シャボン玉のブログ

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神がペリシテの巣窟でイスラエルに勝利をもたらした道~3.10 キングスレポートより~

ペリシテ人が打ち負かしたと思いこんでいた神は、
実は打ち負かされてはいませんでした。
むしろ本当の勝利者であることが明らかにされました。


サムエル記上5章1-12節『ペリシテ人の地における神の箱』より


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朴槿恵の罷免が決定された3月10日、キングスレポートの聖句はサムエル記上5章1節~でした。そして英語レポートをリアルタイムのチャット内で韓国語訳してくださった要約中に、下記の一行がありました。


<参照> サムエル記上(口語訳) - Wikisource



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"오늘 저희가 우리의 싸움에서 지고 있다고 생각이 들지라도 하나님께서 블레셋의 적소에서 승리를 만드신 것처럼 이렇게 길을 만들어 주실 것입니다." 


"今日私達が私達の戦いで負けていると思えても、神様がペリシテの巣窟で勝利に導かれたように​、このように道を作ってくださるでしょう。"

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それで、私はさっそく、サムエル記上のペリシテ人との戦いの所を探してみました。
そこに鍵があると思ったからです。


下記で紹介するサイトは、キリスト教の牧師が聖書解説をしているサイトです。
わかりやすく負担なく読めます。ぜひご覧ください。


ペリシテに奪われた『神の箱』。今の私たちにとっては
『神の箱』はお父様の伝統?み言葉?天一国憲法なのでしょうか?


14.サムエル記上13章1-23節『ペリシテ人との戦い』では、常備軍としての平和軍警察、そして武器(銃器)所有権の必要性についても考えさせられました。
政府が市民たちをいつまでも奴隷として支配できるよう、反政府運動を起こすことができないように武装解除させていた話などもありました。現代社会で、暴力で革命を起こすというわけでは決してありませんが、共産主義やテロなど、危険から身を守るための権利は必要でしょう。
そして今、私たちの闘いの中で神様への信仰姿勢、心情など、私たちがどう立ち向かって行けばよいのか、教えられるところがありました。



<参照> サムエル記講解
http://torii-bible.com/ot/samuel/no06/
  6.サムエル記上5章1-12節『ペリシテ人の地における神の箱』


http://torii-bible.com/ot/samuel/no14/
 14.サムエル記上13章1-23節『ペリシテ人との戦い』


<一部引用


2節以下にサウル王権の軍事支配の側面が記されています。戦いのたびに召集される軍隊ではなく、常備軍の始まりがここに見ることができます。しかし、その兵の数も軍事力も、ペリシテ軍優位(5節以下)はあまりにも明白でありました。


それでもサウルは、ベニヤミンのギブアの北側からベテルに至る地域に部隊を配備し、サウルの息子ヨナタンは小さい部隊の司令官として重要な役割を担いました。そして、ペリシテとの戦争のきっかけを作ったのは他ならぬこのヨナタンでした(3節)。しかし、その行為はサウルのものとして描かれています(4節)。「ペリシテ人の守備隊を打った」(3節)イスラエルの軍事的勝利はごく限られた地域でなされたものにすぎませんが、サウルはこれを自分の行為として、全イスラエルにペリシテとの戦いに立ち上がるように呼びかけ、民はギルガルのサウルのもとに呼び集められます。


一方、ペリシテ人は、イスラエルを武装解除させて、奴隷のように取り扱っていましたから、この事態を奴隷たち(イスラエル)による反乱とみなしましたが、この反乱の試みが愚かで無力なことを知らしめるため、その圧倒的優位な軍事力を見せ付けようと集結し、軍は配備されました


5節に記された数に誇張はあるにしても、ペリシテの軍事的優位は誰の目にも明らかであり、イスラエルが恐れをなすほどのものでありました。これに恐れをなしたイスラエルの兵と民の大多数の者は、その攻撃の危険を感じ、まぬがれるために、ヨルダン川に近いところにある洞窟や、岩陰などに逃げ出す始末です。


それでもサウルはギルガルまで撤退したとはいえ、そこに踏みとどまり、ペリシテの攻撃に備えようと、勇敢な姿勢を示しましたしかしサウル王のもとに留まったのは、常備軍3000人(2節)のうち、僅か600人でした(16節)。


それでもサウルは、「七日間待て」(10章8節)というサムエルの命令に従って忠実に待っていました。サウルの王としての行動を、ここに報じられている面から見る限り、勇敢であり、責任感も強く、サムエルの命令にも忠実に従っていたことを知ることができます。彼は少なくとも、外面的には敬虔な信仰を持つ王として、振る舞い、申し分のない行動を取っていました。


しかし、約束の七日間が過ぎ、次々と離脱して行く兵士たちの姿を見て、サウルの心は動揺し、焦りました彼は戦いに際し主に嘆願する犠牲が未だであることに気づき、献身を表す和解のささげものを捧げました。そして、そのささげものを捧げ終わったちょうどその時に、サムエルが到着し、サムエルはサウルがした行為に対し、「あなたは何をしたのか」と厳しく問いただしました


