シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

姜賢實先生の自叙伝・ 第三章・その2 閉ざされた心を開く超教派の道

この項は、姜賢実先生が超教派運動、原理公聴会のために奔走された内容です。
これにふさわしい写真はないかと探していたら、清平修錬苑HPの下記の内容に出会いました。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*


■ 復帰されたエデンの苑 天宙清平修錬苑 より一部抜粋


清平聖地の由来 


清平聖地は、真のお父様が1965年、漢江(ハンガン)を遡(さかのぼ)られながらテントを張り、精誠を尽くし始められることから始まりました。


真のお父様は当時、坂になった桑の木畑だった現在の天宙清平修錬苑の敷地を買いとられ、1971年6月17日、初めてツルハシを入れられ建築工事が始まりました。元聖殿の工事は当時、キリスト教牧師招請原理公聴会を開くため、急ピッチで着工されました。


真のお父様は当時、キリスト教牧師を清平修錬所に招待し、神様が創造された原理と摂理を伝えるために計画され、まだ発令の出ていない教会長と共に、1971年6月17日、元聖殿の建築工事が始められました。


当時建設された元聖殿は真のお父様の指揮のもと、悪天候にも関わらず基礎工事後わずか2週間で完工され、キリスト教牧師招請原理公聴会は計画通り成功裏に行われて、神様の御言を伝えることができました。


・・・・


今となっては、荒稼ぎの代名詞と共に、独生女王国と化してしまった清平の姿をご覧になり、 神様とお父様の心情はいかばかりであろうかと、胸が苦しくなりました。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


第3章  超教派の最前線で
  宗教和合の道、超教派 
  
閉ざされた心を開く超教派の道


1974年10月7日から超教派のキリスト教協会の仕事をするようになりました。李載錫(イ・ジェソク)会長の下で仕事をしました。李載錫(イ・ジェソク)会長は忠清道(チュンチョンド)両班(ヤンバン=貴族)の家の後孫らしく、人の嫌なことを言わず、常に人の心を安らかにしてくれる方です。


<参照>
李載錫(イ・ジェソク)会長の礼拝で出た『アボジの涙』 - シャボン玉のブログ


その時は私が入教してから22年目になった年でした。22年の間に宣布と開拓、そして伝道の使命を果たしました。そして、その時から1996年6月までの22年の間、超教派キリスト教協会で働きました。事実、既成教会と統一教会が一つになることはあまりにも重要なことです。お父様は統一教会と既成教会を一つにするという御旨を持っておられました。既成教会の信者は上から下まで、すなわち、牧師から平信徒に至るまで、どうしたらそのように一様に統一教会に反対することができるのか、彼らは統一教会と言うと、ハンセン病患者よりも恐れながらびっくり仰天して驚きました。


統一教会の信者に会って話しただけでも、地獄に行くかのように思ったりもしました。
私は彼らが心を一つにして反対するのを見て、信じられないほど驚きを感じたりもしました。彼らは一様にそのような心を持つのは何か秘密が隠されているようでした。


超教派運動をしながら、多くの牧師たちに会いました。韓国キリスト教教会協議会(NCC)の総会長から老会長と総務まですべて会いました。大部分の牧師は、統一教会と言うと、まったく会ってくれないので、会うまでは統一教会という言葉を言うことができませんでした。徐々に会って話をしてみると、統一教会であることがわかるようになります。すると、その場で立ち上がってお茶も飲まずに矢のように去ってしまう人がたくさんいました。


その反応も人によってさまざまに違います。ただ黙って席を去る人もいるし、悪口を言う人もいるし、水をかける人もいます。すると、私はそのまま何も言わず、ただ顔いっぱいに笑みを浮かべて座っています。相手が悪口を言っても水を浴びせても気にせずに、ただ笑って対するのです。


そのたびに私は、イエス様が思い出されるのです。イエス様は神の子であり、真理の本体でしたが、最も信仰深い祭司や書記官、そして律法学者たちから追われて、異端の怪物の烙印を押されました。そのような人々を見て、イエス様がどのくらいもどかしかっただろうと考えると、私が受ける侮辱と非難は何でもないという気がします。


ある時、私にひどく悪態をついていた人が、私がただ笑っているので、「ああ、あなたは本当に信仰をする方です。私はまだ血気が残っていて、このようにあなたに我慢できず憎んでいます。私は牧師ですが、偽物です」と言って屈服したこともありました。


超教派運動をしながら、統一教会という看板のために、良い御言葉を話しても最後には不信されたり、無視されることがたくさんありました。私はクリスチャンたちを説得もし、説教もして、ある時は真心から泣きながら、神様に彼らの目を開いてくださり、心の扉を開いてくださるように祈祷を捧げました。


ある時は、「どんな方法を使ってでも統一教会をなくしてやる」と大声で悪態をつきながら飛びかかってきた牧師がいました。彼は牧師でしたが、形式や儀式や制度にとらわれて牧会をしていました。そのような牧師でしたが、私は祈る気持ちで、彼に神様の心情と御旨そして事情を説明してあげました。神様の立場で牧師を見たら、どれだけ胸が痛むことだったでしょうか?私は痛憤(つうふん)のあまり、おいおい泣きたいほどでした。


