は、御旨も知らず意味もわからないまま真の父母様を証しする人が多く現れる時」と言われました。


この執事は私に、「先生、三日だけでもお泊まりになられて御言葉を話してください」と願いました。それで、私は、「アダムとエバがどのように堕落したのか祈祷してみて下さい」と言いました。その場に座ったままその話をすると、その執事は祈祷室に入って祈祷をし、答を受けて出て来ました。祈祷を終えて出て来た執事は、「アダムとエバが堕落したのは不倫な愛、淫乱のゆえだと言うことです」と言いました。それで、「復活はどのように成されるのか祈ってください」と言いました。「復活とは墓地から死体が起きるのではなく、私たちの心霊が最高の境地に至ることだと言います」と答えました。


その人は原理を知りませんでしたが、祈祷によって答えを得て原理を証ししました。それで再び、「主がいつ、どこで、どのように来られるのか祈ってください」と言うと、「どのように来られるのか祈祷したところ、匙(さじ)が一対現れました。匙が見えることを考えたら、私たちのように食事を召し上がる方のようです。そしてどこに来られるのか祈祷したところ、東方である私たちの韓国に来られると言うことです」と言いました。そのように覚めている人には、神様がすべてのことを教えてくださるということがわかりました。


▲ 光州の李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生


全北一帯を経た後に、全羅南道(チョルラナムド)光州(クァンジュ/こうしゅう)に行くことになりました。光州に行っては、李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生に会うことになりました。最初につながった人は、呉(オ)長老でしたが、この人が、李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生を尊敬して従っていると言って紹介してくれました。呉長老は、自分の息子にも,「お食事を召し上がりましたか?」というふうに敬語を使う方でした。その共同体で生活する人たちは、呉長老だけでなく、自分の同僚同士、または父子の間でもみんなお互いに尊称を使い、敬語を使っていました。


この頃は子供の教育のためにそのような人々がいるようですが、1950年代には、そんな人はほとんどいなかったので大変驚きました。だから私は呉長老に、「なぜ自分の息子に敬語を使うのですか?」と尋ねたところ、「人間は、法ではなく霊がはるかに重要ですが、霊的な面で私の息子は私よりもはるかに高い位置にいるのかもしれないので、私たちはお互いに尊敬し、敬語を使っています」と答えました。山菜ご飯を食べて土を耕しながらも喜び、主が来られるのを切望しながら生活をしている人々として印象が深かったのでした。そんな呉長老の姿を通し、「ここに何かあるな!」と考えるようになりました。


▲李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生


李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生は90日間断食をした人で、「東光院」という看板をつけて、西洋人からもらった良い建物の中で数十人と一緒に共同生活をしていました。いつも神様のみこころに生きようと努力する人であると、近所では聖者として尊敬を受けていました。


▲東光院


その人は、イエス様が生活していたそのままの生活をしてみようと大変な努力をしながら暮らしていました。夫人が女性警察官を務めた家庭で、経済的に安定していました。しかしその夫人が夫のために新しい服を作って着せてあげると、その日のうちに出て行っては乞食の服に着替えて帰って来たといいます。しらみがうようよいるような乞食の服を着て来たので夫人が怒って何か言うと、これからは絶対にそうしないと夫人をなだめておいては、再び乞食たちのいるところに行って散髪をしてあげたり、お風呂に入れてあげたりまでしたのです。


そして白いご飯を作ってあげると大変驚いたと言います。なぜなら、罪人がどうしてご飯を安らかに食べることができるのかということでした。一日の食事は二食なのですが、朝は山菜のお粥、夕方には麦のお粥を食べて、直接農作業をしながら自立する生活をしていました。


ある日、その人は説教をしに壇上に上がったまま1時間の間、何も言わずに無言で立っていたそうです。何の話もせずに、じっと立っているだけなのに、10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分が過ぎると、そこに座っていたすべての人々が痛哭(つうこく)をし悔い改める役事が起ったりしたと言うのでした。


