シャボン玉のブログ

2代王のみ言葉、韓国情報、韓国聖殿の近況などお知らせします。

また始まった、元老牧会者会で取り上げた「サンクチュアリ教会の男性中心主義の問題点」

昨日アップした、誉進様の論文の記事は読まれたでしょうか?


面白いことに、お母様が時々大きなお小遣いを渡している、元老牧会者会が
サンクチュアリに対しても誉進様の論文と同じようなことを言ってきてますね。 
サンクチュアリを引き合いに出してきて、今の家庭連合のやり方を自己正当化するために、利用したように見えるのは私だけ、、?
こりゃ、どう見てもお金もらってますね。(苦笑)


お母様と真の娘たち、嫁たちでやっていくのでしょうね。 


でも、今までの統一教会でも、サンクチュアリでも特に男尊女卑の教えはしていないと思いますがね。 まぁ、読んでみてください。



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サンクチュアリ教会・男性中心主義の問題


*サンクチュアリ教会・憲法原則3第1条に「王権は、再臨主文鮮明か ら、第二代王として息子である文亨進、そして第三代王として文信俊に継承される。」 (韓国語訳)
「監察院は、天一国政府の文 書一切に付き、無制限のアクセス権を持ち、天一国政府で働 くいかなる個人に対しても捜査し訴追する職務を執行する........この監察院は文国進およびその後継者に任せられる。」とした。 (韓国語訳)


この言葉はすなわち、男性だけが世襲制で王になることができ、また、強大な権力を持つ監察院長も男性世襲制で移譲されるということだが、これは結局、天一国は男性世襲君主国という意味である。


では、天一国で女性の位置は何か?女性は男性の従属物だというのか?個人の機能は見落として、男性と女性の性にだけに依存することが果たして神の創造理想の原理であろうか?



1.神は二性性相の中和的・統一的創造主であられる


原理講論は二性性相の神を語っている。


神は男性だけの神でも女性だけの神でもない。男性と女性の中和的・統一的な属性を持つ二性性相の創造主が神である。すなわち、「父母としての神」つまり「天の父母」であられる。父だけの神でも母だけの神でもないということだ。


二性性相の神を誤って理解すれば、複数概念の神として、父なる神と母なる神と誤解するようになる。神は男性性相と女性性状の中和的・統一的な方なので、複数概念ではなく、単数概念である。人類の新しい始祖としての「真の父母」は複数の概念であるが、父母としての神、すなわち「天の父母」は単数の概念なので、英語ではそれぞれ「Heavenly Parent」と「True Parents」と書く。


ところが、残念ながらサンクチュアリ教会の他の名前である世界平和統一聖殿という名前で発刊された「父の涙」p.36「天の父母の正体」では、次のように誤解した批判をしている。


「家庭連合でいう天の父母様とは、父なる神様と母なる神様がおられるという意味です。すなわち、男性神と女性神、二神という話です。」「家庭連合で天の父母様というのは、中心におられる唯一神・創造主の神様を排除して、男性神の神様と女性神の神様がおられるということを言っているのです。そのような主張の背後には、自ら神になろうとする韓鶴子総裁の間違った欲望が入っているではないかと思われます。神様を排除したので、その場所には、自然にサタンが侵入するのです。」


このような天人共怒(天人共に怒ること/到底許しがたい)する解釈が何処にあるだろうか!いつ私たちが神様を唯一神ではなく、二人の神様として理解したというのか!そしていつ私たちが 唯一神・創造主の神様を排除したというのか!どうして真のお母様をこうも蔑視、罵倒することができるのか!



