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姜賢実先生の自叙伝 ;6章 付録 心情の交流 16.金仁珠(キム・インジュ)勧士(クォンサ)追悼の辞

次は、金仁珠先生への追悼の辞となります。
検索したら、いくつか出てきましたので、最後にリンクしておきます。
この金仁珠先生が、金元弼(キム・ウォンピル)先生を伝道されたのですね。


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6章 付録 心情の交流
▲金仁珠(キム・インジュ)勧士(クォンサ)追悼の辞


天城入城明一者、金仁珠(キム・インジュ)勧士の霊前に捧げます。


真の父母様直系の子女様であられる孝進(ヒョジン)ニム、興進(フンジン)ニム、榮進(ヨンジン)ニム、惠進(ヘジン)ニムと大母(テモ)ニムがおられる天国に向かって行かれる道、喜んでいらっしゃってください。


金仁珠(キム・インジュ)勧士(クォンサ)ニム、このように呼んでみますが、返事がないので、確かに幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にされたのですね。いつも本当に親しく対して下さり喜びの笑顔で、多くの面で指導して下さったお姉さん、私には本当に忘れることができないたくさんの追憶を抱(いだ)かせて下さったことに、今日は霊前で熱い感謝を捧げます。


真の父母様が64年間も一緒に御旨を歩んで来られた金仁珠(キム・インジュ)勧士(クォンサ)の聖和の消息に触れられた時、まず多くの考えをされたことでしょう。


お父様が1946年5月28日ソウルを離れ、6月6日、平壌に到着後、四日目になった日にあれほど勧士ニムが慕われて待って来られた救世主、再臨主に会われました。


平壌は北朝鮮のエルサレムとして復興師と宣教師、そして殉教者たちがたくさん輩出した所です。そこに新しい天の御旨を立てるということは、あまりにも難しい事でした。既成教会からの迫害と反対の投書が80枚余りにもなったので、お父様は監獄に行くしかありませんでした。


金仁珠(キム・インジュ)勧士も家庭の父母からだけでなく、友人や親戚に至るまで、多くの迫害を受けられました。その迫害は言葉で言い表すことができませんでした。今ここにおられる皆さんも金仁珠(キム・インジュ)勧士の証しを聞いてたくさん泣いたでしょう。


お父様はその当時の平壌食口たちだった金鐘嬅(キム・ジョンファ)氏、羅最燮(ラ・チェソプ)氏、車相淳(チャ・サンスン)牧師などを思い出されたでしょう。2年8カ月のその恐ろしい牢獄の苦しみも回想されたでしょう。


私はいつ金勧士ニムとお会いできたのかと言うと、1953年のクリスマスの時でした。その時、お父様は34歳であられましたが、伝道に狂っておられました。釜山(プサン)の影島(ヨンド)にあった申成黙(シン・ソンムク)さんの家の小屋の一部屋で劉孝元(ユ・ヒョウォン)先生の三人の兄弟と宋道旭(ソン・ドウク)、金寬成(キム・グァンソン)長老を前にして復興説教をされたときです。


勧士(クォンサ)ニムは、その部屋に入ってすぐに「主よ、主よ」と叫びながら、お父様の膝の前にひれ伏して痛哭の祈りをしました。およそ20分間を大声で泣かれ、お父様がやめなさいと言われたので、泣き止まれました。


その泣き声の中には多くの理由が含まれているようであり、また、それまで心に抱いていた多くの思いを解いているように感じました。その後、勧士が証しておられたその核心は、「私は主に会ってうれしい」ということでした。悪口を言われても、迫害を受けても、主のために死ぬような境地に入っても悔いはないと言われました。その百折不屈(ひゃくせつふくつ)の信仰は、誰もついて行くことができませんでした。


1946年7月に金勧士は金元弼(キム・ウォンピル)先生を伝道されたので、天から大きな賞を受けるでしょう。勧士ニムは、その後にいつも金先生の健康の為に心配され、多くの精誠を注ぎました。


