シャボン玉のブログ

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悔いを残さない子女とならしめてください

おはようございます。今日は8月27日。
私には記念すべき1周年になります。そう、お父様の権威に戻る祝福を受けて
再び、お父様に戻ってこれた日です。
あっという間の1年。いろいろなことがあったけれど、自分がどれだけ成長出来たのか、前進できたのか、もしかして立ち止まったり、後退していないか、、^^; 
三代王権を証して、天の伝統を相続できる家庭になれるよう努力していかなければと動機を正す一日です。


1960年当時のお父様の祈祷文のひとつをカカオでいただきました。
検索しても、日本では出てこないようなので翻訳して共有したいと思います。
でもネットにはなくても祈祷文ではあるかもしれませんね。
足らない訳で申し訳ないですが、参考になればと思います。


日本語で「悔いを千載に残す」という言葉があるようです。
千載は千年と同意。 後々まで後悔することらしいです。
ネット辞典にちょうど、韓国語で「悔いを千載に残す(くいをせんざいにのこす)、천추의 한을 남기다(チョンチュエ ハヌルナムギダ)」意味とは_ 韓国語 Kpedia  と出ていました。それで、お父様の祈祷中の言葉が、これに対比されているように思え、「한=恨み)』とせず、『悔い』で訳してみました。


この当時、お父様は堕落人間の子女の立場に降りて
足らない子女たちに代わって、また願って祈ってくださっているようです。


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<한을 남기지 않은 자녀가 되게 하소서 >

<悔いを残さない子女とならしめてください>


아버지 !
저희는 가겠나이다.
저희는 자랑하겠나이다.
저희는 이 뜻을 품고 쓰러지겠나이다.


アボジ!
私たちは行きます。
私たちは誇ります。
私たちはこのみ旨を抱いて倒れます。


반대자가 아무리 많다 할지라도,
저희는 아버지의 아들 딸이고
아버지는 저희의 아버지인 것을,


反対する者がいくら多くとも、
私たちはアボジの息子娘であり
アボジは私たちのアボジであることを、


심정적으로 결속된 저희와 아버지의 관계를
어느누가 유린 할 수 있겠나이까 ?
이 절개 만을 자부하고 싶습니다.
이 절개 만은 천추에 남기고 싶습니다. 라고
할 수 있는 아들딸들이 되게 허락하여 주옵소서.
알려주신 은사 황공하옵니다.


心情的に結束した私たちとアボジの関係を
誰が蹂躙することができるでしょうか?
この
*節介だけを自負したいです。
この節介だけは千載(千秋)に残したいです、と
言える息子娘となれるようお許しください。
教えてくださった恩賜は恐れ多いです。


무지했지만 순종했던 선조들 앞에 면목이 없사옵고
순교자들 앞에 황공하옵나이다.
또한 돌아가신 독생자 예수님 앞에 황공하옵나이다.
보잘것 없고 자격 없는 저희에게 감당키 어려운 은사를 주셨사온데,
감사의 눈물을 흘리지 못했던 것을 용납하여 주옵소서.


無知でしたが従順だった先祖たちの前に面目なく、
殉教者たちの前に恐縮な思いです。
また、亡くなられた独生子イエス様の前に恐れ多いです。
取るに足らない資格ない私たちに余りある恩賜を与えてくださったのに
感謝の涙を流せなかったことをお許しください。


살아서 아버지 아들 되어야 함을 알았사옵고,
죽기 전에 아버지의 사랑을 높이 찬양해야 함을 알았사옵나이다.
하오니 한을 남기지 말고 한번이라도
그러한 아들딸이 되어
아버지를 모셔 보고 죽을수 있는
저희들 되게 허락하여 주시옵소서,


生きて、父と子になるべきを知り、
死ぬ前にアボジの愛を高く讃美すべきことを知りました。
ゆえに悔いを残さずに一度でもそのような息子娘になって
アボジに侍ってから死ねる私たちになれるようお許しください。


이것이 저희의 소원이요, 아버님의 소원인 것을 알게 하여 주시옵고,
아버님의 원수를 갚는 일이요, 사탄을 박멸하는 일이라는 걸
알게하여 주시옵기를 간절히 바라옵고 원하옵니다.


これが私たちの願いであり、アボジの願いであることをわからせてくださり、
父の仇を返すことであり、サタンを撲滅することであることを
わからせてくださることを切に願ってやみません。


하늘의 주관을 세울때 까지  참고 희생하고 양보하며 쓰러지면서도
이 뜻이 성취되는 한날을 위하여 목이 메이는한이 있더라도
 기도하면서 싸워 나가는 아들 딸들이되게 하여
 주시옵기를 간절히 부탁하고 원하옵니다.
세계 앞에 맡겨진 책임을 저희들이 단결하여
감당하고도 남음이 있도록 친히 같이하여 주시옵소서.
주님의 이름으로 기도하였사옵나이다.


1960 .1 .17 참아버님 기도문에서.


天の主管を立てる時まで耐えて犠牲を払い譲歩して倒れながらも、
このみ旨が成就されるその日のためにむせぶことがあっても、
祈りながら戦っていく息子娘とならしめてくださることを切にお願い申し上げます。

世界の前に任せられた責任を
私たちが団結して十分にやり遂げて余りあるよう
親しく共にいてくださいますように。
主の御名によりお祈りいたします。


1960.1.17 真のお父様の祈祷文より



*節介 : 節操を堅く守り、世俗に流されないこと
 節操:節義を堅く守って変えないこと。自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと





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