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姜賢実先生の自叙伝 ;6章 付録 心情の交流 17.崔元福先生への送別の辞

6章 付録 心情の交流
▲崔元福先生への送別の辞


信愛忠母(シンエチュンモ)ニム、崔元福先生の霊前に捧げます。


崔先生!天総官(てんそうかん)・興進(フンジン)ニム、榮進(ヨンジン)ニム、惠進(ヘジン)ニム、喜進(ヒジン)ニム、大母(デモ)ニム、そして先に逝った食口たちがおられる天国に向かって行かれる道、楽しく行って下さい。


崔先生。このように呼びますが返事がないのを見ると本当に幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にされたのですね。


崔先生。今、この場に生きておられる天の父母様と天地人真の父母様が来られました。


天一国6年1月15日午後2時40分に91歳を一期(いちご)に天に向かわれた崔元福先生、あれほど愛され精誠を尽くして立派に育て立てた息子さんとその奥さんたち、そして孫たちがここに来ました。


そして、平素に崔先生を尊敬して愛してきた黄会長の信仰の子女たち、そして、多くの食口たちと弟子たちが崔先生が天国に行かれる壮途を歓送する為にここに集まりました。ここには多くの花輪も崔先生が行かれる道が華やかであることを喜んでいるかのように飾られています。


まず、天地人真の父母様が崔先生の聖和の消息に接せられた時、多くのことを思い出されたでしょう。統一家の他の誰よりも多くの物を捧げられ、家族から反対を受け、学校から退職させられ、社会から地位を奪われ犠牲を払われたその時の事を思い出されたことでしょう。


統一家の歴史に永遠に見本になる足跡を残されるたびに、天地人真の父母様が本当に多くの感動を受け感激されたことが多かったでしょう。天地人真の父母様が、崔先生がより良い所、明るい所、貴い所、高い所へ行かれるようにと、この時間に歓送しておられます。ここに多くの食口たちも参加しています。


崔先生の一生は平坦ではありませんでした。日帝時代の恐ろしい圧迫の中で蔑視と屈辱と冷遇を受けながらも、国の将来の問題をおいて心配し多くの涙を流して祈って来られました。光州学生運動に加担され、開城(ケソン)学生独立運動の首謀者として40日間投獄されて、ひどいムチと拷問で苦痛を受けられました。実に国と民族を愛した心は崔先生の血と肉と骨の中から湧き出た心情の発露でありました。


解放後、残酷な共産主義体制下でも、自由を求めながら人生の正道を歩まれ、いつでも「国と人類のために何を残して逝くか」と言われ、毎日焦燥した心でそわそわしながら、精誠を込めて来られた驚くべき偉大なる愛国忠情に燃えられた師匠であられました。


崔先生は1954年以前には、多福な家庭生活をされました。神様の真の御旨を知られた以後からは、学校からとうてい言葉で言い表せない反対を自身の力で克服することが本当に困難でした。それでもいつも謙遜にひざまずき、神様の御旨成就の為に、民族と国と世界の為に懇切な心情で祈祷して来られました。神様が知っておられ、真の父母様が記憶しておられます。


1954年冬のある日、梨花女子大の教授が訪ねて来られたと言われ、台所にいた私と別の食口が戸の隙間から覗いてみたら、背がまぶしいほど高く、あまりにも美人で清い美しさを持たれた崔先生が見えました。私たちはその外見にただ圧倒されてしまいました。


6カ月間伝道がされていなく悩んでいた時だったので、心の中で食口になれば良いと思っていましたが、崔先生が毎日のように訪ねてきて講義を聞いて行かれたその明るい顔と姿がさらに明るく見えました。私はその慈(いつく)しみ深く明るい声を聞きたくて帰って行かれるたびごとに外について出て挨拶をしました。崔先生は入教されてすぐに学校の先輩であった崔貞順(チェ・ジョンスン)先生を1955年3月1日に入教させたりされました。