そんな切実な心情を持って、「神様の摂理的な方向がどうで、また、どこに向かって動いているのか牧師様はわからないのです」と言いながら、原理公聴会に参加してみるように勧めました。すると、意外にも彼はすまないと言いながら、「では、ちょっと聞いてみましょう」と原理公聴会に出席しました。


二泊三日の間、御言葉を聞いた後、彼の反応は180度変わりました。
彼は「統一教会は驚くべき教会であり、神学校で言うことのできない、組織神学の深い面を備えているようです。原理の御言葉に頭が下がります」と言いました。そして夕方懇談会の時間に彼は、「統一教会は今後絶対に滅ばず衰えもしないようです。驚くべき御言葉が体系化されているので、末長く残ることができるでしょう」と言いました。
たとえ牧師ただひとりであっても、統一教会に対して絶対的な立場から原理の御言葉の前に屈服したことが私には夢のように感じました。
結局、原理の御言葉の前に、世界の多くの牧師たちが頭を下げるようになると思うと、新たな希望で心が膨れ上がりました。最終的には御旨が成就するだろうという喜びも生じました。


超教派連合運動をしながらやりがいをたくさん感じました。初めて牧師に会う前は、統一教会員であるということを言いませんでした。それを明らかにすれば会うことすらできなかったからです。会って話をして、自然にお父様の人生や信仰そして原理の内容を紹介すると、徐々に聴く人の顔色が変わってきました。話を始めて10分、20分、時間が経つにつれて心の門が開くと、自然に納得していくように見えました。


必ず一度は会って御言葉を伝えねばならないと思っていた牧師がいました。
その牧師は長老教会の総会長を務めた人で、他の牧師たちから多くの尊敬を受けていました。それで電話をかけて、「今日、私は礼拝に行こうと思うのですが、教会の場所を教えて下さい」と言いました。すると、牧師は親切に教会の位置を説明してくれて、「必ず礼拝に来て下さい」と答えてくれました。


教会の場所は当然知っていたのですが、次に会う約束をとるために、わざわざそのように電話で因縁を作りました。日曜日に礼拝に参加して挨拶をした場で、「私と昼食を一緒にしましょう​​」と勧めました。そして、食事をしながら話を交わしてみると、金永雲(キムヨンウン)先生ともよく知っている仲でありました。そのように会話をしながら、その牧師と友達になったのです。


総務牧師も出てきて話をした後には、かなり親しくなりました。ところがある日、「ああ、姜先生!もう(統一教会を)やめて長老教会に戻ってきて下さい。長老教会に姜先生のような人がいればどれほど良いでしょうか?すぐ帰って来て下さい」と真剣に言われたので、私が笑ったことがあります。


後には、呂英秀(ヨ・ヨンス)部長が超教派協会に来て講義をしました。その講義を録音してたくさんの人々に配ってあげたりもしました。1983年の初めから私は毎週火、木、土曜日の3回、既成教会の信徒たちを相手に御言葉を伝えました。その時、説教した原稿が、今でも何箱か家にあります。録音したテープもたくさんありましたが、長く経って使えなくなりました。誰かが私に、その説教を集めて説教集を出すように勧めたこともありましたが、真(まこと)の生命の御言葉であるお父様の御言葉があるのに、不足な私の説教を集めて説教集を出す必要はないと思い、集めておくだけにしました。


最初は、「クリスチャンのための聖書講解」という名目で始めましたが、2年ほどの歳月が過ぎると、どういう御言葉を伝えても受け入れるほどに、参席者たちとの信頼関係ができていました。私は彼らに御言葉を伝えながら、お父様が私たちを前にして、血と汗と涙を流されて御言葉を語られたその姿を思い浮かべながら、精誠を尽くし熱意を込めて説教しました。すると、彼らは心から大変な感動をして喜ぶのでした。


ある牧師の夫人は、「姜先生の講義を聞くと、本当に恵みがあります。堪え切れない熱さが感じられます」と言いました。ある勧士(クォンサ)は、「原理の御言葉自体に生命力があるので、姜先生の御言葉にさらに大きな恵みがあるようです。原理の御言葉は普通の人が書いたものではなく、神の特別な恵みを受けた方が記録したもののようです」という証もしました。


御言葉に感動した人々は、超教派の精神を既成教会の重鎮たちに植えつけるために努力しました。そのように熱意を尽くして身悶えする人々を見たときに、今は時がいくらも残っていないという気がしました。私はそれらの人々からあまりにも大きな愛を受けました。何着もの服も贈り物され、家に贈り物を送ってきたりもしました。私はそのようなことがあるたびにお父様にご報告差し上げながら、「すべての栄光と感謝は、お父様が受け取るべき栄光です」と言いながら頭を下げました。


既成教会の信徒の多くは、「姜会長は、神様の御言葉と一体となっておられるようです」と言いました。実際には、私は神学者でもなく、キリスト教の専門家でもないので、御言葉を語るために多くの準備をしなければなりませんでした。御言葉の内容の準備もたくさんしましたが、それよりも御言葉を語るための祈祷と精誠をささげるために、もっと多くの時間を費やしました。参席者が既成教会の信徒や霊的な人々だったので、私が少しでも他のことを考えたり、準備が不十分ならば、統一教会が悪口を言われて、その影響がお父様に及ぶようになるからです。彼らが私を通してお父様を感じるようになると思いながら、すべてのことに気をつけるようになりました。



×

非ログインユーザーとして返信する