シャボン玉のブログ

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「聖書の正当性 3」聖書以外の二次資料

聖書の正当性、、いかがですか?
私はけっこう面白くて、あちこち寄り道しながら、「へぇ~♪ 」ってハマっとります。


성경이외의 2차자료



二つ目は聖書以外の二次資料により、聖書の正当性を調べてみます。
何の話かというと、イエス様をとても嫌いだった人たち、グループがありました。
誰だったでしょうか?ローマ人がそうでした。ユダヤ人がそうでした。
何故そうなのか、ローマ人を考えてみましょう。


「ああ、私たちの皇帝がいるのに、イエスが王だって?イエスが王だって?」
どれほど気分が悪いでしょう?
ピラト総督はローマ人でしたね?それでイエス様が王だというので、
「それなら仕方がない、反逆罪だ。」
このようにして結局、後で殺すようになるでしょう?
もちろん、ユダヤ人たちがけしかけたこともありましたが、殺すようになります。
そのため、ローマ人たちはイエス様を非常に嫌いました。
クリスチャンたちを非常に嫌いました。  


ですから、ローマ人たちの資料を見ていきます。それが第二次資料です。
ユダヤ人たちもどれほどイエス様を嫌っていたでしょうか。
自分たちが選ばれた民族なのに、クリスチャンたちがしきりに、
「異教徒も信仰があれば、選ばれた民族になる」というのです。
「天国に行く」というのです。
どれほど憎いでしょうか。
ユダヤ人たちはクリスチャンたちがどれほど憎かったでしょうか。


それで使徒パウロもユダヤ人、篤実なユダヤ人だったので、
そのクリスチャンを捕らえて殺したのです。
そのように捕らえて殺して、回心してイエス様を信じるようになるのです。


聖書以外の二次資料を通して、「聖書の正当性」を調べて見ましょう。


※1) タキトゥスという古代ローマの歴史家です。元老院の一人でもありました。


" ネロは民衆によって、憎み嫌らわれた存在とされたクリスチャンと呼ばれる層に罪を被せた。

- ええ。皇帝がそうでしたね。特にクリスチャンをたくさん迫害しました。


​ティベリウスの支配下でピラト総督の手によってキリスト(クリスチャンという言葉に起源の置く者)は、極度の処罰を受けなければならなかった。
キリストに対するこの悪意的な迷信は、ユダヤ(最初の悪の起源)から出たとはいえ、

- 何故ならイエス様はユダヤ人だったでしょう。


ローマでも見ることができた。”

それでは、この人の話を一度見てみましょう。何と言いましたか?
イエス様は存在された。
イエス様はキリスト教の創始者であった。
第三は、ピラト総督によってイエス様は死刑にされた。
キリスト教の起源は、古代ユダヤ教であった。
キリスト教は後代ローマに拡散された。


このように見れます。よって、これは聖書のみ言葉と一致します。
ですから二次資料を見たときに、合っているでしょう?


二番目の人です。
※2) 小プリニウスという人です。 古代ローマの文学家であり、法曹(ほうそう/法律を扱う専門職としてその 実務に携わる者をいう)であり哲学者でした。


" 彼らは特定の日に早朝に集まる習慣があった。彼らは神を讃美するように一節を変えて、キリストを讃美する讃美歌を歌った。また彼らは詐欺、窃盗、姦通、偽の発言はしないことと、信頼を最後まで実行することを誓約して互いに盟誓した。その順序が終わると、しばらく別れた後、彼らは再び集まって軽く平凡な食事をした。"

では、小プリニウスを一度見てみましょう。

イエス様は存在した。
弟子たちはイエスを崇拝した。
イエス様は道徳的な教えを教えておられた。
キリストの血と肉を分ける儀式の存在を認めている。

そう言っています 。


次は、 ※3-1) ヨセフスです。この方は、イエス様が亡くなる前に生まれました。
そして、長生きしました。ユダヤ歴史家であり、ユダヤの祭司長です。

今まではローマ人を見ました。これからはユダヤ学者です。


" ※3-2) 彼を一人の人間として見たならば、この知恵のある者、
すなわち、イエスはこの時代に生きていた。
彼は驚くべき偉業を起こした...。彼はキリストであった。ピラトが彼の十字架刑を宣告したとき、イエスを愛していた人たちは、彼に対する愛を捨てなかった。三日目、彼は...。蘇生されて現れ、キリスト教の群れは...。残った。"


