シャボン玉のブログ

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聖書の正当性 1「聖書を愛することは真のお父様を愛すること」

2016年7月20日(水) 韓国語説教「聖書の正当性」から李妍雅祝師長の講義52分です。
youtubeは最初の8分です。
ビデオ中の字幕は韓国語の漢字をそのまま使って直訳になっています。
残りは2、3回くらいに分けて訳をアップするつもりです。


성경사랑! 참아버님사랑!



<亨進様>

7年の審判時代を通しながら、これらの膨大な危機と戦いが起こりますが
その時代の後に、キリストの三代王権と、私たちはアブラハム、イサク、ヤコブ三代。
アブラハムは国の約束をもらいますが、ヤコブまで国がありませんでした。三代。


私たちは今、この時代はイサクの時代です。
イサク時代はどのような覚悟がなければなりませんか?
皆さん、私たちは祭壇に上がって、私は死んでもかまいません。アボジ。

そのような心で国を見つめなければなりません。
祭物。祭物。

このような状況の中で神様のみ言葉と、イエス様、
お父様のすべての基本的内容である聖書の内容を理解する必要があります。
今学期も聖書の勉強をたくさんします。
皆さんも聖書の勉強をたくさんした方はおわかりでしょう。
聖書をより多く知れば知るほど、お父様をより愛するようになります。

「ああ、お父様が来られるために、これほど多くの凄まじい内容を経て来なければならなかったのか。神様はこのように凄まじい内容を経て来なければならなかったのですね。」
神様の心情と恨(ハン)をより理解するようになります。


特に文化相対主義の偽りの現代、哲学者であり偽りの共産党の教授らが、
愚かな若者たち、ソウル大、延世大の愚かな者たちに文化相対主義の哲学を教えています。それらの内容を通して「イエス様は現実の人物でもない」という内容も出ています。


ですからこの時代、特に若者たちはイエス様に対する現実性と、イエス様は本当に神様の代身者、そしてメシアであることをはっきりと知ることがとても重要なのです。
そうしてこそ、このPPTを作った、、ギデオン・ラウチという青年が作ったのですが、
私たちはそれをすべて韓国語で翻訳し、妻が聖書の勉強を前学期に教授もしたので、
今回その内容を報告するようにと言いました。
李妍雅祝司長が出て来る時に大きな拍手で歓迎(笑)


<李妍雅祝司長>

ありがとうございます。亨進様がお話されたように、今日は聖書の正当性について、
パワーポイントで、、2世のギデオン・ラウチという方がこれを作ってくださいました。これを私が今日は報告する次元でしようと思います。英語のパワーポイントをメテュー・ゴウという方が韓国語翻訳を手伝ってくださいました。もう一度感謝致します。
拍手もしてくださいますね。拍手をもう一度お願いします。
感謝しながら、では始めましょう。


聖書の正当性です。「イエス様を信じる準備をしましょう。」このようにあります。
聖書を愛することは真のお父様を愛することです
なぜ聖書を愛することが真のお父様を愛することなのか?



一度、お父様のみ言葉を読んでみましょう。


皆さん。真の父母様はすでに人類のための遺言を準備し残しました。
一生に六、七回も生死を行き来する獄苦を払いながらも勝利して準備した遺言書です。
永遠の人類の教材 - 教本として八種類の本を残しました。
巻数で言えば、1千余巻を超える分量です。

あまりにも有名なお父様の「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の時に話されたみ言葉ですね。
ではその八冊とは何か? 一つ目。「文鮮明先生み言葉選集」です。 600余巻以上ありますね。ところで、お父様の草創期のみ言葉を見てみると、常に聖書から始められています。そしてずっとみ言葉を見ていけば、もちろん、神様のことをお話しされ、神様を中心とした家庭をお話しされていますが、無数のみ言葉の中に聖書を引用されています。
「死なんとする者は生き、生きんとする者は死す。」いろいろとたくさんありますね。


そして「原理講論」でも930回聖書を引用しています。
もちろん重複する聖句もありますが、原理講論は930回聖書を引用しているので、
聖書を知らなければ、私たちはお父様を知ることができません。
そのため聖書を愛することは、まさに真のお父様を愛することなのです


