シャボン玉のブログ

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気が滅入ってた私の頭をポカンと叩いた言葉

アメリカの状況や、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が次々と推し進めていく政策に
腹が立つやら、気が滅入るやらで、キングスレーポートや礼拝もあまり見たくない、
ブログも書く気力も出なくて、ドラマを見ていたら、「光のおとうさん」というドラマの中で
こんな言葉が出てきました。


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悲観主義は気分のものであり、
楽観主義は意志のものである。

         アラン(幸福論)
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なんか、「こらっ」と頭をポカンと叩かれて、気づかせてくれたように思えました。
私は他にとりえなく、気持ちの切り替え上手、楽観的なのがとりえなんですからねぇ。



ドラマの内容は、仕事しか知らない仕事熱心だったお父さんが急に自主退職してしまい、
その本当の理由を聞き出すためにゲームに誘い、自分の存在を隠しながら父親に接して
ゲームの戦い方を教え共に戦いながら心の交流をしていく、
いわば、「親孝行プロジェクト」というものです


心配事は一つ解決すれば、また新たな問題が次から次へと出て来て悩みは尽きず。
気が滅入ることもありますが、自分はその環境や事情に呑みこまれることなく、
まずはシャキッと背筋を伸ばして、笑顔を作って、声も明るく、行ってみようかと。
「笑う門には福来る」ですからね!


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● 悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである アランの名言に学べ - 巨椋修(おぐらおさむ)の不登校・ひきこもり・ニートを考える FHN放送局 より一部転載



― 悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである -
          フランスの哲学者 アランの言葉


この言葉は、フランスの哲学者で『幸福論』を書いたアランという人の言葉です。
この言葉にもあるように人は、落ち込んだり、暗くなったり、
絶望といった気分に襲われやすい生き物なのです。


もっといってしまえば、人は感情に流され、落ち込み、暗くなり、絶望するほうが楽なんです。
それは一度でも、落ち込んだことがある人なら、すべての人によくわかることだと思います。
そして落ち込みから立ち直り、元気に、楽観的になるということが、
なかなか大変であるということも、多くの人が知っていることだと思います。


だからこそ、わたし達は、あえて楽観的になれるように普段から習慣付けをしておいたほうがいいでしょう。


日常ないろいろな物事に対して、楽観的いる人に対して、いつも悲観的に考えている人は「バカじゃないの!?」という反応をしめす人もいるかと思います。この反応は、いつも上機嫌でいる人に対して「いつも上機嫌でいる人って、考える力が足りないんじゃないの?」と、いう人と同じなのですが、よく考えてみてください。


基本的に、上機嫌の人と会っていて、不愉快になる人は、まずいません。
では、会うたびに、悲観的なことをいう人はどうでしょう? 
あまりいい気持ちはしませんよね。だったら周囲の人のためにも、
悲観的な態度は改めたほうがいいでしょう。


もし悲観的にならざるを得ないような事態がやってきてしまったらどうすればいいのでしょうか?
そういうときは、「人事を尽くして天命を待つ」ことです。


このことわざの意味は、人事(人間ができる事)を尽くして(やれること、
備えなどをできるだけやり)天命を待つ(後は天にお任せしてしまう)ということ。


つまり悲観的になるということは、やるべきこと、できることをやり切っていないか、
あるいは精神的な病気の傾向があるのかも知れないということです。



では最後にもう一つ、哲学者アランの名言を。


人間には自分自身以外に
敵はほとんどいないものである。
最大の敵はつねに自分自身である。
判断を誤ったり、無駄な心配をしたり、絶望したり、
意気消沈するような言葉を、自分に聞かせたりすることによって、
最大の敵となるのだ
           (アラン『幸福論』より)


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「こんなことしたって無駄じゃないか」という
思いが湧き出てくる自分との戦いですね。


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