2.真の父母様は神様であられるか?人間であられるか?男性神格化とキリスト教の三位一体論


ローマカトリック教会は、A.D. 325年ニカイア公会議とA.D. 381年コンスタンティノープル公会議で、父・聖子・聖霊の三位一体をキリスト教の公式正統教義として決定した。教義の核心は、位格は三つだが、本質的には一人の神様ということである。


したがって、肉身で来られたイエス・キリストは、本質上、神ご自身だということだ。イエスは男性であり神様も父の神なので、キリスト教の神は二性性相の神ではなく、男性神として父なる神である。


カトリック教会教皇は男性で、神父、教区長、司教、枢機卿も男性で教会の司教団と枢機卿団を作って教会の政治、行政と司牧の中心的な役割をしており、女性である修道女が中心になったことはない。


プロテスタント教会も同様である。男性牧師が牧会の中心的役割をして、教会の当会も男性の長老と牧師で構成され教会を運営してきた。もちろん、最近では女性牧師を認める宗派もあるが少数に過ぎない。


み言葉選集と原理講論では、イエスは神の創造目的を完成した完成人間であり、創造主の神ご自身ではないと説明する。本然の三位一体はアダムとエバが完成し真の父母として、神を中心とした四位基台を作ることによって、神と一体を成すことを意味する。


しかし、彼らは堕落することにより、三位一体を完成できなかったので、後のアダムと後のエバの立場であるイエスと聖霊が霊的に三位一体を成して、堕落人間を霊的重生の道に導かれた。そして、イエスは再臨主として地上に来られ花嫁を迎えて、真の父母になられ堕落人間の原罪を清算する、霊肉完全な重生の役事をされるようになる。


したがって、アダムとエバ、イエス様、真の父母様は、皆、被造物の人間であり、創造主の神ご自身ではない。アダムとエバは神の子女として永遠の愛の対象である。また、アダムとエバは愛の夫婦として、人類の始祖として、人類の真の父母の位置まで行かなければならなかった。


神の二性性相に似て、アダムとエバが三位一体を成したならば、神様はアダムとエバを愛の実体対象として同等に愛するのであって、差別して愛することはできない。絶対者・神様の愛の実体対象であるアダムとエバは、神と絶対的愛の相対関係を結ぶようになり、男性中心主義や男性優越主義、あるいは男女差別などは存在しようがない。


創造本然の男女平等を否定すれば、どこで創造本然の自由と平和と統一と幸福をもたらす愛の世界を見つけるというのか?女性を疎外したり無視して、その代わりに男性中心や男性優越性を主張すること自体、女性の起源である創造主の神様を無視する行為になる。


男性中心主義は男性利己主義として、男性優越性と男性特権意識を招来するようになる。そしてこれは女性嫌悪と女性卑下を意味し、さらには女性は男性に従属して奉仕なければならない男尊女卑に発展するかもしれないために思想的に大きな問題を抱えることとなる。結局、サンクチュアリ教会の男性中心世襲主義は、明らかにこのような重大な問題に直面するようになるだろう。


ある人は、男性が主体であり女性は対象だから、男性中心としたものが原理ではないかと反問するかもしれない。しかし、男性と女性がそれぞれ主体と対象の関係というのは、固定概念ではなく、役割的概念であるため、すなわち、状況に応じて主体的な役割と対象的役割が変わる。例えば台所で妻が料理をして、夫が協力する場合には妻が主体であり、協力する夫は対象の役割をするようになるのである。また、妻が赤ちゃんを産む場合、妻が主体であり、これを助ける夫はその対象となる。


したがって、男性は常に中心であって、女性は常に周囲的な存在ではない。状況と場合によって男性が中心となる時もあり、女性が中心となる時もある。男性中心主義は平和思想になれず、女性を卑下して無視する男女差別の不平等思想である。


キリスト教は男性であるイエスを神格化したため、男性中心の教会となった。サンクチュアリ教会も男性中心の世襲君主制の権力構造は、神の御心ではないことを知るべきである。エバが最初に二重的な堕落をすることにより、今まで女性の人権が無視されたが、神様の復帰摂理によって、今や女性もその本来の価値と社会的機能を見事に果たしていることを知るべきである。