- 私が、「彼を一人の人間として見たならば」と、ここに線を引きましたね。
なぜなら、これもまた何を暗示しているのかといえば、その当時、イエス様は神として崇拝されていたことを暗示しています。ヨセフスは特にとてもイエス様に対して好意的に書いたことで有名です。


ですから「これはもしかしたらクリスチャンたちがまた加減したんじゃないか」とそのように考えるかもしれませんが、ほとんどの文を見れば、とても好意的に文全体をそのように書くスタイルのようです。
そして、イエス様の兄弟であるヤコブについても話をしています。その次にヘロデ王についてもこのように話をします。


" ヘロデ王の大軍の滅亡は、洗礼を行う者と呼ばれたヨハネに対するヘロデ王の行為に対する神の罰として考えているユダヤ人たちも何人かいた。"

ヘロデ王が洗礼ヨハネを殺すでしょう。ですから、「そのためにあれほどヘロデ王が悪くなったのではないか?」まあ、そのような話もあります。ですからヘロデ王の存在も認めています。


では、ご覧になれば、
イエス様は存在した。イエス様は奇跡を行なわれた。人々はイエス様をキリストと信じた。イエス様は弟子を多く持つ先生だった。そしてイエス様はピラト総督により裁判を受け殺され、十字架の刑を受け、イエス様はキリスト教の創始者であり、このような事件を文献を見れば知ることができます。ヤコブ(ジェームズ)はイエスの兄弟であった。復活を認めた。そして、洗礼ヨハネもまた存在した。このように見ることができます。また、ヘロデ王も存在した。もう一つありますね。ヘロデ王が洗礼者ヨハネを死刑に処した。

今までは、ローマ人、そしてユダヤ人を見ました。
では、他の国の経典を一度見てみましょう。


※4) バビロニア・タルムードです。バビロニア・タルムードでは、このように述べています。


" 過ぎ越しの晩、イエシュ[イエス]は絞首刑に処された。刑が執行される40日前、ある伝令官が叫んだ。「この者は妖術を行ない、イスラエルをそそのかして背教させたので、石打ちにされる。」"


このように言ったそうです。このバビロニア・タルムードでも何を言っていますか?
結局はイエスは存在し、イエスは刑に処せられ、イエスは奇跡を語られ、妖術だと言いましたね?そしてイエスは抑圧から国民を解放したと書いています。


さぁ、最後の学者ですね。この人は非常に重要な人です。
なぜなら、この人はイエスをあまりにも嫌いました。
ですからこの人の文章を見れば、イエスをどれほど憎み嫌ったか、客観的に書きもしませんでした。「私はこの人が大嫌い。」こういうことを露骨に表現しながら書いています。
ですから歴史的な資料で、ある人の客観性を証明するときに、その人を敵視する人の資料を見ることは非常に大切な資料として取り扱われます。


※5-1) ケルススという人です。


また、ケルススはとても面白いです。イエス様が生まれる前に生まれました。

そしてイエス様が亡くなった後に死にました。他の学者たちはイエス様が亡くなった後にいくらか過ぎてから生まれたのですが、この方の場合は、まさにイエス様が生きておられたとき、イエス様が亡くなられたとき、それをイエス様の当時を経験した人です。
そのため、非常に重要な学者です。なので一度これを全部読んでみましょう。


" ※5-2) イエスはユダヤの小さな町で生まれた。彼はその日その日の生活のために自ら働く貧しいユダヤ人の女性の息子として生まれた。

​  - マリアでしょう?


​彼の母親は大工だった夫によって家から追い出された。理由は姦通罪。


- ですからおそらくこの夫はヨセフでしょう?


それで大工として働いていたヨセフによって家から追い出され、名目は姦通罪、
そして、屈辱を受け、夫によって追い出された彼女は彷徨し私生児であるイエスを出産した。


-  そうでしょう?「私生児だ。」そして「姦通罪だ。」非常に強い言い方でしょう?


そして、貧しい生活のために、イエスは働きにエジプトに行った。


​   -  イエス様が子供の頃、エジプトに行かれたことも話していますね?


