シャボン玉のブログ

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ベトナム人虐殺・韓国政府を相手に国家賠償訴訟に向けて動いている韓国人弁護士たち

韓国の左派系新聞・ハンギョレに出されていた記事なので、その意図するところは何なのかと懸念するところもあるのですが、ベトナム戦争当時、韓国軍によるベトナム民間人虐殺を取り上げ、ベトナム犠牲者たちのために立ち上がった弁護士たちという内容で、興味深く読みました。


ただ、ベトナムは共産主義(社会主義)国家なので、韓国軍によるベトナム人虐殺というのも、行き着くところはアメリカ、自由資本主義の批判にまで繋がるものがあるかもと思えました。記事自体は韓国政府への訴訟となっていましたが、記事に付いたコメントには、アメリカに責任を追及しなければという内容もありました。


そのような思いは偏見で、純粋な思いで立ち上がった弁護士たちであることを願いたいですが。。

また、意外な事実は、日本従軍慰安婦を広く知らせ記憶させるために作られたと言われる「平和の少女像」と、ベトナムの被害者を慰労するための象徴物である「ベトナムピエタ」を製作した人は同一人物(夫婦ですが)だそうです。
左の像は初めて見ましたが。。韓国にあるのでしょうか?



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より、翻訳転載


「ベトナム虐殺犠牲者のための市民法廷」第一歩を踏み出す


民弁弁護士6人、初の現地調査
フォンニイ・フォンニャット村の生存者の証言を聞き
韓ベ平和財団と7月準備委設け、来年4月にソウルと済州で「市民法廷」
「政府を相手に国家賠償訴訟の推進」


「(韓国軍が)叔母を殺害した後にみんなで町を去ったのですか?」


「叔母を(ナイフで)刺し、遺体を燃やして、家もすべて燃やしてすぐに村を去った。
​兄は這って、私は歩いて隣の家にやっと逃げた。」


去る3日午前、ベトナム・ダナン市に位置したホテル会議室でグエンチ・タン(57)さんが韓国の弁護士の質問に答え、50年前の記憶を辿(たど)った。​白い紙の上に、韓国軍を避けて隠れていた防空壕や家の位置などを描きながら、当時の状況を細かく説明したタンさんは証言の途中、重苦しそうにうなだれ低いため息を吐いた。 ​


3時間以上証言を続けたタンさんはインタビューの最後に「ベトナム参戦の韓国軍がこの事件を否定するのを見て、どんな思いでしたか」という弁護士の質問にすすり泣きながらこう答えた。 「軍人が謝罪すると思いました。謝罪されたら尋ねたいことがたくさんありました。​私たち家族は幼い子供たちだったのになぜ銃で殺したのかと。しかし、そんな機会さえありませんでした。」



民主社会のための弁護士の会(民弁)の「ベトナム戦争当事、韓国軍による民間人虐殺・真相究明のためのタスクフォース」(TF)所属弁護士6人が去る2〜7日、ベトナム民間人虐殺の現地調査を行った。 1999年<ハンギョレ21>の最初の報道を通じて民間人虐殺問題が公論化された後、加害国である韓国の弁護士集団調査は今回が初めてだ。


民弁はベトナムの被害者たちが大韓民国政府を相手に虐殺の責任を問う国家賠償訴訟を準備中だが、実際の訴訟に先立ち、模擬訴訟である「市民法廷」を企画している。市民法廷を通じて大韓民国政府の責任を露出させた後、勢いに乗って実際の訴訟に乗り出す計画だ。民弁弁護士はベトナム戦当時、韓国軍による虐殺が集中したフォンニイ・フォンニャット村とハミ村を訪ねて、訴訟に必要な生存者たちによる虐殺当時の具体的な証言と資料を集めることに力を注いだ。


3日弁護士たちはフォンニイ・フォンニャット村虐殺の生存者グエンチ・タンを訪ねた。ダナンから南に25㎞離れたフォンニイ・フォンニャット村は1968年2月12日青龍部隊第1大隊第1中隊によって高齢者、子供、女性など74人が虐殺された所だ。当時8歳だったタンさんも叔母と姉、弟など、家族5人を失った。タンさんは「韓国軍が村に来た当時、防空壕に隠れていた。兵士たちは防空壕から出てくる子供たちを庭に立たせ、以後順番に銃を撃った」と語った。


弁護士たちはタンさんの陳述の信憑性を高めるために、既存の証言の中で具体化させる必要がある部分を集中的に尋ねた。実際の法廷で韓国軍の虐殺(不法行為)が証明されるためには、被害者の細かい証言が必要だからである。当時、負傷を負ったタンさんと共にヘリコプターに乗って病院に同行したグエ​​ンティルアン(78)さんは、「タンは意識を失って倒れており、血を流していた」と証言した。


4〜5日にハミ村を訪ねて虐殺当時、家族5人を失ったグエンコイ(72)さんをはじめ生存者4人の証言を聞いた。ハミ村は1968年2月22日青龍部隊(海兵第2旅団)によって民間人虐殺の被害を受けたところである。



TFのイム・ジェソン弁護士は「民間人虐殺事件のうち、フォンニイ・フォンニャット村は比較的に多くの証拠が確保され陳述を具体化することに焦点をおき、ハミ村の場合、十分な調査が行われておらず、1次証言を確保することに意味を置いた」とし、「最終的な目標が国家賠償訴訟であるだけに、韓国裁判所が虐殺の事実を認めることができるほどの陳述と証拠収集を目的としている」と説明した。


民弁TFと韓ベ平和財団は7月に市民法廷準備委員会を立ち上げた後、ベトナム終戦記念43周年の2018年4月頃、ソウルや済州でベトナム民間人虐殺の犠牲者を原告とした市民法廷を開く予定だ。第2次大戦当時、日本の女性性奴隷動員の責任を問うために、2000年12月日本・東京で開かれた女性国際戦犯法廷からアイデアを得た。


イム弁護士は「1999年に最初の報道後、18年間、韓国政府は被害者のための努力もしなかった」とし「国家賠償訴訟を通じて一人でも被害事実が認められる場合には、政府が責任を持って出るしかないだろう」と見通した。


ー以上ー



<参照>



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