3.メシアの使命の完成は、独身の男性ではなく、真の父母であられる。


独身としてのイエスのメシアの役割は、み言葉宣布と伝道だった。しかし、イエスは花嫁を迎えて真の夫婦としてのメシア、さらに真の父母としてのメシアの位置まで行かなければならなかった。


真のお父様も聖婚式以前には独身のメシアとしてみ言葉宣布と伝道活動に専念された。 1960年に新婦を迎えて小羊の婚宴である聖婚式を挙行されて初めて真の夫婦としてのメシア、真の父母としてのメシアとなられたことで血統転換を通した祝福行事をされるようになったのである。これがすなわち真の愛で真の生命を新たに生んで下さり、神様の真の血統に連結してくださる真の父母としてのメシアによる重生摂理である。


神の創造が男性と女性であるように、復帰摂理の完結も男性と女性として真の父母としておられるメシアを通して成され、新しい歴史創造の起点である新人類の始祖もやはり真の父母から始まる。真のお父様は真のお母様を離れて真の父母になることができず、真のお母様も真のお父様を離れて真の父母になることができない。どちらかお一人に対して真の父母という用語を使うのは語不成說(全く話にならず、理屈に合わない)である。


したがって、私たちの信仰は真の父母信仰であり、私たちも家庭で真の夫婦となり、真の父母にならなければならないという教えを受けた。男女の夫婦は、縦的には二性性相の中和としておられる神様の前に絶対愛の実体対象であり、横的にはお互いに絶対平等の関係であり、従属関係ではない。


家父長制ではなく、家夫婦長制であり、家父母長制である。私の子女も私の子女だという前に、創造主である神様の子女なので、天の父母様を中心として相互に侍らなければならない。



結論:


人間の生命は父の精子と母の卵子が結合した受精卵から始まる。これは人間の生命の生物学的種は男性一人ではできないということである。受精卵が生命の種であって、精子のみが種ではないのである。


精子が生命の種であれば、男性優越性を主張することができるが、精子と卵子は一緒に合わさって受精卵になってこそ、初めて生命の種になるので、精子と卵子はお互いを絶対的に必要とする関係である。すなわち、2つの細胞が結合した受精卵が生命の種になるので、懐胎のため男女の相互協力と統一は必須である。したがって生物学的に見ても、男性と女性は、相互協力と共生が必要な平等な関係である。


男性中心主義、男性優越主義は原理的に見るとき、立つ瀬がないのである。
男性中心主義、男性優越性の価値観を内包したサンクチュアリ教会の
男性世襲君主主義は断固として真の平和と愛を実現することはできない。


私たち元老牧会者たちは真の父母様から祝福を受けたすべての方々が本来の位置に戻って
真の父母信仰をする兄弟姉妹になられることを心から祈る。
真理は永遠不変である。なぜなら、その真理は神から来るからである。


2016年9月


韓国元老牧会者会



・・・・・以上・・・・



<参照> 
Japanese Translation – World Peace and Unification Sanctuary


天一国合衆国憲法


原則3:公金を乱用してはいけない。   
第一条 
王の権限 


1. 天一国の王は、天一国合衆国の元首である。王権は、再臨主文鮮明か ら、第二の王として息子である文亨進に遺言で譲られ、その後、第三の 王として文信俊に譲られる。王権は、その後、現に即位中の王の息子へ と遺言で譲られていく。もし王に息子がいなければ、文亨進の直系の男 子後継者へ遺言で譲られる。王が相続者を決め、王位継承の順位を確立 する。 


7. 王の権限の下、監察総監室を創設する。この部署は、天一国政府の文 書(データ)一切に付き、無制限のアクセス権を持ち、天一国政府で働 くいかなる個人に対しても捜査し訴追する職務を執行する。この訴追には、大統領に対する弾劾手続または天一国政府が契約した全ての個人に 対する訴追が含まれる。この部署は文国進およびその後継者に任せられる。その承継は、父から息子へ、もし息子がいない場合は、血族でも 近い男性へとなされる。この部署の承継は王の承認の下でなされる。 


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