このサムエルのサウルに対する態度は厳しすぎるという印象を受けます。サウルは7日待てという命令に反したわけでないのです。七日待ってもその日までに来なかったのは、サムエルの方です。そうであるのに、その約束の日に遅れた当の本人、サムエルから「あなたは何をしたのか」と詰問を受けるのは理屈に合わない気がします。


サウルの述べている理由も敬虔な王に相応しいものであり、イスラエルを思う危機意識から出た行動です。それなのに、サムエルはサウルに向かって、「あなたは愚かなことをした」と非難し、サウルの行為は戒めを破る行為であるといわれています。


ではどの点で主の戒めをサウルは破っていたのでしょうか。 サウルがここで非難されているのは、別の理由です。サムエルを通して表される「主の御心」を求めなかったこと、これが彼の罪となりました。七日待ってサムエルが表れないとしても、彼を通して与えられる主の言葉による祝福を待たねばならなかったのです。彼にはその日が来るのを忍耐して待つ信仰が欠如していました


もっぱら脅威を与える情況にばかり心を奪われ、民の離反を自分が行う宗教儀式でつなぎとめようとする間違った祭儀利用に走りました。御言葉に聞くことは、焼き尽くす犠牲に勝る(15:22)ということを、サウルはこの時も、この後も忘れていたのです。サウルは宗教儀式を大切にするという意味では敬虔な王でした。しかし、主の御言葉に聞き、徹底してひれ伏して従う信仰が欠如していました。


サムエルは、「主は御心に適う人を求めて」(14節)いくべきことをサウル王に告げました。この場合、主の御心とは、神の人サムエルを通して示されます。サムエル(預言者)の説教を通して示される御心に聞き従うことを大切にしなければならなかったのです。イスラエルに求められたこの信仰の基本を欠いていては、儀式を守る敬虔さがいくらあっても、それらの宗教的行為はまったく虚しいものです。イスラエルの王たる者は、どんな時でも神を見つめ、神の言葉に忠実に生きることを、民に先だって示して行く者であることが求められていたのです。神の言葉こそが、この国で最高の玉座を占めるべきであったのです。


<中略>


サウルは残った兵の数を数えます。その数は6百名と記されています。5節に記されているペリシテ軍の数に誇張があるにしてもあまりにも差があります。ペリシテ軍は周辺の軍事的支配を確保するために、遊撃隊を三隊に分けて自由に行き来させることができました。


イスラエルはその兵の数が少ないだけでありません。19節以下には、ペリシテ人よって徹底して武装解除させられたイスラエルの現実が記されています。イスラエルにはどこにも鍛冶屋がなく、剣や槍を造ることができませんでした。農機具を研いでもらうために、ペリシテ人のところにいくしかなかったのです。まともな武器をもっているのは、王のサウルと息子のヨナタンだけです。


このように戦う条件の整っていないイスラエルがどうして存続できるでしょうか。人間の目では、それは困難であるということになります。その事実をサムエルは記します。しかし、士師記7-8章には、僅か300人の精鋭でミディアン人との戦いに勝利したとの報告が記されています。神が勝利に導かれるのに数の多さは問題でありません。数は少なくても、神は信仰ある者と共にあり、御心に従う者に勝利をもたらせます
次章に、ヨナタンにおいてそのことが明らかにされます。



・・・・引用終わり・・・



韓国では未だ、保守の中で天が認めるアベル、大統領候補として支持できる人が現れていません。大統領選挙まで60日を切りました。
ネットニュースを見たら、与党は3月の末までに候補者を決定するとか。


焦る思いと怒りと憤りでイライラしていた私ですが、サムエル記のところで、サムエルはサウルに『7日待て』といい、サウルは7日待ってもサムエルが来なかったので、
次々と離脱していく兵士たちを見て心が動揺して焦り、主のみ心を最後まで待たず、自分なりに判断して行いました。


 ここを読んで、ハッとしました。


主の御心にかなう、二代王が『この人』と示すことのできる候補者は現れないのでしょうか? しかし私たちは今できる私たちの責任分担を精一杯やって準備して待っているしかありません。天が願わない人を、保守だからと言って応援できるものでもありません。
主の御心に適う人が現れた時に当選できるよう、それまで左派の悪事やグローバリズムを暴露をし、教育しながら整えておくしかありません。


もし、ぎりぎりまでも現れなかったならば、韓国はソドムとゴモラの地のように、天に見放された呪いの地となる日が近づいていることを受け入れなければならないでしょう。


以前から、韓氏オモニの堕落による審判は免れないと言われています。
最悪の状況になった時には、亨進様が出ろと言われたときにすぐ出れるように準備をして、かつては主の国だった、信仰の祖国だった韓国に別れを告げて、私たちは後ろを振り返ることなく去らなければなりません。


できる精一杯のことをします。しかし、主の御心のままにしてください。





亨進様はこの太極旗集会や行進にアメリカの国旗とトランプの写真があるということに喜んでおられます。アメリカ国旗やトランプの写真を掲げることは聖殿食口が始めたとも言われました。


★2月22日の韓國語放送でお話しされた亨進様の御言葉音声が日本語字幕で入っています。背景は3月4日の救国行進です。

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