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姜賢実先生の自叙伝 ;6章 付録 心情の交流 14. 崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士(クォンサ)への追悼の辞

2000年8月24日、87歳で天国に向かわれた崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士(クォンサ)ニムに、康お母様が送られた追悼の辞です。


これを読み返しながらふと思ったのは、康お母様は次々と霊界に先立っていく友を送りながらも、お元気でいてくださったことに感謝であり、そしてアメリカ本部のサンクチュアリに行かれてからは、さらに力強く私たちに御言葉を語ってくださることにまた感謝です。神様とお父様がこの日のために守って導いてくださったのだなとしみじみ思いました。


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6章  付録 心情の交流
▲ 崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士(クォンサ)への追悼の辞


崔貞順(チェジョンスン)勧士(クォンサ)の霊前に捧げます。


崔勧士、天国に向かって行かれる道を楽しく行って下さい。「崔先生」と呼びましたが、答えをされないので、本当に幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にされたのですね。
私にやさしく答えて下さり、いつも笑顔で多くの面で指導して下さり、私には真に忘れることができないたくさんの追憶を抱(いだ)かせて下さったことを、今日は霊前の前に感謝し、また感謝いたします。


2000年8月24日、87歳で天国に向かわれる崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士(クォンサ)!
たくさん愛し精誠を尽くしてりっぱに育て上げたあなたの娘さんと義理の息子さんたち、孫たち、また、平素から崔勧士を尊敬して愛してきた霊の子女たち、協会長と多くの食口たちが天国に行かれる壯途(そうと)を歓送する為にここに集まりました。
ここで多くの花輪も行かれる道の前に共に笑い歌を歌っています。


また、その上に、神様と真の父母様が霊的にここに来られて、「私が愛してきた私の娘よ!」と言われ歓送しておられることと信じます。


まず、真の父母様が崔勧士の聖和の消息に接せられた時、多くの考えをされたことと思います。御旨の前に、誰よりも精誠を尽くしてすべてのものを投入し、また、学校からの犠牲を受けた時代を考えられたはずです。


崔先生は統一家の歴史の前に永遠に見本になられる足跡をたくさん残され、真の父母様もまた感動されたことが多かったです。1965年10月28日、真の父母様が春川(チュンチョン)教会に巡回に来られた時、「人類之尊貴 天父之心情(人類に尊いことは、天の父母の心情)」という揮毫を授けられたこともあります。今、この時間にも真の父母様が良いところ、明るいところ、貴い所に勧士(クォンサ)ニムを歓送しておられます。


崔勧士(クォンサ)ニムの一生は平坦ではありませんでした。日帝時代の恐ろしい圧迫の中で蔑視と屈辱と冷遇を受けられながらも信仰を守ろうと多くの涙を流されながら精誠の祭壇を築かれました。


解放後、残忍無道な共産主義体制下でも、自由を慕いながら、正道の道を行かれ、いつでも「国と人類のために何をしようか?」と言われながら祈って来られた生涯でした。


崔勧士ニムは1955年3月1日に崔元福先生の導きで入教されました。その時、食口は、皆合わせても50人にも満ちておらず、教会は興仁洞(フンインドン)にありました。


崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士ニムに私が出会ったのは1955年の春でした。
その時の第一印象は、イエスをよく信じている信仰者であり、また、剛直で粘り強いながらも謙虚に見えました。そこに、知性美があふれる平和な姿でした。その姿には、多くの人々の心を喜ばせ平安にしてくれる内容を持っておられるように見えました。


その時、崔元福(チェ・ウォンボク)先生が喜びの色が満面にあふれた姿で崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士ニムを紹介して下さいました。梨花女子専門学校を出られ、また、篤実(とくじつ)なクリスチャンとして、為に生きる方で、既成教会でも奉仕生活を多くした方だと紹介して下さいました。


その時、誇りながら紹介していた崔元福(チェ・ウォンボク)先生の姿を見ながら、崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士ニムが、そのように誇られる資格を十分に持っておられる方であることを自然に感じることができました。


