シャボン玉のブログ

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姜賢實先生の自叙伝・ 第三章・その3 初めてもらった給料袋に泣く

第3章  超教派の最前線で
  宗教和合の道、超教派 
   
初めてもらった給料袋に泣く


ルカ 10章7節
それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。

働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。

テモテ第1 5章17節
よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは

二倍の報酬を受けるにふさわしい。


超教派キリスト教協会にいた時のいくつかの逸話が思い出されます。
超教派キリスト教協会で一カ月働いて事務所で給料をもらいました。袋を開けてみると一カ月の給料が1万5千ウォンでした。それまで私は一度も給料をもらったことがありませんでした。22年間お金は一銭も貰わないで暮らしてきたのです。タプコル公園で講義するときは青坡洞教会に住み、1カ月分の電車の回数券と風呂券4枚をもらいました。それをもらったのが全部でした。そのように暮らしても、季節ごとに着る時は着て、また食べる時は食べて暮らしていました。もちろん、たっぷり食べ、いい物を着ていたわけではありませんが、生活に不便なく暮らしていました。


しかし、初めて給料をもらったのです。その給料をもらったら涙がいきなりあふれました。「今まで私は私の全体を神に捧げ献身して生きてきたのに、このお金を受け取ると、これから献身するのではなく、月給取りになるのではないか?これを受け取ると、私は仕事の対価をお金で受けることになるのだから、私がなした功績はすべてなくなってしまうのだ」と報酬のために働く生活をするような気がしました。


22年の間献身して給料をもらったら、お父様が保護して下さった生活が終わって追い出されるような気までしました。限りなく悲しい気持ちになって、祈祷室に入って痛哭(つうこく)しながら泣きました。心が少し落ち着いた後、神様に、「どうすればいいですか?」と祈りました。すると、使徒パウロの聖書の御言が浮かびました。「仕事をした人が報酬を受けるのは当然である。飢えては働くことができないので、最小限の報酬は必要である」という内容でした。


その聖句が浮かんで「ああ、そうだ!これまで私は教会に住み、公的に世話になって生きてきたけれど、これからは公的に世話にならずに生きなければならないな」と思いました。その次から、教会から出て暮らしました。


実際には、その給与は、私の役職にしては少ない額でした。超教派協会で私は婦女局長でありました。しかし、部長より給与が少なかったのです。それで、姜部長という方が冗談でいつも私に、「姜課長、姜課長」と言ってからかいました。自分より給与が少ないため局長はなく、部長の下で働く課長という意味でそう呼んだのでした。
私自身は給与に関心がないので、どのくらい給与の差があるのかわかりませんが、その人がそう言うので、そうなんだなと思いました。


だから、私はある日、姜部長に、「公的に献身するとき、給料をたくさんもらうのはいいことではないですよ。私は実はこれよりも少なくもらいたいのです。今働いている報酬をすべてもらってしまうと、霊界に行ったら何ももらうことができません。今働いたものより少なくもらってこそ、霊界に行ったときにもらうものがあります。だから、公的な生活をするときは、給与をもらわないのが一番良いのです。でも、避けることのできない生活問題があるので、最小限のお金だけもらうことが良いでしょう」と言いました。


すると、姜部長が、「局長は、いつも神様のようなことばかりを言われますね」と言って、一緒に笑ったことがあります。



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