●アボニムは2011年に康オモニの孫に「康」の姓を下賜されていた
2017年12月17日山口聖殿礼拝
李相烈韓国会長説教中より
●『私がお前を選んだ』(韓国語+日本語字幕5分半)
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アボニムは康賢實(カ・ンヒョンシル)チャムオモニムを(真の母として)定められました。
その定められた時、康賢實チャムオモニムに(真の母と定められたことを)お話ししたら、
康先生は、「私はできない」(と言われました。)
アボニムが生きておられる時、(アボニムが康賢實)チャムオモニム本人に対して、「お前は私と因縁がない」と言われたというのです。
それで、なぜ因縁がないのか。この「姜」の字は上に2つの角(つの)がある王の字。
そして下に「女」の字。だから、女の頭の上に王を載せ、角が2つある女子は因縁がない。そういうふうに(アボニムが)言われたというのです。
「生きておられる時は、『私と因縁がない』と言われたのに、なぜ聖和されてから、私を選ぶのか?それは違うようです」と(康オモニが)言われたのです。
それで私が(康先生の)自叙伝を読んでみたら、アボニムが2010年に康賢實チャムオモニムに養子を下さいました。養子の息子だから孫ですね。その孫に(アボニムが)名前を付けられた時に、「康」の字を(姓に)書いて下さいました(「康親男」)。
健康の康、その「安らかな」という意味の「康」の字は角が一つしかありません。角が一つしかない安らかな「康」の字を書いて下さったのです。
それでその時、(康)チャムオモニムは、「なぜ人の姓を変えるのか」と、そのように考えたというのです。
それで、その話(生まれた孫に御父様が「康」の名字を与えたこと)をして差し上げたら、(康オモニムは)「あっ、そうですね」と言われたのです。
また、アボニムが(文亨進二代王を通じて)康賢實チャムオモニムに「統一教のオモニ」と言うみ言葉を下さいました。
私たちが聖經(せいけい・せいきょう/聖書)を読んでみると、ハナニムがマルスムを下さる時に、いつも二つのみ言葉を(くださいます)。
だから、韓氏オモニがアボニム聖和以後にチャムオモニムとして使命を果たされていたなら、私たち統一家はどれほど早い速度でハナニムの王国が地上と天上に成されていたでしょうか。
しかし、アボニムは、韓氏オモニがそのアボニムの御旨を成して差し上げることができない時に備えて、それに対する代案を持たざるをえなかったのです。だから、康賢實チャムオモニムにそのような部分をアボニムはすでにお話しをすべてされていたのです。
そのようなお話をしてさしあげると、康賢實チャムオモニムは、もう一度(考え直されたのです。)アボニムが選ばれたことについて(康賢實チャムオモニムが)決心される時に、(私が)お手伝いできたと言えるかもしれません。
それで真の子女の日の次の日、水曜日でした。水曜日はいつも王任(ワンニム)が韓国語でマルスムを下さいますけれども、王任は、私に「話しなさい」と言われたのです。
それで私がマルスムを語ってからチャムオモニムをお迎えして妻といっしょに昼食をとった後に、チャムオモニムがこう言われたのです。「私はまだ不足です」
それで私が申し上げました。「オモニム。チャムアボニムの前に不足でない者が誰がいますか?アボニムがチャムオモニムを選ばれるときに、不足な事を分からないで選ばれますか?」そのように申し上げました。
「そうですね。そのとおりです。」
私が(康賢實オモニが)祈祷したらアボニムが康賢實オモニムの口を通してアボニムの言葉が出て来たというのです。
何のマルスムをアボニムが言われたのかというと、
「私がお前を選んだ。
「私の息子がお前を選んだ」
そういうふうに言われたというのです。
それで私が再び申し上げたのは、「アボニムの為にも今からは『私は足らない』と言われてはいけません」
そう申し上げると、「クレヤジ(そうしないとね)」
私たちがチャムオモニムの為に、大きな拍手をお送りしましょう。