シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

●二代王「利己的な按手は呪いとなりえる」2019.2.13


文亨進二代王
●利己的な目的で按手を受ければ呪いとなりえる(日本語通訳, 8分半)


アメリカ世界本部における2019年2月13日の水曜礼拝は、天候が悪いという事で本部礼拝堂ではなく、天一宮のキングスレポートのスタジオで行われました。


この日のお話の内容は、聖霊役事についてでした。「多くの人達が自分が願う内容を持って、その為に祈祷を受け按手を受けようとする」と言われました。


『今行われている二代王の聖霊役事は清平役事とは本質的に違うのだ』ということをもう一度肝に銘じて、悟るよう願われているのでしょう。ご利益信仰に転落してはいけないということを。


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二代王:


祭物が斎壇に上がって、そして祭物が神様に捧げられる時、その時に祭司長が祭物の頭の上に按手をします。死ぬ直前に。そして首を切ります。


皆さんも按手を受ける時に死のうという心で、イサクがアブラハムに従おうというその心で按手を受けなければなりません。


利己的な理由と利己的な目的の為に按手を受けるようになれば、むしろそれは詛呪(そじゅ=のろい)呪いとなりえます。


ハナニムの栄光とアボニムの喜びの為に、私が死んで…。


生きようとする者は死に、死のうとする者は生きるようになる。死のうという心で私達は按手の場に行くのです。


多くの人達が自分が願う内容を持って、その為に祈祷を受け按手を受けようとするんだけれど、神様はもちろんその瞬間に治癒の役事をする事ができるんだけれども、その内容と理由が、神様に栄光と喜びをお返ししようとするものでなければなりません。


その祭物が斎壇に上がって、死を覚悟するその瞬間、祭司長が按手をしようと頭の上に手を置いて、その祭物が地に落ちて死にます。


私(自分)の愚かさや自我、そういう内容は死んでいかなければなりません。そうしながら、ハナニムの復活の役事を通しながら、私は死んだのだけれど、再び復活しながら主と共に起きなければなりません。



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●引用された聖句


レビ記1章1節から8節 (韓国語 改訳改訂 聖書の日本語訳)


ヨホワ(神様)は会幕でモーセを呼んで彼に言われた。


イスラエル子孫に言って言え。あなたがたの中でヨホワに礼物を捧げたいなら家畜の中で牛や羊で礼物を捧げなさい。その礼物が牛の燔祭なら、傷のない雄(オス)で会幕門でヨホワの前に喜んで受けられるよう捧げなさい。燔祭物の頭の上に按手しなさい。


それにより喜んで受け取られる事により彼のために贖罪になるだろう。彼はヨホワの前にその雄牛を屠(ほふ)ると、アロンの子孫の祭司長達は、その血を会見の会幕門の前祭壇四方にまくのであり、


彼はまた、その燔祭物の革をむき各部を切り取り祭司アロンの子孫は祭壇の上に火をつけて火の上の木を広げておいてアロンの子孫の祭司たちは、その切り取った各部と頭と油を祭壇の上の火の上にある木に広げて置くのであり


※日本語聖書(この二代王のお話のキーワードとなる「按手」という言葉はありません。「手を頭の上に置く」となっています)


レビ記1章1節から8節


01:01
主は臨在の幕屋から、モーセを呼んで仰せになった。


01:02
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちのだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。


01:03
牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は主に受け入れられるよう、臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、


01:04
手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。


01:05
奉納者がその牛を主の御前で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる。


01:06
奉納者が献げ物とする牛の皮をはぎ、その体を各部に分割すると、


01:07
祭司アロンの子らは祭壇に薪を整えて並べ、火をつけてから、


01:08
分割した各部を、頭と脂肪と共に祭壇の燃えている薪の上に置く。

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