シャボン玉のブログ

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姜賢實先生の自叙伝・ 第三章・その1 死んでも統一教会の鬼神

今までの第一部、第二部を「章」に変え、これから新たな気持ちでタイトルも変えて第三章を始めたいと思います。「韓半島に降臨された再臨主」の翻訳文を紹介して終わるよりも、新しい姜先生の自叙伝まで作って紹介していけたらと思いました。
本来、姜先生の自叙伝(回顧録)は第6部までありますが、姜先生がペンシルベニアに行かれたので、その後、つまり姜先生の自叙伝に『第7部ペンシルベニア編』がなければならないことになります。


いつしか、近いうちに姜先生が綴ってくださることを切望しながら。。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


▲ ペンシルベニアを訪問した韓日の食口たちにお話しされる姜先生

第三章 超教派の最前線で
  宗教和合の道、超教派

 死んでも統一教会の鬼神(きじん)
     ※鬼神(귀신):死者の霊、人に福や災いをもたらすという神霊


私は1952年にお父様にお会いして、60年以上公的な生活をしてきました。静かに考えてみると公的な生活を確かに長くしました。そのせいか公的な生活をしている牧師や公職者や献身者を見ると胸が詰まることが多いのです。その方を見るといつも頭が下がります。なぜなら、献身しながら生きてきたこの道がどれほど大変で難しく寂しいかを、誰よりも私がよく知っているからです。


彼らは父母を後に残し兄弟を後に残して友達と故郷を離れて献身して生きてきたはずです。今も彼らの父母は風の便りに誰かのうわさでも聞こえてきたら、家を出て行った息子や娘が帰ってくると思って耳を傾けるのです。外的には相変わらず統一教会に通う子に反対するのですが、内心では、いつも子供を待ちながら、愛しているのです。


私も彼らと同じく公的な生活をしてきました。平凡で弱い者なので、実際一人では何もできなかったのに、お父様が公的な道を行くことができるようにして下さいました。そして、いつも神様が共にいて下さって、今までこの道を来ることができました。私のように統一家の食口たちは皆、神様が共におられることを確信せねばなりません。生活のために形式的に儀式的に生きてきた人々ではないことを信じます。制度に縛られて、この道をしぶしぶ行っている人は誰もいないでしょう。私もまた長い歳月の間、一瞬たりともそのような心構えで公的な生活をしたことがありません。


私が入教して13年になった時、お父様は、「姜賢実、あと三年だけしたら少し休まなくちゃならないだろう?」と言われました。私は、タプコル公園で渾身(こんしん)を尽くして講義をしていたところだったので、その言葉が嬉しく感じられました。それで、三年待ちました。しかし、四年が過ぎてもお父様は何も言われませんでした。「お父様、あの時私に三年だけしたら休ませてやると言われましたが、これで四年近くになります。どうされますか?」と尋ねました。


すると、お父様が、「世界で最も悲惨な人は仕事がない人だ。することが多いということ自体がどれだけ福があることか知らねばならない。一度遊んでみなさい。じっと家の中に入って座っていてみると、どれだけ退屈して息苦しくて意欲もでず悲惨かわからない。
だから、公的に仕事ができること 、仕事をすることが幸せだ」と言われました。


その御言葉を聞いて、「お父様!健康が許す限り、できる力がある限り、御旨のために生きていきます」と答えました。するとお父様は、「そうだとも。それでこそ姜賢実だ!」ととても喜ばれました。だから、御旨の中に身を投じて生きてきた私の人生を考えたときに、「私は死んだら鬼神(きじん)になったとしても、統一教会の鬼神になろう」と思いました。



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