シャボン玉のブログ

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左派が左派を弾圧する『帝国の慰安婦』・ 朴裕河教授筆禍事件の二重性その1

『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河(パク・ユハ)教授については日本でも多く取り上げられ、いくつかのブログでも取り上げられているので、ご存知の方も多いと思います。

日本の記事で「慰安婦少女像があちこちに転移・増殖している」という面白い書き方の記事も読みましたが、韓国でもまた、毎日のように様々な素材の反日ニュースが取り上げられています。


今日、ご紹介する記事は、ちょっと違う角度からの内容で、興味を持って読んだ記事です。韓国の進歩左派の代表といえる人物の紹介もされています。
長いので、3回ぐらいに分けたいと思います。


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http://www.mediawatch.kr/mobile/article.html?no=251160 より翻訳転載
'左派が左派を弾圧する '
朴裕河(パク・ユハ)教授筆禍(ひっか)事件の二重性

進歩左派の堕落性を如実に見せる​民族主義批判家・朴露子( パク・ノジャ)教授、
林志弦 (イム・ジヒョン)教授の衝撃的‘変節’


筆禍(ひっか) : 発表した著書・記事などが原因で官憲や社会から 受ける制裁または
        処罰。また、そのような災難
変節(へんせつ) : それまでの自分の 信念・主義・主張などを変えること


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朴裕河(パク・ユハ)教授が、著書「帝国の慰安婦」ゆえに刑事法廷にまで立つことで、これまで朴裕河教授と大同小異の主張を展開してきた進歩左派知識人たちの「変節」問題が改めて議論されている。 



朴裕河教授は、1990年代から一貫して女性主義・平和主義路線を歩んできた進歩左派知識人だ。「親日派」烙印のために、一部には朴教授を極右学者とまで誤解されている実情だが、実は彼女は韓国でも日本でも保守右派側とは思想的にも政治的にも特別な縁がない。


朴裕河教授の慰安婦問題関連の主張も、女性主義者・平和主義者の立場での、権力化された民族主義(ナショナリズムとも訳される)への批判と相接する。
 「帝国の慰安婦」もやはり「朝鮮の純潔な処女」だけが慰安婦問題の被害者というように、韓国挺身隊問題対策協議会(以下挺対協)の観点が持つ暴力性を多分に進歩左派の立場から指摘している本だ。


しかし、このように明確に一貫して進歩左派の立場・路線をとってきた朴裕河教授を、擁護してかばってくれる人士たちを進歩左派陣営からはむしろ探すことが難しい点が、いわゆる「帝国の慰安婦」筆禍(ひっか)事件が持っているアイロニー(皮肉・二重性)だ。


もちろん、当代に進歩左派陣営内の主流的立場、多数派の立場に立っている従北主義・民族主義路線の人士たちが朴裕河教授を 「売国奴」フレーム、または「内部告発者」フレームで拒否することが非常に奇妙に見えるものではない。
彼らは自分たちができることだけをするのである。


問題は、朴教授と大同小異の路線で韓国の民族主義の問題を批判してきた、一部非主流少数の進歩左派知識人たちでさえも、大勢に順応して「帝国の慰安婦」問題で朴教授を責め立て、事実上「変節」の形態を見せているという点である。
その代表的「変節」進歩左派知識人として、オスロ国立大の朴露子( パク・ノジャ)教授が挙げられる。


代表的な民族主義批判知識人・朴露子教授の「変節」


ロシア生まれで帰化韓国人である朴露子( パク・ノジャ)教授は事実、これまでに朴裕河教授よりももっと鮮明に民族主義批判の先頭に立ってきた知識人だ。​


朴露子 - Wikipedia


朴露子教授はさらに、慰安婦問題よりもはるかに暴力的な民族虐殺問題だったホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)の問題にも「(ユダヤ人の)『美しく可哀相な私たち』づくり」だと批判していた前歴があるほど、民族主義批判においては、強硬路線をとってきた。​


もちろん、朴露子教授は当然、韓国社会の反日強迫観念についても批判的だ。
彼は韓国では基本的に否定されている日本側の学説である「任那日本府説」についてそれなりに認める態度を見せ、やはり韓国では英雄として待遇されている金九(キㇺク)など独立運動家たちの暴力性の問題で批判的意見を提示して大きな議論を呼びもした。​


しかし、朴露子( パク・ノジャ)教授は最近、「帝国の慰安婦」筆禍(ひっか)事件が起きると、今まで自分がとってきた民族主義批判家としての立場を完全に捨てて、意外にも朴裕河教授に対する批判の先鋒に乗り出した。​