後で聞いた話ですが、崔勧士(チェクォンサ)ニムは監理教会の勧士として高校で教鞭をとっておられ、熱心に主を信じ、兄弟たちの為にすべてのものを捧げても惜しまない人として、教会で信仰の兄弟たちからの信任と愛を一身に受けながら生きて来られた方であったということでした。


その時は草創期だったので、誰かが入教したとすれば、うれしい気持ちよりも、「この道は平坦な道ではないのに、果たして彼らがすべての困難と苦労、そして迫害を克服することができるのだろうか?」という心配が先に立ちました。同情と涙が先んじてあわれにまで思いました。


その時、勧士ニムはほぼ毎週日曜日に、原州(ウォンジュ)からソウルに礼拝を捧げる為に来られました。心霊がやるせなく一人であまりにも寂しいのでお父様のお話を聞かなくては耐え忍ぶことができないと言われました。


崔勧士ニムと握手で挨拶をするたび話はしなくても無言で授け受ける大きな力が作用しました。その出会いの握手と汚れのない純粋な笑顔は、形式や儀式、あるいはある決まりに縛られて仕方なくする握手ではありませんでした。確かに、心と心が通じ血と肉から湧き出てきた真実なる真の愛の握手でした。


昔の独立軍は、一国の独立の為に命を惜しまず捧げましたが、我々は、この地の上に神の国と神のその世界を探し立てるために召命を受けた者たちですから、何を惜しむことがあるでしょうか?我々は、真の主の御言葉に暗い地を明るく照らす天の働き手であり、天の密使と言いながら手を握ってその日まで命をかけて戦うと固い決心をしました。


崔貞順(チェ・ジョンスン)先生の前では、老若男女(ろうにゃくなんにょ)を問わず、頭を下げてまた仰いで見ながら尊敬しました。そして、なぜかわかりませんが、多くの人々の心を愛で占領して感動させて泣かした方です。


崔勧士が真の父母様について証しをすると聞く人たちは完全に共鳴呼応して、「その通りです」と決心するようになったことを私は見ました。


崔勧士は御言葉を聞くとすぐ伝道に火をつけました。崔勧士の義理の兄である權(クォン)チャンリム長老が神霊役事をするというので、私と崔権士が大田(テジョン)に下りました。崔勧士と一緒に講義をしましたが、彼は必死に反対したので、そこから追い出されました。私たちは、伝道というものがやはり難しいことを感じ、食口がより貴いことを実感し一つになれる心を持ちました。


今霊界に行っている權長老のことを言っているこの時間に、彼は霊界で胸を叩きながら、昔、必死に反対した時を悔いていることでしょう。


1956年5月1日に崔勧士の招待を受け、原州に行って原理講義をしました。その時、勧士ニムは、4人の娘さんたちと一緒に学校の官舎で生活しておられました。しかし、あまりにも既成教会から迫害が激しく、学校の寮で講義したことが原因でその後、学校から退職処分を受けることになりました。


学校を退職した後に上京した時のその姿が、今でも私の目に鮮やかです。内的外的に多くの苦労をして来られたので蒼白な姿でした。その時私は心で祈りました。「神様と真のお父様が愛する娘崔權士をして、堕落して子女を失って孤独に摂理してこられた神様の心情を体恤させられ、真のお父様が歩まれた獄中路程の困難に比べたら、今は易しい道であるということを感じさせて下さい!」と祈ったのです。


退職処分を受けてから四人の娘さんたちに最高学府を終えるように教育したのですから言葉で言い表すことができないほど大変だったでしょう。どんなに大変で苦しくても、子供たちを教育して天が望み国が望む位置に立てるという固い意志で一貫して生活して来られました。結局、崔勧士でしたから勝利されたのです。そのようにしながらも、実の娘よりも、食口たちをより愛されたし、真心から食口たちの世話を尽くして来られました。


今は、そのすべての志(こころざし)を成されたりっぱな娘たちの母になられ、義母になられ、ハルモニになられ、また統一教会の標本的な大きな賞を受けても余りある本当に勝利された崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士であられます。


