シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録 第二章 その11 生きておられる神様は間違いなく私の父、すなわち、姜賢實だけの父であるという確信

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)

第二章  ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ
 ● 御言葉を宣布する生活
  
永明(ヨンミョン)監理教会のチョ勧士(クォンサ)
       ※ 監理教会 (=メソジスト)



忠清南道(チュンチョンナムド)公州(コンジュ)で起こったことです。公州(コンジュ)に到着したときは無一文でした。それで歩いて行く途中、前にいたある婦人に声をかけました。「この公州(コンジュ)で部屋を一つ借りたいのですが」と言うと、その婦人は「どうして部屋を借りようとしているのですか」と尋ねました。それで、「私はイエス様を信じる者ですが、ここで一週間だけ伝道することが私の願いです。そうすれば、公州(コンジュ)の地に残っているすべての恨(ハン)が解けるでしょう」と答えました。 


すると、「ああ、伝道をされているのですね。私は監理教会に通うチョ勧士といいます。伝道をするなら、私の家に行きましょう。私たちの家は特に良くはないですが、静かな方なので祈祷するにはいいと思います」と言い、自分の家に案内してくれました。


そのおばさんの家に行きながら話を聞いてみると、その勧士の夫がソウルで大学教授であり、医師をしているということでした。子供たちも皆大学に通うためにソウルにいて、今はその婦人一人で家に住んでいるというのでした。 



チョ勧士の話の通り、家は平凡なわらぶきの家でした。その家に一週間過ごしたのですが、精誠を込めて私をもてなしてくれました。初日に到着してすぐのご飯に、肉のおかずを作ってもてなしてくれました。私が原理の内容を話すと、初めて聞く話なのでちょっと驚いたようでした。それで次の日に私に、「洞窟にちょっと一緒に行きましょう」と言いました。


「洞穴にはなぜ行くのですか?」
「洞窟の中で15年の間祈祷をしたという長老がいるのですが、一度一緒に行ってその方に会ってみたいのです」というのでした。


洞窟に到着してみると、本当に洞窟の中で15年の間祈祷をしたという長老がいました。その人は私を見るや、「この方はたいした方です。霊的な位置が私よりも高い先生です」と言いました。 その言葉を聞いたチョ勧士は大変喜びました。そんなチョ勧士に、「チョ勧士、この先生はたいした方だから泊まられている間は、できるだけよく仕えるようにしてください」と言いました。


洞窟では、その長老と話を交わすようになったのですが、彼は啓示を受けた内容が大変多くありました。「15年の間、祈祷をしながら、今はとても緊迫した重要な時」ということを知るようになり、先の者が後になり、後の者が先になるということも啓示で受けたと言いました。 


そして、既存のすべての宗教よりも新たに出てくる新興宗教の御言葉が、神様の前により近くになることができるという話もして、チョ勧士を説得しました。私は対話をしながら、その長老と霊的にとても近く密着されていることが感じられました。特に、彼らにメシア論を講義するときは皆が痛哭(つうこく)しました。「私がイエス様を殺した張本人」だと思いなさいと言うと、とても深い悔い改めをしました。 


それ以来、チョ勧士はさらに私に手厚く侍り、私の言葉を信頼しました。そして、自分の教会の勧士と執事たちを家に招待しました。おかげで、一週間の間、御言葉を楽に伝えることができました。そのように招待された人たちも皆、御言葉を喜んで聴きました。チョ勧士は私にすべて尽くしながらも、何かもう一つでもしてあげようと努力するようすでした。 


そのように一週間の間よく過ごし、原理講義前編を語ってあげました。そして別れる時になり、それまで大変お世話になったと挨拶をして行こうとすると、突然後ろから「姜先生、しばらくお待ちください」と急に呼び止められました。そうして家の中に入ってしばらくすると、お金の札束を持って出て来ました。


「これは何ですか?」
「二カ月間の十分の一条をしようと新しいお札をきちんと集めておいたものです。たんすの下に入れておいたのですが、発たれる先生の後ろ姿を見て、思わずこのお金を先生に差し上げたくなりました。」
「いけません。十分の一条は恐ろしいお金です。私はこれを受ける資格がありません。そしてこれは、監理教の為に準備されたものなので、私は受けてはなりません」と私は遠慮しました。


すると、チョ勧士が、「私は監理教の為に十分の一条を準備したのではなく、神様の為に準備しました。今、神様が先生に捧げよと言ったので、私が捧げるのではなく神様が下さるのです」と言いました。そのように強く勧めるので、仕方なくその精誠を受けました。


それとともに、私は、「神様は私が自分を愛するよりももっと多く私を愛して下さるようだ。こんなに私を導いて下さり、支援して下さる神様、ありがとうございます。まことに神様は姜賢實の神様であられます」という祈りが自然に出て来ました。 


そうしながら、私たちはお互いが見えなくなるまで手を振りました。その時、その十分の一条がいくらだったか覚えていませんが、かなり多かったと思います。天安(チョナン)に来て一週間部屋を得て、伝道を終えてソウルまでの旅費にした後、先生に差し上げようとケーキひと箱を買ってもお金が余りました。 


その時私は、生きておられる神様は間違いなく私の父、すなわち、姜賢實だけの父であると思うようになりました。私の背後には、生きておられる父なる神が苦楽を共にしておられ、疲れた時は勇気を下さり、寂しい時は慰めて下さり、お金がないときは誰かを通じてでも満たして下さる、天地万物を創造されたその神様が、私の父であることをより実感するようになりました。 


当時の私の生活は、あてもない旅人の生活でした。ひたすら心には、「いつ、誰に、この福音を伝えるのか」ということだけが重要であり心配されることでした。そうしながら韓国の地を三回以上回りました。ときには教会で毛布一枚をかぶって伏せて夜を明かす時もあったし、またある時は、孤児院に入って一晩寝かせてもらうよう請いたりしました。そんな日は、泣く子供たちの間で夜を明かさなければなりませんでした。またある時は、他人の家の次の間や物置、軒下で夜を明かしたりもしました。


ご飯を得て食べるのも大変な事でした。もちろん、その時は人々の人情が良かったのですが、どこに行ってもご飯を一匙(ひとさじ)下さいという声が口から出て来ませんでした。本当にお腹がすいて立ち上がることもできない状況になる時には、必ず助けてくれる人が現れました。


当時のお父様は急がれておられるのか、私だけを見さえすれば、「賢實(ヒョンシル)が家に中で座っているのを見ると叱りたくなるし、追い出してしまいたくなる」という言葉を何度も言われました。


「今も天から選ばれ準備された聖徒たちが、新しい知らせが現れるのを待っているのだから、探さなければならず会わなければならない」ということでした。「私たちが知らせてやらなければ、遠い後日に彼らは私たちに向かって責任を果たさなかったと讒訴(ざんそ)できる時が来る」と語られ、「一日が千年と同じであるから、一日も早く御言葉を伝えなさい」と催促されました。




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