シャボン玉のブログ

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姜賢實先生の自叙伝・ 第三章・その5 26日間のアメリカ巡回

第3章  超教派の最前線で
  宗教和合の道、超教派 
      ▲ 26日間のアメリカ巡回


1980年6月27日金曜日10時30分、JAL機便で日本に到着した後、アラスカを経由して英国に立ち寄り、7月4日、米国に到着し、真の父母様にご挨拶差し上げると、私が入教したときと同じように夜を明かして御言葉を語られました。ボストンで2カ月間過ごしたのですが、お父様は毎日早朝に海に出て精誠をささげ、魚を釣られました。


当時、日本を開拓した崔奉春(チェ・ボンチュン)先生がボストンに訪ねて来ました。彼はお父様に自分の人生のすべてを報告するために来たといいました。息子が不慮の事故に遭ったのに、一緒にいた他の子供たちは大丈夫だったと言いました。自分の息子だけが事故に遭うのを見て、これまで生きてきた人生が間違っていたと反省してお父様を訪ねてきたと言いました。崔先生は、お父様の前で頭を下げて悔い改めたいと言いました。そうして、私にこれまでの人生を悔い改めながら、何をどのように間違って生きてきたのかを告白しました。崔先生は、お父様の靴を磨きながら一番底から再出発したいとも言いました。


私はお父様に崔先生が訪ねてきた事実を報告しました。お父様はその報告を聞いて、私が喜んだよりももっと喜ばれながら「本当か?」と何度も聞かれました。私もうれしくて、「はい、事実です」とお答えしたのが今でも記憶に残っています。


そのように崔先生に関するご報告をしたとき、父母が子女を愛し心配しているのと全く同じなお父様の表情を見ました。その表情を見ながら、お父様がどれだけ崔宣教師を愛しておられるのかを感じることができて、大きな感動を受けました。


ある日、お父様が網を触りながら、「今回来たついでにアメリカ旅行もして世界旅行をしに行こう」と言われました。そうして、「今でも世界各国で、一日のうちにも飢えて死ぬ人々が数え切れないほど多い。私がこの問題を解決するために、フィッシュ・パウダーを開発しているが、誰もこれに関心を持つ者がいない」と語りながら、寂しい表情をされました。


そして、「この地上で、誰かが人類の内的な心霊問題と外的な飢餓問題を解決しなければならない」と語られながら、「賢實(ヒョンシル)、おまえはこれを知らねばならない。私は釣りが好きでするのではなく、人類を生かさねばならない目的があってするのだ」とおっしゃいました。また、「世界を一周り回ってみれば、見聞も広くなり、世界がどれほど大きく美しくて、人類の喜びと痛みがどれほど深いのかを感じるようになるだろう」とおっしゃるのですが、父親が娘に何か重要なことを教えてあげようとするような、切実な心情で言われたことが感じられました。


時にはお母様と買い物もしました。真のお母様が六歳になられた年に、啓示を受けた人がお母様に対して、「将来、人類の母、天の花嫁になるだろう」と予言したという話を誰かから聞いたことがあります。その予言のように、米国でお母様と近くにいる間、お母様は世界の母であり、天宙の母であることを痛感するようになりました。


1980年9月3日から28日まで26日間、米国一周観光をして巡回もしました。一行は李貞玉(イ・ジョンオク)先生、李京埈(イ・キョンジュン)先生などでした。お父様が旅程を直接組んで下さるのに精誠をたくさん尽くされました。アメリカ旅行をする時にはすべてのものを欠かさず見なければならないと言われました。


お父様が言われたように、米国という国は、行けども行けども終わりなく広かったです。一日に三千里を走ったこともありました。低い山に出ると、数十時間走っても同じように美しい低い山なので感動しました。


一番印象に残ったのは、ユタ州で訪れたモルモン教です。イエス様の写真が壁一面をすべて覆うほど大きくかかっていたのですが、たくさんの旅行者がアメリカに来れば、ユタ州のモルモン教の本堂を観光していくのが基本のコースになっていました。そこでたくさんの話を聞いて、人々が祈っている姿を見ながら深い感銘を受けました。




<参照>
ユタ州ソルトレイクシティへ旅行に行ってきました。その4「モルモン教の総本山」 : ロクデナシ ヒトデナシ ヒトゲノム(カリフォルニア州San Diego・ユタ州Hurricane)



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