シャボン玉のブログ

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●宮本次人先生「山口のキリシタン達は苦労の道を行かれました」


●宮本次人(みやもとすぎと)先生「山口のキリシタン達は苦労の道を行かれました」
 (日本語, 7分半)


今年の9月23日、佐藤顕会長のおられる山口で宮本次人(みやもとすぎと)先生をお迎えした時の内容です。


恐縮ですが、私は韓国在住で宮本次人先生という方を知りませんでした。^^;
それでプロフィールや書籍、いろいろ調べていたら、今年の1月22日にも江利川会長の手配で宮本次人先生をサンクチュアリ長崎島原教会(? 東京でしょうか?場所はよくわかりませんが)にお迎えしてお話を伺う機会があったようで、その動画があがっていたのをチラっと拝見しましたが、山口での雰囲気と全く違いますね。これも聖霊の役事の恩恵でしょうか?



<参照>
永田先生の動画、家庭連合、アボニムの心情蹂躙、宮本先生動画、天草四郎と3万7千殉教者 - mugimusenからサバイバルへ


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時:2018年9月23日日曜日
場所:山口聖殿


宮本次人先生:


この山口は私にとりましてもそうですけれども、神様の犠牲的歴史においても、そして日本の犠牲的歴史においてもとても意義深い所で、私はキリシタンの歴史を探求するにあたりまして、まず、山口県の至る所に関連の物資を探し求めたり文書を訪ねて歩きました。まだ宿題があるんですけれども、しかし、この場所にですね、私はこの通りを何度歩いた知りませんけれども…。


佐藤教会長御夫妻達がこのサンクチュアリを聖殿をここにお建てになって、真の御父様を、キリストを迎えてこのような礼拝を捧げていらっしゃる事がどれほどどれほどの意義のある事か…。


私はこのキリシタン達が辿ったその道をつぶさに調べながらですね、本当に胸がつまるような思いがいたします。


というか、安堵したんです。私がここの場所に来た時に、もう、教会長さんがキリストの事を、イエス様の事を、それから、聖霊、聖霊、聖霊と何度、聖霊の事を言われたでしょうか。こんな教会があるでしょうか。私は本当にうれしくてですね。この…。(「ハレルヤ!」拍手)本当にハレルヤですよ。


この山口のキリシタンの歴史で本当に、最初のキリシタンの布教の種を定着させた所でした。だからとても意味があるんです。それから大分、長崎、島原もそうなんですけれども…。


ところが、最初、ザビエルが来て、その後、五年、六年でその布教の期間が途絶えたんです。なぜかというと、大内義隆さんと大内義長さんが殺られてしまいました。


それから毛利さんが入って来たので、その後、キリシタン達が取り残されて約30年間、無牧時代があったのです。かわいそうにも取り残されてしまったんですね。


でも静かに彼らは信仰を続けて、そして、来るべき日を待って来たんですよ。それが1586年でした。その時が来まして、ちょうど九州に秀吉さんが来る時に、その前に大友宗麟(おおともそうりん)が自分達の危機を訴えまして、そして秀吉の応援をお願いするんですけれども、その前から十年ぐらい、その大友の国はクリスチャン達が本当に苦難をなめておりましたので、この山口に避難しなきゃならないと言って、宣教師達がある準備をしておりました。そして、1586年の暮れにこの山口にもう一回教会を建て、セミナリオ(聖職者養成学校)まで建てるんです。


※セミナリオ〈ポルトガル語〉:イエズス会の宣教師が、日本人聖職者の養成を目的として1580年から開設した学校。キリスト教・ラテン語・音楽・数学などを教えた。1614年、幕府の禁教令により廃絶。


ところが秀吉がその翌年に、禁教令、伴天連(バテレン)追放令を出しましたので、また避難しなければなりませんでした。


そのように山口のキリシタン達は苦労の道を行かれました。そして、その後、日本全国そうですけれども、埋められちゃったんですね。本当に真実が語れない中で歴史の中に埋められました。


私は、皆さん方の背後に、その埋められた先祖達が、キリシタン達がいっしょに来て、そして、この時の為に何か、がんばって来たんじゃないかなと思います。


そして、今、教会長さんが語られましたように、「時」なんです。本当に「時」が来ました。あの、神様が来る…、「聖霊」「聖霊」と言われましたよ。神様の霊なんですね。神様がいっしょに住みたいんですよ、最後は。創造目的もそうです。神様が人と共に住むというそこが理想世界ですから、その「時」が来たわけです。そして神様がこの地上に着地したいですね、定着したいんですよね。だからそれほどすばらしい時が来たのですから、それを受け止める私達でありたいと思います。(「はい」)


本当にこれから、私に残された宿題がありました。それを話せばもう時間がありませんけれども、皆さんといっしょにまた歩ませてもらいたいと思います。ありがとうございます。


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