シャボン玉のブログ

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姜賢實先生の自叙伝・第四章 その2 世界の復帰の基盤、ロシア (1)

第4章 世界に御言葉を伝える 
 
世界の復帰の基盤、ロシア(1)


1996年4月に国家メシヤの為の修錬があった時は、いろいろ悩みが多かったです。初めに、「修錬がある」という話を聞いた時から、私は年をとって外国に行くことができる体力がないし、英語も長く使っていないから、修錬に参加してはならないという気がしました。


それでお父様に、「私はいろいろな面で準備ができていない者なので、今回はちょっとはずして下さればと思います。外国に出て行って宣教をする立場ではありません」と申し上げました。


すると、お父様は何の言葉も言われませんでした。それで「ああ、参加しなくてもいいんだな。良かった」と心が安心しました。最終的な判断を頂こうと、「じゃあ、今回は外れます」と挨拶をしました。しかし、お父様はひどく怒られて、「これほど修錬会を通して話したのだから、お前は分かるのが当然なのに、まだ分からないのか?」と言われました。


修錬が終わる時に、任地国を抽選で決める時間がありました。くじを引くときに、私は辞退しようと固い決心をしました。それで担当者に、「李耀翰(イ・ヨハン)牧師もくじを引きますか?」と尋ねました。すると、「ああ、もちろんですよ」ということでした。私の心の中でびっくりしました。私より10歳以上の年配の方がくじを引かれるというのに、私は年齢を言い訳にして外れることはできないと思いました。


それでくじを引く前に黒板に名前を書くのですが、黒板の片隅に非常に小さく名前を書きました。どの国にも当たらないように願う心で、見えないくらい小さな字で黒板の隅に名前を書いたのです。しかし、抽選する人がくじを引いて、「姜賢實巡回師、これは神様のご意志です。ロシアです」と言いました。「ロシアとは…!」私は胸がどきっとしました。一度も考えたことのない国なので戸惑いました。その人は続けて、「姜巡回師さん、ロシアはまだ信仰が幼い食口たちが多く、信仰指導をしてくれる方をお待ちしております。神様がロシアの食口たちの為に姜賢實巡回師を送って下さるので、感謝です」と言いました。



ロシアは世界で最も面積が広い国です。米国や中国よりも二倍も面積が広く、人口も中国やインドなどに続いて世界の第六位の大国です。特に共産主義国家の宗主国として長い間、鉄のカーテンに囲まれていた国でもあります。だから、ロシアを任地として割り当てられ、ロシアの為に精誠を込める時、神秘的な国という思いがして、ときめいたりもしました。


真の父母様は、少し前までロシアをソ連と呼ばれました。ソ連といえばソ連連邦15カ国を含む言葉ですが、今では連邦が解体され、開放が成されて、独立した国々となりました。しかし、ロシアは旧ソ連であった​​16カ国のうち、ロシアを除いた15カ国を合わせたものよりも面積が広く、人口も多いです。


当然統一教会食口たちも多いです。以前に韓国の宣教師が、「1997年の祝福に参加する人々は、ロシア360人、旧ソ連が240人です」と報告しました。それくらい、国で見るとロシアは一つの国ですが、比重から見れば他の15カ国を合わせたものよりも大きいのです。旧ソ連地域の宣教活動の本部は、ロシアの首都であるモスクワのロシア本部と一緒にあり、石俊淏(ソク・チュノ)会長が全体を主管していました。なので、大陸次元での活動とロシアの活動を分離することが難しい状況でした。


旧ソ連地域で宣教活動が始まってから各国家メシアたちが到着するまでの5年から6年という短い期間の間、石(ソク)会長の指導の下(もと)、様々なプログラムを通じた活動が展開され、それぞれの国の協会がすべて立てられ、宣教基盤が作られていました。ロシアだけでも、私が到着したときに10個の教区本部が建てられており、全国的に宣教の基盤を固めていました。モスクワとサンクトペテルブルクを中心とした西部の教会、中央教区、南教会、ウラル教区、西シベリア教区、極東教区に分けて、積極的な宣教が行われていました。
 
実際に真の父母様は、1976年のワシントンモニュメント大会後、私たちの次の目標はモスクワであると宣言されました。そう宣言され、モスクワ(moscow)を英語で、「マストゴ-(must go)」と発音されました。当時、真のお父様は何度も、「私はまだやるべきことが残っている。神がいないというソ連に入り、神がおられることを私は必ず証ししなければならない。これは、私がこれから必ずすべきことである」と言われました。


その時は、ソ連に入ること自体が難しい時であり、そんな所で神様が生きておられるということを証しすることも不可能な時でした。だから、実際にはその当時、その言葉が実体的に成されるという考えはできずに、お父様の使命がそうであるという御言葉として理解しました。その誰も、真の父母様が1990年にモスクワに入城して、様々な大会を成功裏に開催されるとは、想像することもできませんでした。



それで、1990年にお父様がモスクワを訪問され、当時のソ連共産党書記長だったゴルバチョフの前で、「神様は生きておられる」と言われました。「神様は生きておられる神様であり、この国が神様を中心とした政治をしなければ滅びる」と机を叩きながら熱弁を吐いたという話を聞いて、お父様がどれくらいすごいの方なのかをもう一度実感しました。


ロシアは、お父様が非常に重要に考えるほど摂理的意味がある所ですから、神様と真の父母様をより熱心に証ししなければならないという気持ちがいっそう強くなりました。


ときめきと期待を抱きながら、1996年8月28日の午後にモスクワのシェレメーチエヴォ空港に到着しました。モスクワ教区長と宣教師をはじめとするロシアの現地食口たちの温かい歓迎を受け、空港のある所で到着報告祈祷を捧げた後、ロシア活動の最初の一歩を踏み出すことになりました。


ロシアでは1994年から本格的に伝道活動が始まりました。もちろん、それ以前にお父様が数人を遣わして、それらの人々が地下宣教をしていましたが、お互いにわからないくらいでした。イギリスの女性宣教師、アメリカ人宣教師、ドイツ人宣教師など三人が1980年代に旧ソ連で宣教活動をしましたが、1990年にお父様がゴルバチョフ大統領に合われた時に、初めて彼らはお互いを知るようになったと言うことでした。


その三人の宣教師とその年の5月に真の父母様の命を受けて、ロシア宣教を指導した石俊淏(ソク・チュノ)会長、そして世界各国の宣教師のおかげで、1990年代初頭から宣教が慎重に開始され、1994年に本格的に伝道活動を活性化することができました。


それで私がロシアに行った時は、入教して3年から4年にしかならない食口たちがほとんどでした。


それさえも、1995年の36万双の祝福の時、若い食口たちがたくさんの祝福を受けて、ポーランドやドイツなど他の国に発って行き、残った食口たちは200名余りに過ぎませんでした。少ない食口たちでしたが、初めの日に私は、「お父様がロシアをどれほど重要に考えておられるか?ロシアで神様を証しする使命を果たさなければ」と決心しました。特に真の父母様はよくロシアの食口たちに向かって、あとの者が先になると言われながら、今後共産主義者たちの二世の青年は、真の父母の子女になるだろうと何度も言われたので、さらに固く決心をしました。





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