朴露子( パク・ノジャ)教授は進歩左派メディアであるレディアンに2016年6月5日付けで寄稿した 「歴史と和解の問題:ファシストは和解ではなく、断罪の対象」という題の文を介して突拍子もなく、朴裕河教授が『帝国の慰安婦』を通して「日本皇軍のための一種の論争ではない弁論」をしたと結論づけた。​


朴露子( パク・ノジャ)教授によれば、「(日本軍慰安婦制度は)皇軍と朝鮮人募集策の役割分担がどうであろうと、また、皇軍がその性奴隷を良い方法で管理しようが悪い方法で管理しようが、究極的に軍による女性の強制的な性奴隷化は前例ない超大型戦争犯罪」だ。​よって、朴露子( パク・ノジャ)教授は、このような慰安婦問題を仮にでも民族主義批判のテーマや素材にするのは 「過去の国家犯罪やファッショ極右民族主義者の仕業を合理化」することに過ぎない。慰安婦問題では、新たに実体的な事実関係を掘り出したり、一切他の声を出してはいけないというのだ。​​


しかし、朴露子( パク・ノジャ)教授の慰安婦問題に対するこのような聖域化は、600万ユダヤ人たちが極端な拘束環境下で生命まで失なった※1)ホロコーストの問題に対して彼が見せてくれた冷静さとは全く対比される。


当時、朴露子( パク・ノジャ)教授は、ユダヤ人が行っている『ホロコースト商業化』問題を最初に提起した勇気ある学者ノーマン・フィンケルスタイン(Norman G.Finkelstein)を礼賛し、「彼が『ホロコースト産業』の真実を話したことは長い間、メディアと教育が作った聖域に押されて騙されていた世界の「精神的解放」問題でもあり、パレスチナ人をはじめとする、現在のあらゆる虐殺犠牲者の「権利を取り戻す」問題」とまで主張した。


朴裕河(パク・ユハ)教授も韓国人が行っている「慰安婦問題の権力化」問題を勇気を持って指摘したと見ることができる学者だ。​しかし、朴露子( パク・ノジャ)教授はユダヤ人の「ホロコースト商業化」の問題を指摘したノーマン・フィンケルシュタインを評価する基準と、韓国人の「慰安婦問題の権力化」問題を指摘した朴裕河教授を評価する独自の基準がなぜ180度違うのかについて、未だまったく釈明していない


民族主義は反逆だが、慰安婦問題では他の声はだめだという林志弦 (イム・ジヒョン)教授


朴露子教授とともに、やはり民族主義批判家で有名な西江(ソガン)大・林志弦(イム・ジヒョン)教授も朴裕河教授筆禍(ひっか)事件と関連「変節」の様態を示した進歩左派知識人だという指摘を避けることはできない。​


林志弦(イム・ジヒョン)教授は、2015年12月頃、朴裕河(パク・ユハ)教授の著作を「学問と表現の自由」観点だけで見ることはできず、挺対協の慰安婦観点のみ定説(orthodox)なので、異說(heterodox)を主張することは慰安婦ハルモニたちに対する名誉毀損だという立場が込められた進歩左派知識人たちの集団声明に名を連ねた。​


もちろん、林志弦(イム・ジヒョン)教授は、批判声明に名を連ねたことを除いては、朴露子( パク・ノジャ)教授のように執拗に朴裕河(パク・ユハ)教授への迫害に乗り出しているわけではない。しかし、林志弦(イム・ジヒョン)教授がこれまでに蓄積した民族主義批判問題と関連した象徴性を考えると、彼の朴裕河(パク・ユハ)教授批判声明参与を簡単に見ることはできない。​


つづく。


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※1参照


​朴露子教授はハンギョレ21に、2002年11月28日(436号)に寄稿した「悲劇の商業化、ホロコースト」を介して、次のように主張している。


(抜粋)


「(ホロコースト)これは世界史で前代未聞の、未曾有の事件という前提、人類が犯したいくつかの苛酷な行為とも比べられないとするテーゼ(定立)、ヒトラーが行った犯罪の中で最も凶悪だという主張などを背負って何の批判せずに「既存事実」として受け入れる。


子供の頃から教科書や映画などのメディアから注入されたホロコーストに対するほぼ宗教的な畏敬も一役買ったが、ホロコーストに対して、その意味を少しでも批判する相手と見えるような様子を公席で見せたら、すぐさま『ホロコースト否認主義者』(Holocaust-denier)のレッテルを貼られるようになるかもしれない。


レッテルが貼られたら、もはや学術・大衆メディアからの発言権を持つのは難しい。まるで中世ヨーロッパの知識人たちが形而上学的な問題に鋭い発言で瀆神罪(クリスチャンの神を侮辱する罪)にかかって社会から「黜陟(ちっちょく)された前近代的な現実を彷彿させる。」​


※黜陟(ちっちょく):功の有無により、官位を上げ下げすること



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