シャボン玉のブログ

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姜賢実先生の自叙伝 ;6章 付録 心情の交流 1. 金元弼先生からの手紙

6章は自叙伝の中に一緒に綴られていますが、付録になります。


み旨にまい進しておられた姜先生ですが、お忙しい中でも、共に歩む兄弟姉妹たちとの関係を本当に大事にされて、手紙のやりとりをされていたことを知ることができます。
今は、インターネットで世界中の兄弟姉妹と繋がることができ、連絡もすぐできますが、
昔ほどの深く熱い心情交流ができているだろうかと考えさせられました。


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6章 付録 心情の交流
 
金元弼(キムウォンピル)先生から頂いた手紙


賢實(ヒョンシル)姉へ


心遣いのおかげで私は元気にしております。


父母様の命によって何名かの巡回師とともに約千名のヨーロッパの食口たちが散らばって伝道している英国の全域を毎日巡回しています。いつの日か口が開き、耳が開けるだろうと願いながらです。そして、「青坡洞(チョンパドン)で英語を勉強された時がお姉さんが何歳になられた時だったか?」と言いながら、自分の記憶力があまりにも衰退したことに驚きました。


お父様が3年が過ぎたら、やっと耳が開けてきたという御言葉に力づけられて、今やっと一言言えるようになった幼い子供を連想しながら「私は一歳になった赤ん坊だ。だから、私には幼い頃、思春期、完成期があるんだろうなあ」と思うのでより幼くなったようで、すべての食口たちが私の先輩のように感じました。すべてのことが学ぶことばかりだという思いで、かつてお父様に初めて会った時の私を回想しました。



地方を回ってみるとヨーロッパのたくさんの国の国際機動隊員たちがすることに熱心ではあっても、猫が牛の役を任されたようで、どうしたらいいのかと意欲がわかないようです。そのように具体的に詳細にお父様が御言葉を下さったのですが、夜明けに祈祷室に入って、自分を責めて急き立てる声を聞くたびに、幼い私の心でも同情が行くのに、天の心がどうしてそれより小さいわけがあるでしょうか?


私はその祈祷を蹂躙しないことを決意しながら、お父様の昔の話と私たちの教会史の最初の開拓伝道と開拓教会の最初の人であられるお姉さんの話をたくさんしてあげました。お父様の御言葉にもありましたが、英国が福を受けようとすることに、米国とは違って、英国ではほとんど反対を受けていません。


御旨を人知れず心配するお姉さんのけなげな思いがどうして無駄になるでしょうか?摂理歴史でもいつもお姉さんのような心情を持った少数の群れによって伝統の土台になって来たことを知るとき、たくさんの群れよりも核心があるのかどうかがもっと問題視されるのだろうと信じます。


お父様は超教派運動​​に重点を置いて押して出ていかれる意味を、李載錫(イ・ジェソク)牧師に言われたと知っています。


尊い価値を持って天の前に使われる体がどうして自己主張できるでしょうか?行けと言われれば行き、来いと言われれば来て、ただ順従(じゅんじゅう)の道理を尽くすところに、数多くの先知先烈たちが越えるに越えられなかった峠を繰り返し越えながら、今日も黙々と車の中に体を乗せて巡回の旅に発ちます。



天が、そしてお父様がご自身を迎えてくれる一人を探して全世界をくまなく歩き回られながら、追い出されもし、寝る場所もなく寒い野原で、食べ物を食べることができず、飢えた腹をつかんで腰の帯をきつく締めて、それでも迎えてくれる一人を探してさまよわれたその道を連想すると、私がまるでお父様になったように、神様になったように悲しかったです。


何度も韓国に帰りたい気持ちが切実にありましたが、「精誠を尽くす食口の前に天が大切に育てた韓国食口に対することができる私自身になっただろうか?」そう考えるたびに、行きたいという気持ちはとうてい持つことはできませんでした。こうしていると永遠に戻れないんだろうかという不安すら感じるのです。


私は、以前妻と子供たちと一つの家に住んでいるときは、昼夜、簡単に会えたんですが、今考えると、夫として父親として、責任を果たせなくてはむやみに会うことができない天のような方たちのように感じる時に、天が喜ばれる私にならなくてはと誓ったりもしました。


健康はいかがですか?病気でなくてもすぐ疲れがきて、疲れがきてもすぐには取れない時ですから、無理されずに健康に留意されるように願います。心がとがめることはできない性分であられるので、要領よくふるまうことができないだろうし、そうすれば必ず無理されてしまうのでとりわけ注意して下さい。


チョンイさんの家族も元気でいますか?よろしく伝えて下さい。


韓国は蒸し暑い日が続いていると聞きましたが、ここ英国では、夏だというのに道に出てみると毛皮やオーバーを着て歩く人をたくさん見かけるほど全く暑さを知らずに過ごしています。


父母様は1時になって寝室に入られることは、韓国と全く同じでおられます。


お母様の出産後の養生は良い方で、ほとんど原状回復されました。お父様が赤ちゃんたちを見て、「お父さんは仕事がいつも遅くなる」と言われるのを見るたびに、赤ちゃんたちを見るのが申し訳ない思いでした。


一日も早く国がよくなって、世界に出られて、ボンネッコルで言われた約束を果たしえる日がお姉さんの上にともにあることを願いながら、これで乱筆を置きます。


1978年8月12日 金元弼(キムウォンピル)拝


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