シャボン玉のブログ

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姜賢實先生の自叙伝・ 第三章・その6 世界巡回

第3章 超教派の最前線で
   宗教和合の道、超教派 
  
貴い恩賜(おんし)で世界巡回をする

1980年には、真の父母様の貴い恩賜で世界を巡回することになりました。アメリカに来てから3カ月後に、真の父母様は、私が韓国に戻るときにヨーロッパ、アジアを回って行くようにと言われました。それで、1980年10月5日、ヨーロッパに向かいました。ヨーロッパに到着し、アジアまで巡回して韓国に戻ったのは11月30日でした。


約2カ月の間、巡回をしながらたくさんのことを感じることができました。特に真の父母様が1960年に世界巡回をされた時だけみても、食口が一人もいない国が多かったのですが、たった20年後に全世界のどこを訪れても食口がいるので、その間どれほど真の父母様が苦労されたのかを推測することができたのでした。


当時の旅行の一日のスケジュールは、どんなに夜遅くに寝ても、翌日午前6時、遅くとも7時には祈祷会で始まるというものでした。行く先々で食口たちが大変な歓待をしてくれるので恐れ入ることが多かったし、それにどうやって応えてあげればいいのかわからないほど、重い負債感を残すことが多かったのです。幸いなことに、真の父母様の心情と生涯に関する御言葉を話してあげると彼らは多くの恵みを受け感謝されたので、少しでも心の荷物を減らすことができました。全世界の食口たちから受けた愛が私にとって負債にならないように、今一度、熱心に努力しなければならないという決心をしました。


そのように巡回した場所の中で、イスラエルは今でも記憶に残っています。11月5日、パウロが伝道した歴史が込められているコリント市に到着したとき、彼らが使っていた共同浴場とトイレを見ることができました。また多くの神殿もありました。その時代に生きていた人々には敬拝を捧げて仕える習慣があり、石を削って立てて置き、それに敬拝を捧げたりしたという話を聞きました。大理石で築いた神殿がたくさんありました。今ではその土台だけが残っており人は住んでいません。テサロニケもやはり地震で土台だけが残っていて、人は住んでいませんでした。


 ▲コリントスのアポロン神殿


エルサレムを出発したのは翌日の11月6日の夕方でした。エルサレムに到着すると不思議な思いが湧いてきました。昔、イエス様がここを中心として、ユダヤ民族に福音を伝えながら説教したところだと思うと、感慨が実に深かったのです。その日は夜遅くまで眠れませんでした。


翌日の11月7日の朝に最初に訪れたのは、ナザレ教会でした。教会には、マグダラのマリアと姉妹の肖像画が飾ってありました。イエス様が亡くなった後、マグダラのマリアがあまりにも悲しんだという聖書の一節が思い出されました。この教会は、アラブ人が主管する地域に位置していました。


その次にラザロの墓に行ってみました。ラザロの墓はよく装飾されており、多くの観光客が往来するところでした。


<参照>ザラロの墓の写真 http://4travel.jp/travelogue/10672855


そしてエリコ城に行きました。昔、イスラエル民族がエリコ城を陥落するため七回もそこを回ったことを考えました。そこから40日間イエス様が断食をして3大試練を受けたところも行ってみました。山が乾燥し、草一本もありませんでした。2千年前にここで多くのあざけりと嘲弄を受けたイエス様を思うと、不憫な思いがして、霊界で協助してくれることを祈りました。そして、ナザレに行く途中でヨルダン川を見たのですが、とても小さくてまるで小川のようでした。


イスラエルで食口のおじいさんに会って、集団農場を案内してもらいました。1922年に集団農場を始めた時には一本の木もない荒涼とした土地だったのですが、今まで心を込めて育てた結果、今は多くの木がありました。美しい花壇や病院、プール、遊び場、会議場も用意されていました。そこで暮らす人は、食事や衣服、医療費、旅費まで保証され、お金が必要ない楽園に住んでいると言いました。村の住民は千人あまりで、毎日集団農場で仕事をしていると言いました。集団農場の託児所や劇場、そして博物館を見学し、イスラエルの伝統や生活を描いた村の絵なども見ることができました。


それから、イエス様が山上の説教をしたところに行って見ました。今はイタリアで主管しているカトリック教会が建てられていて、ガリラヤの海側の丘の上にありました。


また、イエス様が五つのパンと二匹の魚で五千人を食べさせたところにも訪ねて行きました。そこでは都市がモザイクになっていました。ガリラヤの海辺に行って、イエス様が魚を取ったところも行ってみました。


機会があればもう一度行ってみたかったのですが、今になっては、また行くことが難しくなってしまい残念です。


その時の巡回中に、久しぶりに会った食口たちもいました。世界のあちこちで宣教をする食口たちに会えば、夜遅くまで話をしたりしました。そんな日は早朝2時過ぎてようやく寝ることができました。それでも韓国を慕って真の父母様の近況や心情を聞きたいという食口達がいるので、心の片隅でありがたく感謝に思いました。



<参照> 公衆浴場と公衆トイレの写真も出てました。^^

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