「天聖経」も同じでしょう?最初に神様で始まります。
そしてまた引き続き多くの聖書の一節を引用しています。


「家庭盟誓」では、神様が聖書で語られた理想家庭、すなわち、男性と女性が出会って子孫繁殖しながら、第1祝福、第2祝福、第3祝福の話をされています。


「平和神経」でも同じでしょう?お父様は神様を中心とした平和の時代を話されています。サタンを中心とした平和の時代ではないでしょう。当然そうですね。


「天国を開く門・真の家庭」ここでもお父様は神様を中心としたそのような理想家庭、一人の男性と一人の女性のそのような家庭を真の家庭だとお話しされました。


「平和の主人・血統の主人」も見てみると、神様の精子について話されています。
そしてまた、無数に聖書の人物を引用しています。
「ソドムとゴモラ」とか「カインとアベル」とか「アロンの杖」とか「芽が出てきて...」
このようなものもお父様がそこで多くの聖書の一説を引用されています。


「世界経典」では、真のお父様のみ言葉を引用しながら、また聖書の一節を多く引用しています。このように八種類の書籍です。


お父様のみ言葉にまた戻ってみると、


このように八種類の書籍です。この教本は皆さんが霊界に行っても読んで勉強しなければならない本です。決して人間の脳から出た言葉や教えではありません。天が可哀相な人類を救うためにくださった天道を教える教材、教本だからです。
(天地人真の父母定着実体み言宣布大会2010年12月4日)


このようにお父様がくださった八冊の八大教材教本が、すべて聖書を中心としています
聖書を知らなければ、私たちはお父様を知ることができません
ですから聖書を愛することはまさに何ですか? 真のお父様を愛することなのです



ー以上までがビデオの内容ー


ですから、今日のみ言葉の構造はこのようになっています。
事件と証拠資料が時間的にどれほど差があるのかを通して、聖書の正当性を調べてみましょう。ちょっと難しいでしょう?


ですから私がとても簡単な例え話を用意しました。


ソウル聖殿でもまもなくサマーキャンプをするそうです。
それでサマーキャンプをしました。全国から小学生が来ました。それで楽しくサマーキャンプをした後に、次の日の朝、寝袋で寝た子供たちがたくさんいたのですが、寝袋を片づける過程で寝袋一つが湿っていたのです。あぁ!誰かが寝袋におねしょをしたのです。


それで、先生がその寝袋を発見して「お前たち、この部屋で寝ていた子供たちは誰ですか!」それで犯人を捕まえました。チョルスがしたようでした。
チョルスの下着が濡れていたので、チョルスがおねしょをしたことがわかりました。


ですから、事件があったでしょう。おねしょをしたという事件がありました。
寝袋が濡れていたという証拠がありました。


ですから、その事件と寝袋が濡れていた証拠が時間的に短ければ短いほど、どのような事件なのか正確に知ることができます。


ところがもし寝袋を整理したけれども、先生がこれを発見できませんでした。
それで次の冬のキャンプに行きました。冬のキャンプに行って、寝袋を整理していたら、寝袋の一つに大きなシミがありました。しかし子供たちは皆、家に行き、6ヶ月前の話ですから、犯人は捕まえられないのです。ただ先生が黙って洗わないといけないのです。


そうでしょう?すでに事件から6ヶ月も過ぎているので、どのような事件で、誰がおねしょをしたのか、これが本当におねしょなのか、それすら知る由もなくなってしまうのです。


そのため、また読んでみるとですね。事件と証拠資料が時間的にどれくらい差があるのか、おねしょをした事件とその寝袋のシミ、証拠資料が時間的にどれくらい差があるのかを通して、聖書の正当性を調べてみる。


時間的に近ければ確かな証拠でしょうか?時間的に遠ければ確かな証拠でしょうか?
近くてこそ確かになります。


ゆえに聖書にはどれほどイエス様の事件があり、その事件とどれだけ近い証拠があるのかを見ながら、私たちは聖書がどれほど正確であり正当性があるのかを見ることになるでしょう。


二つ目は、聖書以外の二次資料を通して聖書の正当性を調べてみます。
何の話かというと、聖書は当然、イエス様が主であると話すだろうし、
当然、イエス様が奇跡を起こしたと話すだろうと、私たちはそのように考えるでしょう。
クリスチャンですから、皆、当然、イエス様が素晴らしいと、神様の息子だと言うだろう、、そのように考えるかもしれません。


しかし、一度見てみてください。イエス様の時代に、イエス様は私たちと同じように生活していました。ですから私たちが家にいれば、ヨンイのチョルス美容院のおばさんがいます。その美容院のおばさんは仏教徒です。