朝鮮戦争が起こった時は、90日の断食をしている最中でしたが、その時、あるアメリカの宣教師がアメリカに帰れずに残っていました。それで、その宣教師を背負子(しょいこ)で背負って信徒たちと一緒に山に入ったのです。山の中でみんなで一緒に避難していたのですが、ご飯を炊くとき火が出て、山がみんな燃えてしまいました。やっと火を消した後に皆が集まって、悔い改めをしました。


集まった人々は皆、自分の過ちで火が出たと悔い改めをしたというのです。「私がご飯を炊くときに、関心を持って注意しなければならないのに誤った」「違います。この場所よりも石がある別の場所を選ぶべきでした」「違います。火が出た時に私が慌て驚いて、火を消さなかったのが問題でした」と言いながらお互い泣きながら悔い改めて一つになったというのです。


その話を聞いて感銘を受け、私も朝の礼拝の時間に参席しました。初めてその人を見たら、体は痩せていましたが、顔は輝いてました。熱心に説教する内容が全く恩恵深かったのでした。ところで、私の耳にはっきりと声が聞こえてきました。誰かが、「賢實(ヒョンシル)、賢實、賢實!」と私の名前を三回も呼ぶのです。お父様が私を呼んだような気もしました。


その声が余りにもはっきりしていたので、思わず座った席でむっくり立ち上がってしまいました。礼拝時間で真ん中に座っていたのですが、誰かが私を呼んだようなので周りを見回しました。すると、後ろに座っていた方が私のチマを引っ張りながら、「今は説教の時間です。なぜ立って礼拝を邪魔するのですか?」と私を叱りました。その時になって我に帰った私は、恥ずかしくてどうしていいかわかりませんでした。


ソウルに戻ってきてからそのことをお父様にご報告申しあげると、お父様は、「神様が姜賢實を本当に愛しておられるんだね。まちがった方に行かないかと、御旨を見捨ててしまわないかと、心配して名前を呼ばれたんだね」と言われました。そのお話を聞いて、神様はもしかしたら他の所へ心を奪われるかと思って、お父様の声で私を悟らせてくださったことに気付きました。それほど神様が私を保護して下さったことを感じ、感謝の祈祷が自然に出ました。何もない私に大きな期待をかけて直接的に導いて下さる神様の愛に頭(こうべ)を垂れざるをえなかったのです。


その礼拝の後、李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生と一対一で向かい合って​​復帰原理について御言葉を話し合いました。その人の聖書を見ると、赤い線がたくさん引かれてありました。それで、「聖書をたくさん読まれるのですね」と言ったら、「いいえ、違います。これは私の聖書ではありません。私は本に赤い線を引くことはしない者です」と言いました。「本当に謙遜な人だな!」と思いながら対話を続けていきました。


しかし、対話をすればするほど、その人が謙遜でありながらも自分というものがありました。謙遜に私の話を聞いているようなのですが、自分の話だけを繰り返して言うのが息苦しく感じました。それで、「謙遜なふりをしているが、実際には自己への固執が強い方だな」と思いました。


すると突然、麦を収穫して脱穀をしようと積み重ねていた所から火が出ました。機械に何か間違いがあって火が出たということでした。しかし、偶然にも私がそのような失望をした瞬間に火が出たので、神妙な気がしました。それで、お父様に報告を差し上げると、「今は審判する時である。善と悪、真と偽を分ける役事をしているので、必ず覚えておきなさい」と言われました。


李鉉弼(イ・ヒョンピル)先生を見ながら、神様は四方で聖徒たちを準備をさせておかれることを知ることができたし、審判が直接的に行われることも感じることができました。


<参照>이현필  李鉉弼(イ・ヒョンピル)

호남의 성자 이현필_주님 가신 길


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*


★ 韓国語で回顧録を読みたいという方の為に、このブログに今まで掲載された日本語訳文をさらに自動翻訳で韓国語に訳し、意味不明なところを修正しました。



▼ 回顧録 第1部 日→韓訳文 シャボン玉公開用
  https://goo.gl/yzXyb1

×

非ログインユーザーとして返信する