シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録 第二章 その5 暗闇の中のむせび泣き

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第二章 ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
 ● 起きて叫ばん
   ▲ 暗闇の中のむせび泣き 

1954年1月末に大邱(テグ)に戻ってきましたが、依然としてお父様をお迎えする所がありませんでした。それで鳳山洞(ボンサンドン)に大変小さな部屋を借りました。

鳳山洞(ボンサンドン)のその部屋はとても寒かったです。部屋の中に置いた雑巾がかちかちに凍りつくほど寒さが厳しかったです。そんな寒さにもお父様は、毎晩手ぬぐいを一つ水に濡らして部屋の隅に置いておくようにと言われました。夜明け三時になると起きて、その手ぬぐいで顔を拭かれ、祈祷をされました。あまりにも寒かったので、布団を一つは敷いて、一つはかぶってひれ伏して祈祷されるのですが、いつもむせび泣きながら、「神様、あなたと約束した時、私ははっきりと御旨を成して差し上げますと言いました。しかし、まだ御旨が成されるにはほど遠いです。しかし、私は疲れず放棄せずに、神様に栄光を抱(いだ)かせて差し上げる日を備えます」と祈祷されました。

全身を震わせながら泣かれて布団がずり落ちるたびに、かぶられていました。そのように泣かれて祈祷されるお父様の声は、なぜか追われておられるように感じました。誰もお父様を叱ったり責めたりしませんが、お父様は神様との約束を守ることができず、心を痛くされておられました。神様と、いついつまで御旨を成して差し上げますと約束されましたが、その結果が現れないので追われる心を持って生きておられたのです。だから、「神様、どのようにすれば良いでしょうか?」という思いであることを感じることができました。


▲当時の大邱市内

その家は、今も私に生生しく思い出されるのですが、世界で最も貧しい人が住んでいる家のように古びていました。家の主人であるおばさんが野菜を頭に載せて出て、路上で売ってやっと生活していた家庭でした。そんな家でお父様に侍ろうとするのですから、言葉に表すことのできない切ない心情でした。




そんなある日、夕方にお米が切れました。それまで残っていたお米で夕飯はやっと作ることができたのですが、翌朝朝食を作って差し上げるお米がありませんでした。しかしお父様に、「お米がなくなりました」などと言うことができません。申し訳ない気持ちでとても口に出せませんでした。夜がふけ、寝ようと横になっても心配になって眠れませんでした。

ところが、翌日の朝早く外に出てみると、縁側に誰かわかりませんが米を一袋持ってきて、それが置いてあったのです。私は思わず米の袋をつかみ、声もなく泣きました。そして、昔、エリヤが食べるものがなくて心配した時、カラスが食べる物をくわえて持ってきてくれたことを思い、「神様、感謝します」と祈りました。

後でわかったことですが、御言葉を聞いて間もない食口が、早朝にお父様にお米を持って行って差し上げようという気持ちがなぜかわからず火のように起こって、持って来たと言いました。 


▲当時の大邱・東山病院

私は毎日朝早くから早めに家事をしておいて、大邱(テグ)で神霊が高いことで有名な人たちに会いに行きました。その中で、今でも鮮明に思い出されるのは、東山(ドンサン)病院の下に住んでいた金(キム)夫人でした。金夫人は、小さな家に住みながら精誠を捧げる生活を長くしてきた人でした。神様が直接見せて教えてくれる啓示に絶対的に従いました。

ある日、神様が韓国を中心として新たな摂理を繰り広げておられて、すでに韓国の片隅で新たな役事が始まったという啓示を受けました。その啓示を受けた後、さらに熱心に精誠を込めているという噂を私が聞き、その夫人に御言葉を伝えました。数十回訪ねて行って原理の御言葉を伝えましたが、ある部分は理解をして感動を受けましたが、ある部分は全く理解ができませんでした。そうしながら、なかなか食口になりませんでした。

金夫人を見て、神様は神霊の高い人々にあらかじめ見せてあげ、準備できるようにして下さったことを確実に知ることができました。しかし、神様がそのように知らせてあげて準備された人でも、自己の観念や思考を捨てずに固執すれば、再臨主に会っても知ることができず、新しい真理を聞いても自身が受けた啓示にだけ執着するということを感じました。その人がするべき責任分担があったからです。 

ある時は、大邱の三徳洞(サムドクドン)で牧会をしていたある牧師がお父様に会いに来たことがありました。彼は大邱(テグ)の大きな教会で牧会をしていた有名な洪(ホン)牧師でした。その牧師がお父様の御言葉を聞いて恩恵を受けたのか、数回御言葉を聞きに来ました。その牧師と縁があった他の既成教会の牧師や伝道師たちもお父様を訪ねて来て御言葉を聞いたことがあります。

お父様は神霊の高い人たちに新しい御言葉を伝えることを願っておられたので、いつも私に伝道に出なさいと催促されました。今も準備されている人がたくさん待っていると言われました。

なぜか朝ごとにお父様にお会いすることが難しく感じられました。早朝に起きて、神様の御旨をおいて祈祷されたお父様の龍顔(りゅうがん/王の顔)は、厳粛で悲壮で恐ろしく見えました。しかし、伝道に行って帰って来ると、まるで父親が娘を懐(なつ)かしがるように優しいお顔で対して下さいました。いつも私はその日に起こった事を素直にそのまま報告差し上げました。そんな時は肉身の父以上にお父様が近くに感じられました。



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