シャボン玉のブログ

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カリスマ性はリーダーに要求されるのか?

サンクチュアリの戻る祝福を受けて支持していながらも、
 家庭連合に留まっている多くの人がいます。


自分が今まで築いてきた位相、人間関係を壊してしまいたくないという思いもありますが、今のサンクチュアリに、引っ張って行ってくれる素晴らしい尊敬できるリーダーが立っていない。そういう人が見当たらなくて、物足りない。


それなのに家庭連合を出てそこに行ってがっかりして、またいろいろな問題にぶつかるよりもそれならこのまま家庭連合の中で時を待って、情関係を結んできた家庭連合の兄弟姉妹たちとの縁を大切にしておいた方がいい、そう考えている人たちもいます。


 「あの人がいるなら行かない」
 「あの人(責任者)は頼りなく見えて丈夫なのかと思う」
 「サンクチュアリの基盤はまだまだだから、人も連れていけない」


 私はリーダーでもないし、自由と責任で選択してやっていくものなので
 どうこう言えるものでもありませんが、
 話を聞いていてしっくりこない苛立ちを感じました。


エルダー本部長の報告で、本部では現地について一切口を挟まないとありました。
 自分が気に入った尊敬できる責任者がいれば、そこに行けばいいわけですが、
あたりを見回してもそういう人が見つからない場合は家庭連合にそのまま残っているのが得策なのでしょうか?


 家庭連合とサンクチュアリの二足の草鞋を履いて、二つに半分づつ献金していく生活をして、、?


 自分が所属したい場所がなくても、家庭連合から出て、自宅で、または気の合う人たちで集まって家庭教会礼拝、訓読会をやっていけると思うのですが、
それよりサンクチュアリとバレないように静かにして家庭連合に残って通っていたいようです。大きな組織の魅力なのでしょうか?


 亨進様がおっしゃる、天一国時代は過去の統一教会の時代とは違うわけです。
 自分と神様、お父様との関係であって、
 組織の責任者はいますが、そこに何を求めているのかだと思うのです。


 強いリーダーが立って指示したり、強く引っ張って主管していく時代とは違うのではないでしょうか?
もちろん、魅力ある素晴らしい尊敬するリーダーがいたらいいでしょうが、
 一人一人が主人意識をもって、それぞれに神様が与えてくださったタラントを発揮して
補いあってやっていけたらいいのではないでしょうか?


リーダーに何を求める?カリスマ性あるリーダーを求める?
 確かに顕進様に、2世教育のシステム、人材など、
 羨ましい見習うべきところは多いです。
これからシステムも充実させて築いていかなければならないでしょう。


ところで、果たしてカリスマ性ってリーダーに必要不可欠なものでしょうか?



要求されるもの?
リーダーになろうとする者の心構えと、リーダーを迎える立場の姿勢、違うと思います。
 自分の考えを整理して上手くまとめられないので、ネットで検索したら、
 下記のようなものがでてきました。一緒に考えてみませんか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・


ドラッカー流、リーダーシップとカリスマ性の意外な関係の特徴 より抜粋


リーダーシップを発揮するためにはカリスマ性が必要である…
と言うイメージを持っている人が多いですが、
ドラッカー流リーダーシップでは、 意外にもカリスマ性は重視されていません。
 彼のリーダシップ論の特徴を今回は紹介していきます。
 人間は社会な動物であり、必ず群れを作り組織を作り発展してきました。


そのリーダーシップ像は 古今東西様々あり、
リーダーシップの弊害で多くの人が困る事もあったのは事実です。
ただリーダーシップが重要なのは いつの時代、どの国でも、どの組織でも
重要である事は間違いありません。


組織におけるリーダーシップのあり方が 大きく揺らぎ問い直されている時代、
ドラッカーのリーダシップ論から学ぶ事は多くありそうです。
ただ彼のリーダー論は 非常にシンプルなのです。

リーダーシップにカリスマは要らない 。

 ドラッカー曰く
「優れたリーダーシップには カリスマ性は無用であり、
 生まれながらのリーダー的資質と言うものも存在しない」
と断じているのです。


つまりリーダーシップのために カリスマ性がチョットくらいあれば良いかな~
と言う考え方ですらなく、
 個人崇拝のカリスマ性は、むしろ組織から柔軟性を奪い、
その結果、組織を誤った方向に導き、
 下手をするとリーダー自身を破滅させる事にもなりかねないと言う事なのです。