そうすると、「あぁ、イエスを信じてみたところでたいしたことないわ。」このように話すかもしれません。


「お寺に行くのが最高よ。一年に一度だけ行けばいい。」このように言うでしょう?
「お釈迦様が来られる日だけ行けばいい!ああどれだけ楽だろう〜ああこのままイエスを信じないでお釈迦様を信じなさい。」このように話すかもしれません。


それでまた、あっちのスーパーのミニのおばさんは無神論者です。
「ほら、一生の間、いい暮らしをしなくっちゃ、ここでもいい暮しができないのに、なんですって?霊界までも考えるですって。ただこのまま神を信じないのが最高よ。
ほら、そこの仏教もお金を捧げなければならないし、キリスト教に行ってもお金を捧げなければならないんだから、無神論が最高よ。」このように言われる方もいるでしょう。


それでこのような人もいるので、イエス様の時も同じなのです。
イエス様の時代に、イエス様を信じるクリスチャンたち、イエス様に従う人々は本当に篤実に、本当にクリスチャンとしてイエス様に従って行きました。命を捧げるくらいに。殉教するくらいに。そうでしょう?


しかし、ミニの家のような人もいたでしょう。無神論者もいたでしょう。
そして他の宗教を信じているヨンイの家のおばさんのような人もいたでしょう。美容院のおばさんもいたのです。「他の宗教がもっといい」このように話す人もいたでしょう。


それで聖書のほかに、二次資料、すなわちミニの家のおばさんのような人、
でなければ、私は何と言いましたっけ?向こう側にスーパーのおばさん、美容院のおばさん、そのような方たちの資料があります。そのような方たちの資料、誰ですか。イエス様がおられ、イエス様をとても嫌いだった人たちが、グループがありました。誰だったでしょうか?ローマ人がそうでした。ユダヤ人がそうでした。


なぜなら、ローマ人を考えてみてください。
「ああ、私たちの皇帝がいるのにイエスが王だって?」どれほど気分が悪いでしょう?
ピラト総督はローマ人でしたね?それでイエス様が王だというので、
それなら仕方がない、反逆罪だ。このようにして結局、後で殺すようになるでしょう。
もちろん、ユダヤ人たちがけしかけたこともありましたが、殺すようになります。
そのため、ローマ人たちはイエス様を非常に嫌いました。クリスチャンたちを非常に嫌いました。ですから、ローマ人たちの資料を見ていきます。


それが第二次資料です。またどのような資料を見るのかといえば、ユダヤ人たちの資料を見るつもりです。


ユダヤ人たちもどれほどイエス様を嫌っていたでしょうか。
私たちが選ばれた民族なのに、クリスチャンたちがしきりに、異教徒も信仰があれば選ばれた民族になるというのです。天国に行くというのです。


どれほど憎いでしょうか。ユダヤ人たちはクリスチャンたちがどれほど憎かったでしょうか。それで使徒パウロもユダヤ人、敬虔なユダヤ人だったので、そのクリスチャンを虐殺したのです。そのように虐殺して会心をしてイエス様を信じるようになるのです。


ですからそのような本当にイエス様を嫌うローマ人たちの資料。そして、キリスト教のローマ人の資料。ユダヤ人たちの資料を二次資料を見ながら、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


それで、私が話しましたね?イエス様の生存当時と遠くない時代に生きていたローマ、ユダヤの学者たちの二次資料を見てイスラエルの経典のほかに他の国の経典を見ながら、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


三つめは、聖書のみ言葉がどれほど唯一無二の信仰であるのかを通して、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


見てください。このような話もたくさん聞いたことでしょう。
ドキュメンタリーもたくさん出ています。
「ああ、この聖書はごちゃまぜだ。ああ、キリスト教はごちゃまぜにして作られた。
その時代に存在していたすべての宗教の良いところを一つづつ取ってきて作り上げて、
聖書、イエス様のみ言葉になったのさ。」このように話すのを聞いたことがあるでしょう?


しかし、なぜ聖書のみ言葉が唯一無二の信仰なのか?
その時代にそれを通して他の宗教はどうだったので、イエス様がこのようなみ言葉を話され、それを通してどれほど唯一無二の信仰なのか、なぜ、神様のみ言葉であるしかないのかを見てみましょう。



(つづく)



 

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