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姜賢実先生の自叙伝 ; 第5章 真のお父様が行かれたその道を行きます。(2)

第5章  真のお父様(真の父母様)が行かれたその道を行きます。
▲ 真のお父様(真の父母様)が行かれたその道を行きます。(2)


私は神様と真のお父様(真の父母様)にいつも悔い改めの祈祷を捧げます。
「真のお父様(真の父母様)を信じて従っていると言いながらも、ただ不足なだけです。
言葉では食口たちを六千年ぶりに会った兄弟と言いながらも、彼らを愛していると言いながらも、彼らの事情が自分の事情として感じられないし、彼らの痛みも自分の痛みとして迫って来ませんでした。


彼らの煩悶(はんもん)や苦痛が私の煩悶と苦痛として感応されていません。
愛していると言いながらも、彼らの涙と悲しみと貧困、痛みが私には関係なく思われるのをお赦しください!真のお父様(真の父母様)が下さった真の愛に従い実践できていないので許容させて下さい!」という悔い改めの祈祷を毎日して暮らします。
涙とため息の祈祷が絶えません。


毎日朝、私は決心の祈祷を捧げます。
「神様、真のお父様(真の父母様)!私が真のお父様(真の父母様)を見習おうとする心情さえないわけではありません。真のお父様(真の父母様)について生きようと努力しながら生きてきました。神様と真のお父様(真の父母様)に及ばない不足した霊を哀れんで下さい!
私を見捨てないで下さい!目を閉じるその日まで真のお父様(真の父母様)を知って信じて手本としながら生かして下さい!真のお父様(真の父母様)を完全に従い侍り証しさせて下さい!」


今、統一教会食口たちは、天地人真の父母様をどのように知り信じ侍り生きるかという問題だけが残っています。真の父母様によく侍ることができなければ、統一教会の食口たちは、神様の前に責任を果たせなくなるのです。今の時代はどれほど切迫して重要な時期なのかを知り、それに合わせて最後この期間を後悔と恥ずかしさなしに、後代に残さなければなりません。


統一教会は、生きようとするところから出発したものではありません。
死のうとするところから出発したのです。
五官のすべての感覚が生きていては行くことができない道です。
生きていても死んだ死体のようになっていく道です。
いくら殴られても打たれながら耐えるべき道です。



死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬと言いました。
イエス様もそんな経験の中でこの言葉を言われました。
昔、お父様はどんなに恐ろしい試練と苦痛が襲って来ても、サタンの前には屈服しなかったと言われました。その多くの無視と残酷でありながらも恐ろしい逼迫(ひっぱく)、そして踏みにじられながらも、神の威信を思い神の法度(はっと)に背きませんでした。
お父様は恐ろしい重労働をされていた場でも誰にも負けず、くじけられず億万サタンと戦って勝利されました。


最後に、私はこれだけは知って生きなければならないと思います。
人は皆、生まれて逝(い)きます。末長くこの地におられると思ったお父様も逝かれました。霊界に行くのにも手続きが必要です。即ち、証明書が必要です。
まず、その証明書をどこからもらわなければなりませんか?
「私は神様と真の父母様の御旨の通りに、願われる通りに生きました」という勝利の証明書が必要です。その証明書は、自分自身が作ることができません。
サタンが作ってくれなければなりません。
サタンからその証明書を受けなければなりません。


イエス様はそれをよく知っていました。だから3年公生涯路程を出発する時、40日間サタンを呼び出して証明書を受ける戦いをしました。それが三大試練です。天下一のすべての栄光を見せながら、「私にひれ伏し拝むなら、これらのものを皆あなたにあげよう」と言いました。イエス様は、「サタンよ、退け!」と言いながら、「主であるあなたの神を敬拝し、神に仕えよ」と言いました。その時、サタンはイエス様に、「あなたは民族的に、世界的に勝利されました」と言いながら、「私が証明書を作って差し上げざるをえません」と頭を下げて退き、天使がイエス様に従いました。


私たちも、まず最初に、サタンから証明書を受けた後に、次はイエス様から、次は真のお父様(真の父母様)から証明書を受けなければなりません。最後に、神様の証明書を受けなければなりません。その以後に、神様の前に立たなければなりません。

ですから、蘇生的に認定を受けて、長成的に決定を受けて、完成的に、「お前は真(まこと)に私のもの」という判定を受けなければなりません。
即ち、お前は私の息子であり娘であるという印(いん)が押された証明書を受けるよう精誠を尽くさなければならないのです。


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