シャボン玉のブログ

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「イスラムの胎動」~2017.8.23キングスレポート中より~

2017.8.23キングスレポート中で紹介されたビデオを、ティムエルダー本部長の説明と合わせて11分ほどでまとめたものを紹介します。
イスラム教の起源について語っています。



基督教長老会李マンソク宣教師

■イスラムの胎動

 (日本語字幕 11分半)


ムハンマド(무함마드570年頃 - 632年):

イスラーム教の開祖。モハメッド、マホメットなどと呼ばれることが多かったが、近年では標準アラビア語の発音に近い「ムハンマド」に表記・発音がされる傾向がある。なお、「ムハンマド」はムスリム(イスラム教徒)の典型的な名前でもあるため、区別のため「預言者ムハンマド」と呼ぶ場合がある。


イスラム教

(日本の)高等学校世界史教科書では「イスラーム」の表記が用いられることが増えた。


ムスリム:イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)


▼ティムエルダー世界本部長


李マンソク宣教師は、ソウル長老会綜神大学院卒業、イラン宣教師派遣、イランテヘラン韓国人教会担任牧師、それがイランの唯一の外国人教会でした。そしてイランで最初に賛頌歌(さんしょうか=賛美歌)公会を設立しました。韓国の福音聖歌を直接イラン語に翻訳。本人独唱のCDテープは制作、全世界のイラン人に普及、愛唱されています。


イスラム教では歌を歌わないそうですね。


(音楽がないということです。幼稚園から大学まで、クラスに「音楽」「ミュージック」というレッスンがないということです)


その理由は、ムハンマドが歌を歌わなかったからですね。


(ムハンマドがする通りにしないといけないから)


旺盛な宣教活動により、イラン政府から、在留延長許可が出ないので、韓国に帰国後、韓国イラン人教会を建て、担任しながら全世界を周り、神学校教団、老会(長老会)、宣教団体、教会集会を通じてイスラムの正体を知らせ、世界教会を目覚めさせる為に、英語・イラン語で事役(じえき=御業)をしている。


著書は、「私の愛するイラン」、「イラン語福音聖歌百曲集」、「ペルシャ語実用会話」、「イスラムハンドブック」、「ムハンマドの啓示はなぜいつも変わるか」、「ベイルを脱いだイスラム」。


現在は、4him.or.krのサイトに行けば、この方のコラムも出ていて、イスラム教を正しく知る内容がたくさん出ています。


今日は、ユーチューブの5つある中の4番目、それも1時間以上話された内容ですが、最後の20分だけ、皆さんに紹介しようと思います。題目は、「イスラムの胎動」。2016年7月5日に講義された内容です。

▼李マンソク宣教師


メッカから迫害によりメディナにに逃げた年、622年、これがイスラムという宗教が生じた年です。ムハンマドが、メッカからメディナに移動、移住、移民、つまり、「ヒジュラ」したこれが、イスラムの胎動です。イスラムはいつできたのか、622年にできました。何を契機にできたのか。


ムハンマドとその一団がメッカからメディナに引っ越ししてできました。移住のことをヒジュラと言います。それがイスラム暦の元年になりました。622年に引っ越しをする時、ムハンマドが徹底した律法を定めて自分に従う者たちにメディナ憲章というのを作って、ムハンマドに徹底して服従する、ムハンマドが「行って死ね」と言えば行って死ぬ。ムハンマドが「戦え」と言えば戦う。そうして、軍人のようにサッサーと動くように作ったのです。


ヤスリブという町の名前をメディナという先知者の都市に変えて、そこですべての政策を変え始めたのです。そこで定着して18カ月の間、見たら、周辺にユダヤ人の部族たちが多いのです。そのユダヤ族たちを自分たちに引き込もうと、それで、「私が啓示を受けた内容は、聖經(せいけい=聖書)にある内容と同じである」、「私が仕えるアラーはお前たちの神様と同じ神である」と言いました。


ユダヤ人が一日に三回ずつエルサレムに向かって祈祷するのを見ました。それで(ムハンマドが)、「私たちも同じ神に仕えるからエルサレムに向かって祈祷する」とムハンマドがエルサレムに向かって祈祷しました。それで、人たちが、「あれ、どうしてエルサレムに向かって祈祷しますか」と言ったら、「無条件従え」と言って、エルサレムに向かって祈祷しました。


18カ月の間、「同じ神だ」「同じ経典だ」「同じ聖殿に向かって祈祷する」と言っても、ユダヤ人たちが(ムハンマドの)啓示を受けたという内容を聞いたら、聖經の内容とまったく違う内容を言うので、「彼(ムハンマド)は神の聖者ではない」と排斥をするのです。

(ムハンマドは)18カ月でメディナの総統治者となったので、力(ちから)が生じたのです。経済的な力も生じ、軍事的な力も生じ、宗教指導者として霊的な力も生じて、だれを恐れることもない途方もない力を持った統治者となったのです。


