そこを見つけたら、過去を振り返らずに首を切られても行きなさい!
日本語の天聖経に
『教会が一つから二つに分かれ、そのようにして三回分かれると、神様は去っていきます。天理の原則はそうなっています。そうして家庭的に集まります。恵みのある人は家庭的に集まるのです。教会に行きません。家庭でひれ伏して祈祷します。そのようになるかならないか、見ていてください。』
というみ言葉がありますが、どこからの抜粋かというと、天聖経に書かれているように、み言葉選集9巻266ページからの抜粋です。
ところで、韓国語では『教会が一つから二つに分かれ 二つから四つに分かれ』となっています。それでみ言葉選集ではどうなのかと思って読んでみました。
その部分を開いて読んでみると、そこでまたお父様がメッセージをくださいました。
家庭連合では、『ネットや変な話は聞くな。見るな。読むな。』と、
耳も目も塞ぎ、心の扉も硬く閉めておけというような取締りようですが、
お父様はそのようにおっしゃっていません。
私の日本語訳ですが、一番最後に韓国語もアップしておきます。
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<み言葉選集9巻266~277ページ>
イエス様はすべての事を残して行かれた。
教会が一つから二つに分かれ 二つから四つに分かれ、このように3回分かれたら、
神様は去っていきます。天理の原則がそうなっています。そうして家庭的に集まります。
恵みのある人は家庭的に集まるのです。教会に行きません。
家庭でひれ伏して祈祷します。そのようになるかならないか、見ていなさい。
教団で叫んでも昔の祭司長の立場に立ちやすい時です。
それだけに今日私たちは、心の扉を開いて、体の扉を開いて、
生活の扉を開いて、国家の扉を開いて、主義の扉までも開く必要があります。
その扉は私から世界まで開かなければなりません。
したがって、世界を訪ねて来られる主が、個人まで訪ねて来れる
因縁をつくる教会が出てこなければなりません。
そして、皆さんは世界に来た主が頻繁に自分を訪ねて来ることができるよう、
完全に開放された道を磨いておく群れにならなければなりません。
そうしてこそ、皆さんは主に会えるのです。
ではどのような扉まで開けておく必要があるでしょうか。
心情の扉まで開けておかなければなりません。
皆さん、心情が何か知っていますか?
主がもっとも好きなものを入れて、共に喜びながら、
そこで拍子を取りながら、主が求められることに応じて差し上げることです。
そのような心情の扉まで開いておかなければなりません。
過去を振り返らない信仰
今日、皆さんは統一教会という名の下に集まりました。
私たちが心情世界を開放しましょう。
主義や思想のすべてのことをすべて開いておきましょう。
開いておいて探してみましょう。
探してみる時に、私の心がいるべきところであり、
私の心が安らげる拠り所であり、
間違いなく神の息子娘になることができると思う所をを発見したなら
首を切られても、そこに行きなさい。
その場所は最後のところです。
今日皆さんが統一教会に来て、そのような因縁が骨や肉に染入ることがないならば
皆行きなさい。皆行けというのです。
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2016年を送り、新しい希望的な2017年を迎えるに当たって。
二代王が、統一教会の歴史であり伝統であり母であられる姜賢実先生を迎えて、
共に天一宮に入られたら、凄まじい運勢がやってくると思います。
家庭連合の皆さんも、また、サンクチュアリの祝福を受けながらもまだ決断できずに
家庭連合に留まっている方々、勇気を持って決別して出てきてください。
長年苦楽を共にした慕わしい友人たちとの情を振り切って背を向けて出てくることは辛いでしょう。しかし、家庭連合を出れば縁がきれる、そんな縁はそれまでのものです。
周囲の食口に何か言われ、どう思われるかよりも、霊界に行って、神様、お父様の前にどんな心情で立つことができるかを考えましょう。
裁きでありません。懇切に願って伝える言葉です。
今年の6月に家庭連合からこちらに引っ越してきた時、温かく迎えていただきました。
足らないブログですが、皆さん訪問してくださりありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
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