崔元福(チェウォンボク)先生は、真の愛で本当に人を愛した情の所有者であられました。このような言葉を言ったら、ここに集まった人々は皆頭を下げて正しい言葉だと言うでしょう。統一家では、どこの誰も例外なく崔先生の人格を尊重すると思います。


真の父母様も「信愛忠母 崔元福師」と揮毫を下さり、信仰と愛と忠誠を尽くした崔元福師匠であると証して下さいました。


崔先生が神様を信じてきた信仰は真(まこと)に絶対的でした。崔先生は夫よりもお父様を絶対的に信じられました。なぜこの言葉を捧げるのかと言うと、崔先生が行かれる道に、間違っていたことをすべて許して行かれるなら、より軽くなるような気がするからです。


草創期に誰もが問題が生じたり、心情が暗くなる時、崔先生を訪ねて行って、その事情を話せばいつも痛快にすっきりと解決してくれました。崔先生を訪ねて来るとき、人々が泣き顔で来ても、帰る時はみんな明るく笑いながら帰って行きました。すべての問題を話していた人々と同じ立場と心情で一緒に泣かれなだめて下さったからです。母が娘を愛する真の愛が動機となっていたので、石のように固まった心までも溶けたのでした。


コディアックの真の父母様が、「石博士(ソクパクサ)、お母さんはどうなの?」と尋ねられた時がありました。石博士は、「病院にそのままおられます」と言ったので、お父様が、「人類の過ちの為に、犠牲の荷物をまだ背負って行かなければならないんだね」と語られたことを私も聞きました。崔先生は堕落した世界のカイン的な母としてすべての人類の為に苦痛の十字架、悲しみの十字架、怨恨(えんこん)の十字架、罪悪の十字架を背負って行かれる方だと思いました。



苦労して過ごしていた日々に、私はすべてのことを崔先生と相談しました。ある日は、「泥棒が入ってあったお金をすべて持っていきました。」と申し上げたら、哀れだという表情で盗まれたお金の10倍にもなるお金をいただいたこともあります。今も、「崔先生、ありがとうございます。」という心で生きています。


青坡洞時代にあったことです。いつも崔先生は気を休めることができず緊張して見えました。お父様がどこに行って帰って来られるとすれば、崔先生はびっくりされ、その準備のために精誠を尽くされました。その時から、崔先生はお父様を平和の王、万王の王として侍っておられたのです。真(まこと)に救世主であり、メシヤであり、再臨主である真の父母様に侍っても余りある方です。


それほど懇々とした心情でお父様を補佐し、食口たちを愛してきた方です。残念なことは、もう少し生きて真の父母様が実際に世界的に平和の王、万王の王として登極(とうきょく=王の位につく)されることを見て逝かれたらどれだけいいかということです。


崔元福先生が霊界に行かれることにより、霊界も地上も大きく変わるでしょう。この世は本当に真の父母様を天地人真の父母様として知ることができるよう変わるでしょう。この世の国と世界が真の父母様の前にこれから雨後の筍(たけのこ)のように集まってくるものと信じます。その世界は永遠無限の世界です。私たちが慕い憧れていた世界です。


最後に、崔先生とあの国に行って会うことを約束し、また、先に逝かれた私たちの先輩たちがどれほど喜ばれるでしょうか?一番待っておられた方は、釈迦世尊(しゃかせそん)様であられます。一緒に喜んで下さい。


今霊界では、信愛忠母(シンエチュウンモ)ニム崔元福(チェウォンボク)先生の歓迎会に奔走(ほんそう)しているでしょう。崔先生!大きく役事して下さり、一日も早く地上にも霊界でも真の父母様の世界として創りましょう。大きな期待をします。逝く道、どうぞ気をつけて安らかに行って下さい。昔の同志たちにもよろしくお伝え下さい。感謝します。


2006年1月19日


姜賢實 拝


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