それで、「ユダヤ人たちを排斥せよ」という啓示が降りたというのです。その時はコーランという本はなかったのです。啓示を受けたという話だけあったのです。


「私(ムハンマド)が受けた啓示と彼ら(ユダヤ人)が持っている経典と、差異がある理由は、彼らは原本を忘れて、経典を堕落させたので、それで差異が出てくるのである」


「私が持っている原本は、天の持っている原本を啓示受けたものである」。ムハンムドはこのように言いました。「今から私たちがお前たちを保護してやるから税金を納めよ」


彼らはびっくりしました。「私たち(ユダヤ人)は今まで数百年間この地に住みながら、誰も侵略したことはないし、誰も攻撃されたことはないのに誰から私たちを保護すると言うのか」。


…というとムハンマドが、「私が殺さないから税金を出せ」というのです。「三つのオプションをやろう。第一は、私に はむかって死ぬか。第二は、税金を出して平和に暮らすか。第三は、この地を去るか。三つの中の一つを選べ」


彼(ムハンマド)らたちは重武装して来ているから、(ユダヤ人たちは)「私たちが去ります」と答えました。


(ムハンマドは)「去るなら、武器を持たずに去れ。手に持てる物だけ持って行け」。そうして平和に暮らしていた(ユダヤ人の)ナディル(Nadir)族がその地を去りました。その周辺のユダヤ人部族に行って、いっしょに暮らしました。


その周辺にクライザ(Qurayza)族というユダヤ人部族がありました。そこに行って話をしたら、クライザ族が、「ムハンマドがいつ私たちを苦しませるかもしれないから、私たちがアラビア半島の最強のクライシ族と同盟を結ぼう」と同盟を結びました。


同盟を結んだという話をムハンマドが聞いて、「このままではだめだ。あいつらを燼滅(じんめつ)させなければ」と。そこでは、クライシ族とクライザ族は距離が離れているので、「突然、襲いかかって、男子をみんな殺して、女子たちはお前たちの勝手にしろ」と、攻撃を命じました。


男子たちを捕まえて、穴を掘らせて、大きな深い穴の前に立たせて一人ずつ首を切って突き落としました。一人ずつ一人ずつ穴の手前で首を切って穴に入れてしまいました。穴の中には首が切られた死体が血だらけになってもつれているのです。


その女子たちは生かして捕まえてありますから、女子の中で一番きれいな二人を選びました。その一人の女子に、「穴を回って見よ」。その女子が穴を見たら、自分の夫や父や兄弟がみんな死んでいるのです。だからその女子が座って頭を叩きながら、土をかぶって慟哭(どうこく)をしたのです。ムハンマドは、「サタンの女を消せ」と言って殺させました。そして二番目の女子に、「お前も一度回って見よ」。その女子は回って泣いたら死ぬということがわかっていたので、泣かずにただ回りました。


そしたら、ムハンマドは、自分の上着を脱いで、その女子にかぶせて着せて、「この女子は私の物だから触らずに、お前たちは適当にくじ引きで分けよ」と言ったので、くじ引きで分けました。


この女子にムハンマドが言いました。「お前は奴隷なので、殺すこともでき生かすこともできるし売ってしますこともできる。私の思いのままである。しかし、特恵を与えよう。お前がもしユダヤ教を捨ててイスラムを受け入れるなら、奴隷の身分から自由人の身分に身分を変えてやろう。そして終身、私の妻にしてやろう。そうするか?」


自分の夫を殺し、自分の父を殺し、自分の兄弟を殺した張本人が、自分を妻にするという話に、その女子は、「私はできません」と言いました。殺すにはもったいない美貌を持っていたのか、「だったら、いつも寝床の横にいて、呼んだらいつでも上がって来い」。そうして性奴隷としました。その女性の名前は、レイハナ(Raihana)と言います。「レイハナという名の者がムハンマドの家で一生、性奴隷として暮らした」…歴史の記録です。


とにかく、イスラムという宗教が、こういうふうにして、ムハンマドが結局、軍人1万人を率いて、メッカに入って占領し、メッカの中に入っていた360個の偶像をみんな壊して、そしてこれはただアラーの神殿であると宣言したのが630年です。


そうしてムハンマドが632年に死にました。632年に死んだ時に、その時にコーランという本はありませんでした。しかし後で、ムハンマドが啓示を受けた内容を覚えている人がよく戦場で死ぬので、このままではコーランがなくなってしまうと、覚えているものを集めてムハンマドが死んで数十年過ぎて、コーランという本が編集されたのです。


それで、イスラムという宗教が生じたのですが、イスラムという宗教がどれほど虚構的な宗教で、どれほど残忍な邪悪で刀で占領しながら、勢力を広げてきたかを皆さんが知っていれば、備えるのに助けになると信じます



編集 賽博聖殿(サイバ-せいでん)





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