シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

●二代王「キリストとともに歩いていくこと」18.10.24 水曜韓国語礼拝より

二代王が「自己の意思、自己責任、自己の決定、自己の決定により結果が導かれる」ということは、何度も何度も語られて強調されているので、もちろんその部分が核心ですが、
​今回は聖書のみ言葉を通して、「キリストとともに歩いていくこと」、「祈祷」について
優しくたとえを使って語ってくださっている内容が心に沁みたのでその部分を日本語字幕を付けてみました。



●キリストと共に歩いていくこと (韓国語+日本語字幕, 8分)
................................................................................................


だからテサロニケ前書(第1の手紙)4章で、この歩み。歩み。

キリストとともに歩いていくのはキリストに喜びを捧げること。
実に、、キリストとともに歩いていくことはどれほど重要なのか。


人々がキリストと歩いていけば
「お父様、あ~早く見せてください!」「あ~未来がどのようになっているのか!」


この人は信仰がないのです!お父様を信じていないのです。
ずっとお父様を苦しめているのです。削いで。信仰がないのです!


あまりにも先に行くのです。お父様はこの速度で行っているのに
ずっと前に行きながら、どこに行きましょうか?どこに行きましょうか?と騒いでいるのです。


それはなんですか?信頼していないのです。
主とともに歩いていくということは何ですか?
主と歩調を合わせて、キリストと歩調を合わせて行かなければなりません。


自分があまりにも先走って早く行こうとすれば自分が絶壁から落ちます。
自分が早く行って後ろを振り返ってみるとキリストが違う方へ行っていて見当たらない。
そうではないですか?


祈祷生活をしながら「アイゴ~!どうなるのだろうか。アイゴ、神様、見せてください。」


このようにいう人たちは暴かれてしまいます。暴露。


自分が神様と歩いて行っているのではなく
先走っていって『神様、早く早く』と「させて」いるのです。神様にさせているのです。
このようにしているのならば悔い改めなければなりません!


神様とともに、神様の歩調と合わせて、添って、お父様の歩調に合わせて
あまりにも遅れてはならずあまりにも先に行ってはならずすぐ後ろにいて


なぜ?主は道であり命であり真理である。
キリストは誰よりもその道を知っているでしょう。道だから。
そうではないですか?


ハレルヤ(ハレルヤ)アーメン?ノーメン?(アーメン)


だから聖書のみ言葉で『お前の歩みに灯となられ、お前の道の前に光となられる』という言葉があります。灯と光。どこの?歩み、一歩一歩行くときに光となられるのです。


そのすべての遠くまでの道のりを見せてくれるのではありません。
それを先に見せてあげれば、人々はすでにあきらめてしまうから。信じないから。


あ~そんな人生を生きれず、食べられず、そうなればどうしよう。どうしよう。
黙れ~!本当に。このようになるでしょう?
神様を苦しめる祈祷をするでしょう。苦しめる、、


キリストとともに歩いていくことはどれほど重要でしょうか。
​歩いていきながらどうするのですか?喜びをお返ししなければなりません。
ともに歩いて行ける良きパートナー。


悪いパートナーもいるじゃないですか?
 一緒に山登りしたのに、こいつがずっと不平不満を言う。
松の木は見えないし、美しい雲も見えないし、、青空も見えないし、、
ずっと不平不満ばかり言う、悪いパートナー。山登りする悪いパートナー。
ずっと不平ばかり。何々自分の姑云々。。不平不満。靴。不平不満。靴下。
ズボン、下着、不平不満。
あ~もう黙れ!この野郎。あいやいや。悪い言葉を使いましたね。黙れ。バカ者。


良いパートナーになってあげなければなりません。
​登山するとき。歩いていくとき。良いパートナー。
良いパートナーは力を与えてくれるでしょう?


私たちが続けてお父様を歩いていくのに「あ~。お父様、どうしましょう。どうしましょう。」ずっと不平不満。


そうすればお父様がしんどいでしょう。そうじゃないですか?
お父様が力が出るように。
「あ~!お父さん。松の木がどれほど美しいでしょうか!
松ぼっくりの香りが、、アカシヤの香りがいいですね。わぁ~キノコを見てください。
わぁ~美しい作品が出ますね。」


歩んでいくときの良きパートナー。力を与え愉快にさせ喜ばせて上げるパートナー。
誰を好むでしょうか?お父様は?
キリストが共に歩いていくならば誰を好みますか?


いつも不平不満で「どうなるんですか?どうなるんですか?」
「ちょっと行ったらどうなって500m行ったらどうなって1000m後にはどうなって、300m後にはどうなって500m後にはどうなって、1000m後にはどうなって」あ~!黙れ!バカ。本当に。


「山を越えればどうなりますか?私たちは到着しましたか?私たちは到着しましたか?」
静かにしろ!そうでしょう?


歩いていくときの良きパートナー。
私たちがついていく方を信じること。信じること。
キリストは私たちを導いてくださることを信じるのです。
あまりにも先立ってはならずあまりにも後ろに遅れてはならず。


このようなことがテサロニケニにどのように出ていますか?


4章。読んでみなさい。


 데살로니가 전서4장


  1. (그러므로 형제들아 우리가 끝으로 주 예수 안에서 너희에게 구하고 권면하노니 )
       너희가 마땅히 어떻게 행하며 하나님을 기쁘시게 할 수 있는지를 우리에게 배웠으니
       곧 너희가 행하는 바라 더욱 많이 힘쓰라


テサロニケ人への第一の手紙第4章


  1.(最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。)
  あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、
  また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい



簡単です。簡単な内容です。


×

非ログインユーザーとして返信する