東大門教会と本部教会の婦人会長時代にいつも両手に大きな包みを持って通われるので、何なのかを聞いてみたところ、貧しい食口たちの為に買ったりもらったりした服だと言いました。その服の包みを持って家庭訪問されては慰労され泣きながら祈祷もして下さいました。多くの人々が金勧士の話をし、ほめる話も聞きました。金勧士は奉仕をするときに持っているすべてのものを与えて与えても不足であると感じておられた方です。金勧士のその真の愛に感激して熱心に活動した人々が大変多かったです。


青坡洞(チョンパドン)時代の話です。その時、私たちは、麦ご飯に塩汁をつくって食べていました。おじいさんの誕生日だと言って私たちを招待されました。栄養失調にかかっていた私たちのために大きな食卓を準備されました。焼肉、カルビ、チャプチェ、大きな魚などを私たちの為に下さりながら、勧士ニムがとても喜ばれました。


当時の劉孝元(ユ・ヒョウォン)協会長が汗を流しながら、「本当においしいです」と言いながら、私たち皆は本当に楽しかったです。それ以来、喜んでおられた勧士ニムの姿と私たちを招待して楽しませて下さったことを忘れることができません。


勧士ニムが精誠を込めて育てられた子女たちがここに喪服を着て立っています。息子さんとその奥さん、特に米国から来たヘヨン夫妻と霊界で協助している長女ヘジャとその夫が、勧士ニムの肉身と別れる悲しさに泣いています。本当に貴く育てた子女たち、母が子女たちの為に込めたその精誠の真実を蹂躙しない子女たちになることを願います。勧士ニムは地上でも、霊界でもそれを願っておられます。


人は誰でも例外なく皆霊界に行きます。霊界を知らなければならないと真の父母様は何度も言われます。ある時、勧士ニムと、このような話もしました。「私たちの中で霊界に誰が先に行くかは分かりません。先に行った人が真の父母様の在世時に御旨が成されるように協助しましょう​​。皆が分かるように、感じることができるように、また信じることができるようにしましょう​​」と話した事が思い出されます。勧士ニム、先に行かれたので、話をした通りに役事して下さい。役事して下さることを信じます。


金勧士がお好きだった北韓からの食口であられた玉世賢(オク・セヒョン)オモニ、池承道(チ・スンド)オモニ、李奇完(イ・ギワン)オモニ、そして、崔元福(チェ・ウォンボク)、金永雲(キム・ヨンウン)、金順華(キム・スンファ)、崔貞順(チェ・ジョンスン)、車萬春(チャ・マンチュン)、朴奉愛(パク・ボンエ)、梁允永(ヤン・ユンヨン)、李小淡(イ・ソダム)先生たちにも、真の父母様の様子を伝えてあげて下さい。


真の子女様である孝進ニム、興進ニム、榮進ニム、惠進ニム、喜進ニムと一つとなられ、天一国紀元節である2013年天暦1月13日に真の父母様がそれほど切に願われた神の国と世界を創建されることを助けて下さい。


先に行かれた36家庭食口の皆さんと一緒に一つの群れとなり、大きな軍隊を成して役事して下さい。勧士ニムが行かれる道が安らかで喜びながら行かれ、神様に、「私、金仁珠(キム・インジュ)が来ました」と挨拶を捧げて下さい。神様も喜ばれることでしょう。「私の愛する娘よ!」と手を握って下さることでしょう。


今日、私たちは真の父母様を64年間侍った金仁珠(キム・インジュ)勧士を天国に送る壮途を見送る為に集まりました。どうか金仁珠(キム・インジュ)勧士ニムを良い所に、より良い所に送ってあげて下さい!高く立ててあげて下さい!


天基1年、2010年天暦4月4日


姜賢實 拝


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<参照>


(証し)足に鎖をはめられて! 迫害を越え「信仰の根」となった金仁珠先生〈前編〉: いつも私のとなりに神さま【家庭連合会員のブログ】


(証し)そして、奇跡が起こった?! 迫害を越え「信仰の根」となった金仁珠先生〈後編〉: いつも私のとなりに神さま【家庭連合会員のブログ】



波乱の多い生涯/金仁珠(キムインス)、教会昇華式(天暦2月20日) ( 宗教 ) - 韓流サッカーをエンジョイ - Yahoo!ブログ

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