私は、崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士と45年間この道を歩んできました。
1971年江原道(カンウォンド)を巡回していた途中で、春川(チュンチョン)教会で勧士にお会いしました。その時、崔勧士は私にこのような話をしました。「賢實(ヒョンシル)さん、今江原道の状況を見ると、まことに涙ぐましく心が傷みます。しばらく前に原州(ウォンジュ)に行ったのですが、15年前に私が教会を開拓したときに麦飯に真っ黒な味噌塩汁を食べたのですが、今でもやはり同じように麦飯に塩汁をそのまま食べているので、どうしたらいいでしょうか?」と言いながら声を詰まらせました。私たち二人は、そのことで痛哭したことがありました。


その時、お互いにこのような話をしました。「私たちの心の姿勢が問題です。統一食口たちが本気で死を覚悟して決断して、自分を完全に否定して神様と真の父母様の御旨に狂った位置に立たなければなりません。どんなに恐ろしい困難と迫害が迫って来ても、真の父母様の苦難の路程に比較できないことを感じて何事にも感謝する心で克服しましょう」と言いました。


勧士ニムは、不撓不屈(ふとうふくつ)の闘志で、貧困の中で戦って勝利され、その恐ろしい迫害と反対も戦って勝利され、自分とこの世とサタンとの戦いに勝たれ、天と地そして後孫たちの前に大きな指標になられました。


今再び崔貞順(チェ・ジョンスン)勧士(クォンサ)と呼んでも幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にされ返事をされません。10年でももっと生きられたらよかったのにと欲張ってみても、今はあの国に行って一緒に会うことを約束してみます。


先んじて、霊界に行かれた興進(フンジン)ニム、大母(テモ)ニム、李相軒(イ-サンホン)先生、劉孝元(ユ-ヒョウォン)先生、朴奉愛(パクボンエ)先生、金永雲(キムヨンウン)先生、金順華(キムスンファ)局長など、私たちの先輩たちがどれほど喜ばれるでしょうか?


今霊界では、崔先生を受け入れる歓迎会に奔走(ほんそう)していることでしょう。崔先生、大きく霊的に役事され、一日も早く真の父母様の世界を創りましょう。大きな期待をかけてみます。


最後に、崔勧士ニムからもらった手紙三通を保管してきましたが、その中で一番最初に送って下さった1956年の手紙を読んで差し上げることによって、その当時の崔先生の心情と立場を回顧してみます。



親愛なる賢實さんに


この時間も御旨に向かい不屈の心情をもって、サタンを相手に戦われる凛々(りり)しい姿が、よりお父様の愛を受ける結果として表れるでしょう。


知らせは時々、聞いていましたが、今ごろは食口もたくさん増えたことでしょう。こちらもご存じのように、真理の芽が出てから長くなりましたが、昨年夏の試練と共に冷たい霜が降った後、ほとんどなくなった状態にあったものが、家を建てるとともにギョンギュさんが来て活動し始めると、サタンも呼応して、すでに熱烈な戦いが始まって数カ月、まだ継続して昨年の梨大(イデ)事件を繰り返して問題を起こしていますが、最後の勝利は私たちに来るべきでしょう。


既成教会や反対する学校の頭目たちが三位基台を造成し、休まず反対役事をしており、私が転職すれば教会が立たないだろうと誤算していますが、今回だけは譲歩せずに教会を建てると言いました。


御言葉を聞いてもすでに出て行った者が多く、さらに大変です。賢實さんが撒いて行った種のような学生が、今は本当に熱烈によく戦っています。春川(チュンチョン)に行っても種を蒔(ま)いて栄光を返しています。続々と我々は任された事に使命を果たしてお父様の怨恨(えんこん)を一刻も早く解いて差し上げるべき者たちではありませんか?


先生は地方に巡回に発たれたという知らせを聞きました。昨年の受難期に涙を糧として過ごしてきた涙ぐましい姿が一つ一つ頭に浮かび、その後は蕩減であるのかどうか食口が増えません。


どうぞよく闘って大田(テジョン)に一番大きな教会を建てられ、お父様に栄光を返されることを願います。


1956年8月13日、崔貞順(チェジョンスン)より


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最後のこの手紙で追悼の辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。


2000年8月26日、サムソン医療院で



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