シャボン玉のブログ

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人間始祖である「真の父母」に後継者は存在しない

真の父母様宣布文サイトに11月7日付で掲載されていました。 


人間始祖である「真の父母」に後継者は存在しない | 真の父母様宣布文サイト


 長文なので、全文はそちらに入ってご覧ください。
 いろいろ書いていましたが、一番上に書いていたことについて、思っていたことがあったので書こうと思います。サンクチュアリ批判の内容で挙げられていましたが、私たちも考えてみる良い機会かと思います。


そこでは、一言でいうと、『真の父母』に後継者は存在せず、
言うならば、子女は『代身者』・『相続者』であるということを書いていました。
それで、お父様は亨進様を『代身者』・『相続者』としてくださったわけですが。。


<引用はじめ>


(1)人類の「真の父母」は唯一無二

 サンクチュアリ教会を支持するある人物は、「真のお父様が後継者に亨進様を任命の日以後、真のお父様が後継者に韓オモニに変更された根拠となる御言を提示して下さい。父子協助時代の今、父子関係でない韓オモニが後継者になっていることは原理的ではない」などと述べ、真のお母様を批判しています。

 しかし、この批判は、真のお父様の御言に反する非原理的な主張です。
  「真の父母」とは、人類の“人間始祖”の立場に立たれた唯一のかたです。したがって、その人類の「真の父母」に“後継者”が現れると主張すること自体が、非原理的な主張に他なりません。


<引用おわり>



ここでは、お母様の問題は置いておいて、『後継者』という言葉を用いていることに関してだけ話したいと思います。
そういえば、家庭連合だけでなく、顕進様派でも『亨進様が後継者』ということを否定していました。


それで、『後継者』・『代身者』・『相続者』の意味、ニュアンスについて考えてみました。


後継 - Wikipedia
後継(こうけい)は、仕事、地位などをつぐ事である。
後継者(こうけいしゃ)とは、後継をする者の事である。跡継ぎとも言う。


この『地位を継ぐ』という意味が問題になっているのかと今更ながら、気づきました。(鈍くてすみません) 実は私は『後継者』も『相続者』も深く考えず、単純に同じようなニュアンスでとらえていました。


『後継者』という言葉を『会社』を例にして考えたら、
『父親が社長だったが、年をとったので引退したり、または亡くなって、息子が社長になった。』つまり『父親がその位置を降りて、息子が父親に代わってその位置に就いた、地位を受け継いだ』ということになるので、『後継者』という言葉に敏感になっていたのですね。『後継者』だと、『息子が社長の位置に就いた』⇒ 『息子が真の父母の位置に就いた』ということなるというのでしょう。


『後継者』という言葉が問題とされていますが、実はもっと具体的に言う人もいます。
サンクチュアリは縦社会ではないので、『自由と責任』の下にいろいろな意見をもった人がいて、いろいろな人が教会長になって自由に発言しています。
実際にある人が、『これからは2代王様を真の父母の実体として侍らなければならない』、『2代真の父母様とお呼びして侍らなければならない。』と主張している人もいます。会議などでもそういう意見を出す人もいるようです。


私は、『後継者』という言葉では、その違いにピンときていませんでしたが、
『亨進様ご夫妻は真の父母の実体で、、云々』という内容には、
正直、抵抗感が沸いてきて、引いてしまいました。



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それに対して、以前、李相烈(イ・サンヨル)会長がおっしゃっていた言葉があります。


『2代王を真の父母の実体として侍らなければならない』という人がいます。
すでに真の父母様の実体が来られたのに、
『真の子女のアベルに、真の父母の実体として侍る』ということは
真の父母様のみ言葉を誤導するものだと考えます。

2代王に引き継がれ、真の父母様の実体だとすれば、
今後、真の父母様に対する内容と原理を変えても妥当性を付与するという問題になるでしょう。
『生きておられる真の父母様』とし、亨進様を実体そのものとするのは、

さらに問題と思います。
真の父母様は、永遠にお一人(一組)なのです。
真の子女様を代身者、相続者という言葉では足りない言葉だと考えることは

間違っていると思います。
このような詭弁の論理は、真の父母様の絶対性と永遠性、唯一性を毀損するものであり
亨進様ご本人ではなく、したがっていく者の過剰な推仰(崇め慕うこと)や用語の使用は

『独生女・天の父母様』という詭弁を使用したのと同じ脈絡になります。

熟すのも度を超すと、味が変わって、さらに過ぎれば腐って捨てなければなりません。
『侍る』ことにおいて、原理的混乱を起こさぬようお願い致します。

また、横的時代の『侍ること』は、縦的時代とは違う『侍り方』、
したがっていくことではないでしょうか?

自律を強調される亨進様のみ言葉と背馳(はいち/行き 違うこと。反対になること。)して侍ること、ただひたすら盲従的な従順をしてきた過去に回帰するような信仰が
正しいのか、祈ってみてくださるようお願い致します。


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亨進様はお父様の聖和4周年記念式の時、王冠を被りながら真の父母様に敬拝されました。後代に、王冠を被った王が傲慢になることなく、『再臨主・真の父母』に侍り敬拝するようにと。


■ 三代王権と一緒にお父様に帰ろう!『三代王権・こころのサンクチュアリ教会』: 更新【王の王に拝する王権の伝統】 亨進様_8月31日韓国語説教<神様の王国の救世主>より


<引用はじめ>


今回も、お父様の聖和式でも、最初人々は「あああ〜いやいやいや〜本来、聖和式は韓国の伝統では息子として出てきて父親に敬拝しなければなりません。」それは儒教思想から出てきたのでしょう?ところで何がより重要ですか?儒教思想ですか?でなければ、お父様の王家がお父様にすべてのものを敬拝させることのどちらがより重要ですか?

お父様の聖和式で、お父様が立てられた王家、しかし、私はただの息子ではないでしょう?
お父様が立てられた王家でしょう。王家。王権!その王権までも万王の王の前に敬拝させなければならないのです。次の世代はどうなりますか?

3代王、4代王、10代王、100代王、その王たちが高慢な者になってしまってはいけません!
この者たちが持っている王権が再臨主から来たことを知って、その王冠がその世代ごとに、再臨主・万王の王に敬拝しなければなりません。再臨主がより高いですか?王冠がより高いですか?ではその王冠が、その王権と王冠が再臨主に敬拝しなければなりません。

何故?再臨主の精子と血筋を通してその王権を立てたから。その話を聞いて韓国聖殿食口たちが理解するようになったのです。皆さんはこのような考えはしないでしょうが、次の世代を育てる、3代王信俊(シンジュン)を育てる責任として、私はこのような考えをしなくてはなりません。


<引用おわり>



ただ、亨進様は、行事の時に、本来の自分の謙遜する性格が出て、一歩引いてしまい、
真の父母様の席を空席にしておいたら、そこにサタンが入ってとっていくことになると悟り、それを非常に悔い改め、後で条件を立てなければならないとおっしゃっていました。


亨進様は、具体的に地上で肉体をもっては動くことのできない真のお父様の代身者として、その位置に侍りながら、守り、後代へと伝えていく立場に立たれています。


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