そこで彼はある妖術の力を得た。彼はこのような力を持ったことに意気揚々して家に戻ってきた。


​    - 力を得て意気揚々として戻ってきましたね。


またこの力により、彼は自らを神と認識した。このような珍しいことを行えた理由は妖術の力によるものだった。治癒、復活、またパンいくつかの塊で大衆に与えることができたのは、妖術師の騙しごとに過ぎなかった。この業績は呪文とある悪魔の名前で成されたものであり、クリスチャンたちはまるで、このような驚異的な力を持つように映った。"


ですからケルススは非常に辛辣(しんらつ/言うことや他に与える批評の、きわめて手きびしいさま)です。そうでしょう?


ですから見れば、この人もまた自分は意図していませんでしたが、
イエス様が存在されたことを証明して、イエスの処女懐胎説を話しました


そして、イエスの父はマリアの夫ではないということも話しました。
非常に面白いでしょう?
なぜなら、姦通罪を犯していたので、ヨセフの息子でないことを話しました
不思議でしょう?
その次にイエスは奇跡を起こした。 妖術を行なったと話しましたね?
そして、イエスが復活したという噂があることを確認しました。
そしてイエスが悪魔に惑わされたのだと考えました。
それくらいイエス様の奇跡がすごかったのでしょう。そうでしょう?
そして、イエスはキリスト教の創始者であり、弟子たちはイエスを崇拝した


それをケルススが話しています。
自分が意図していませんでしたが、このようにイエスを、主を証しするのに大きな役割を果たしたのですから、、、




(つづく)


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<参照>


※1) タキトゥス - Wikipedia


コルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus, 55年頃 - 120年頃)は、帝政期ローマの政治家、歴史家。その著作では、ローマ皇帝ティベリウス・カエサルの治世中にユダヤ総督ポンテオ・ピラトがイエス・キリストを処刑したことも書いている


※2) ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス - Wikipedia


博物学者、政治家、軍人のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の甥で、養子。伯父との区別のため小プリニウスと称される。トラヤヌス帝の時代のキリスト教徒に対する処遇方法を知る事ができる貴重な資料となっている。


※3-1) フラウィウス・ヨセフス - Wikipedia
※3-2)イエス伝 資料編 フラウィウス証言


※4) バビロニア・タルムードの基礎知識など 仙芳丸 - 阿修羅
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/753.html


タルムードには二つある。パレスチナ・タルムードとバビロニア・タルムード。パレスチナ・タルムードの方が、紀元前千年頃のダビデの時代のユダヤ教の経典。バビロニア・タルムードの方は、紀元前600年頃のバビロン捕囚の際に、捕囚先のバビロンにおいて、その土地の宗教の影響をたぶんに受けて出来上がった教典。
通常、「タルムード」と呼称されるものは、「バビロニア・タルムード」のことを指す


※5-1) アウルス・コルネリウス・ケルスス - Wikipedia


アウルス・コルネリウス・ケルスス(Aulus Cornelius Celsus、紀元前25年頃 - 紀元後50年頃)は古代ローマの学者。


※5-2) 18.http:// 18.禁じられた福音書 - So-net​

http://www015.upp.so-net.ne.jp/h-hayashi/D-18.pdf


哲学者ケルススは 178 年頃に「真の言葉」(注5)という本を書いて、「地方の広い領域において、キリスト教徒の貧民たちが屋敷の軽信者たちを作業場に集めて、イエスが奇蹟を起こしたとか、死後に墓から甦ったというような話を聞かせる。名誉ある市民の間では、キリスト教徒たちによる暴行、乱交、過激な政治思想の疑いが常にある。特に秘密主義的カルトは今も過激派と見做されており、人々は自分たちの友人や親族が彼らに誑かされないかと恐れている」と述べている


(注5)「真 の言葉」は後のキリスト教会により抹殺されたが、この本の主張は神学者オリゲネス(182 頃251)の「ケルスス反論」に引用されている。ケルススはこの本で「マリアはパンテラというロ ーマ軍兵士と不義なまじわりをかわし、イエスが生まれた」とも書いている。


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ケルススの本の内容を知ってみると、イエス様の当時も同じように、いや、それ以上に酷く扱われ、考えられていたんだと知りました。
それでもやがて、キリスト教として、ローマの国教となっていくんだからすごいです。
今はインターネットもあって、世界が一瞬で繋がるの時代なので、
400年もかからず、未来に希望があるなぁと感じました。

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