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姜賢実先生の自叙伝 ; 第5章 真のお父様の聖和と私たちの姿勢

第5章  真のお父様(真の父母様)が行かれたその道を行きます。
 
真のお父様の聖和と私たちの姿勢


天基3年天暦7月17日(陽暦9月3日)の午前1時54分、真のお父様が聖和されました。
李載錫(イ・ジェソク)会長が電話で知らせてくれたのですが、夢を見ているようでした。人はこの世に生まれ、霊界に行くことが人生です。それでも嘘ではないかと思いました。そんなに早く逝かれるとは思いませんでした。「少なくとも基元節までは問題なくこの世におられるであろう。もう少し欲張るならば、100歳まで...」と思っていました。


多くの霊通者と食口たちがお父様はこの世に末長くおられると言いました。そのようにお父様が末長くこの世にいらっしゃるだろうと私は少しの疑いもなく信じていました。


生きておられる時に語られた姿、音声、内容、その中でも激しく叱られるお父様の姿が目に鮮やかです。私はたくさん叱られたことが記憶に残っています。私が責任を果たさなかったからです。考えてみればそれは愛でした。私が間違ったことだけが思い出されて、「お父様、本当に間違っていました」と何度も悔い改めました。


真のお父様は、訓読会の時、「姜賢實(カンヒョンシル)!」と私の名前をいつも呼ばれました。1999年から2012年までだけでも120回以上呼ばれました。忘れられないことは、「姜賢實、私が祝福式のあるたびに姜賢實を祝福してやれなくて胸がどれほどざわめいたか分かるか?」と言われた言葉です。その言葉は一度や二度ではありません。
漢南洞(ハンナムドン)では、「もう祝福してやったので、私は本当に安心できる」と言われもしました。「本当に子女たちを愛して、その哀絶な父母の愛をくださるんだ!」と感謝しました。


私が巡回に行ってきてご報告差し上げる時はお食事を召し上がりながらも、口を開けられたまま、その報告が終わるまで、その食事を召し上がられないまま聞かれました。


私が知っているお父様は完全に御旨に狂った方でした。神様の御旨以外には何も分からないという方でした。この地に神様の国と世界を成して差し上げるという神様との約束の為に狂った方です。その神聖な御旨を必ず生前に成されようと身悶えされた波乱万丈の一生を、この姜賢實(カンヒョンシル)は、少しはわかるようです。



お父様のすべての一挙手一投足は人間的なものではありませんでした。
人間的なもののように見えたのは、その人に人間的に考える習慣が残っているためにそのように見えたのです。お父様が人間的だと思った人がいるなら、その考えを改める必要があるでしょう。
そうしてこそ福を受けるでしょうし、また後孫たちにも道が開かれるでしょう。


時々、私たち周囲には疲れた食口たちが、「信仰の道が難しくてこれ以上は行けない」と言って休んでいます。そのような人々に、私はお父様が一人でいばらの道をかきわけ、十字架を負って歩んでこられた苦難の路程を思いながら耐えていこうと励まします。
お父様は6回も監獄に行かれながらこの道を歩んで来られました。
お父様の獄中路程を考えると、私たちに耐えることのできない苦難や試験はないことを痛感しました。


真のお父様(真の父母様)と結んだ絆は永遠なので、私たちの心情も永遠不変の心情を持たなければなりません。


今、私は神様にこのように告白します。「いつも感謝しながら生きていきます。私から物が奪われ、健康が奪われ、また、私のすべてのものを持って行かれたとしても、真のお父様(真の父母様)に出会わせて下さったので永遠に感謝して生きていきます。ですから、これから残りの日々を神様の前に真の孝女、真のお父様(真の父母様)の前に忠誠を尽くす娘として生きていきます。今まで不足で、犯した罪が多いです。すべてを許してくださることを信じ、真の家庭の上に神様の極尽(きょくじん)なる愛が共にあり、万代にわたり永遠に輝く歴史になるものと信じます」と祈りの告白を捧げるものです。


▲パゴダ公園で原理を伝えておられる若き日の姜賢実先生

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