ワンマン的、独裁的な リーダーシップはむしろ組織の発展に弊害があるというものです。
 例えば、政治的リーダーを見ると、ヒトラーやスターリンなど
独裁者と呼ばれる人は、いずれもリーダー自身のカリスマ性を求心力の核として
組織を率いたと言う特徴を備えています。


しかし、カリスマ性、個人の資質に頼りすぎた組織は、
いずれも破滅に向かう事が歴史を見ても証明されていると言う事です。
あなたの上司のリーダーシップ、或はあなた自身のリーダ哲学は どういったものでしょうか?
ここでその特徴をもう一度考え直してみる 必要があるかもしれません。



<リーダーシップは神秘的なスキルではない>

 カリスマ的リーダーシップは 長期的に破滅する、、
これは企業組織でも同じです。
 企業の目的は 安定的長期的な成長を続ける事、
カリスマ性を発揮した起業家が 一発当てる事は良くありますが、
その多くは長く続きません。


トップのリーダーの力量に頼りすぎる組織は、意思決定組織が個人に属してしまい、
システム化できないきらいがあるのです。
ワンマン的経営であるほど 決断が楽で行動が早い というメリットがあります。
そのため、組織としての成長は早いですが、
 衰退も早いと言う継続性に乏しい欠点があります。


また、トップダウンと言うのは 速やかに意思決定する仕組みの事であり、
 決してカリスマ的ワンマンリーダーが 好き勝手な判断を下す事ではないのです。


ドラッカーは「リーダーシップと言うのは 神秘的なものでなく、
 平凡で退屈なものであり、その本質は行動にある。
それは集団をよりよい方向へ 導くための行動手段であって、
リーダーシップを身につける事自体が目的化しては行けない。」
と釘を指しています。


リーダーシップの本質をしっかり軸に持っておかないと、
おかしな方向へ行ってしまいがちなので注意が必要です。



<真のリーダーシップの3つの特徴とは?>

カリスマ性が要件でなければ、真のリーダーシップと言うのは
 どうあるべきなのでしょうか?
ドラッカーはここで リーダーシップの要件を3つ挙げています。


 一つ目の要件が、「リーダーシップを『仕事』と捉える事」
つまり「組織の使命」という大きく曖昧な理念、概念を
”チームの目標”という明確な 課題にブレイクダウンして定義し直す。


そうする事でメンバーの意欲を促し、組織の生産性を上げ、
 成果に直結させていく、それがリーダーの特徴、第一のタスク。そうドラッカーは明言します。


そして第二の要件は「リーダーシップを地位や特権でなく 『責任』と捉える事です。
 優れたリーダーは、責任を自分で負い、 部下に存分に仕事をさせ、
 彼らを誇りに感じ、部下に成功させた自分の成功を誇りに思う」


これがドラッカーの言葉ですが、カリスマ性を超えた 真のリーダーの持つべき心構え、
とるべきスタンスとして、 極めて示唆に富んだ内容を示しています。



<リーダーシップの特徴とはシンプル>

残念ながら口だけで、 表面上のテクニックでカリスマ性を演出できてしまいます。
 例えば、普通の人を捕まえてきて、高級車をレンタルし、
 六本木ヒルズの前で、女優さんと一日契約し
秘書役をお願いし高級スーツに身を包み 写真をとってしまえば、
どんな凡人であっても やり手ビジネスマンのように見えてしまいます。
 表面上の演出を使えば、 カリスマの誕生です。


しかし本当に必要なのはそう言ったものではないのです。
そこでドラッカーの説くリーダーシップ第三の要件は
『信頼が得られる人物である事』です。
 信頼できないリーダーに従う部下はいません。


ただ、ドラッカーはここでも うがったアドバイスをしています。
 「信頼されると言う事は、 必ずしも好かれる事と同義ではない」
ということです。


人間的にはいい人だが、 リーダーとしては信頼できないと言う ケースは意外と多いものです。カリスマ性はいらないと言っても、誰の意見もウンウンうなずくいわゆるいい人では リーダーは 務まらないのもまた確かです。

では、本当の信頼感は どこから生まれるのでしょうか?
ドラッカー理論をまとめると「話が信じられる」 「言動が一致している」 「一貫性がある」となるでしょう。


つまり仕事、責任、信頼。
この3つの条件が真のリーダーシップ に必要なものであり、
カリスマ性ではなくむしろ、まともすぎるほどの倫理感や
道徳観に基づいている事に留意してください。


そう言う意味でドラッカー流リーダーシップは 非常にシンプルで平凡なもの、
 真理の特徴と言うのはたいていそう言うものなのでしょう。




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