法統を主張する者たちよ。メシア・後継者は自分の好みで選ぶのではない!
家庭連合の教育の賜物なのか、家庭連合の食口たちは、
血統ではなく法統を支持する人たちが増えてきたようです。
下記の記事のコメント欄には、同感だというコメントもいくつもつき、
「血統の重要性なら認めてやるから、イギリス王室のように存在して、(法統で選ばれた)真の後継者に権限を与え力になってあげる摂理をなしていかなければならない」というものもありました。家庭連合では、三男派、サンクチュアリと分裂しているし、お母様もあのとおりだと、法統をますます正当なものと推し進めていきそうです。
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http://damalhae3.blogspot.kr/2017/01/blog-post_18.html?m=1
誰であったのかが重要ではなく、何ができるかが重要なのだ より一部翻訳転載
今は中心人物の出身成分がそれほど重要でない時代に突入したが
これは歴史の流れのためであり、人間の自由意志と知的水準が高まったためである。
※ 出身成分:現代の北朝鮮における階層制度 およびその階級を指す語である。
「住民成分」もしくは単に「成分」と呼ぶこともある
封建時代には王の子息だけが王になれたが、今は地球上にそのような国は北朝鮮しかない。他の国々も王がいるが、その王たちは象徴的にのみ存在するだけで統治していない。
今ほとんどの国は出身成分を問わず、能力ある者を統治者として選ぶ。
もし人間の歴史の中で、神が摂理をすればこのようになったのも神の摂理といえるだろう。このような現象が、神の摂理の結果ではないとすれば、神の人間救援摂理の歴史を信じる必要がないのだから....では人間救援摂理の中心人物に対して一度考えてみれば救援摂理の中心人物として立たなければならない人も、このような法則に従わざるを得ないだろう。
出身成分も神の血統であり、能力も誰よりも優れていれば、
その人が摂理の中心人物にならなければならないことは言うまでもない。
しかし、いくら出身が神の血統であっても摂理を担うだけの能力がないなら
彼は中心人物になってはならないのだ。
摂理の中心人物になるためには、世の中を誰よりもよく知らなければならず
人間の本性についても該博でなければならず、世の知識にも精通していなければならない。そして、世の誰よりも道徳的でなければならず、世の誰よりも苦難に耐えることができなければならず世のどこの誰よりも慈愛に満ちた父母の心情をもっていなければならず
人間と世を愛する心に満ち溢れていなければならないだろう。
世の人々から尊敬される立場に立っていないなら、中心人物になれないのである。
今統一家の中にそのような能力を持っている人が誰なのか?
統一家の中にそのような人がいないなら、
そのような人を迎え入れなければ統一教会は存在する意味がないだろう。
いくら原罪なく生まれたメシアの子女であっても、
世の見本になれず尊敬されなければ、彼は中心人物になることができない。
世の人々の尊敬を受けずに彼らをどのようにして神の前に導くことができるだろうか?
聖書を引用するのはあまり好きではないが、マタイ3章8節に
選民としてするべき責任をせずに選民であることを誇るイスラエル人たちにイエスが
「だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。
おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、
アブラハムの子を起すことができるのだ。」
と叱責する内容があることを知っているだろう。
この言葉は責任を果たさなければ選民ではないことと変わらない。
自分がどのような資格を持っているとどんなに強調しても
メシアとしての能力を備えていないなら、彼はメシアになれないのである。
メシアが何なのかを知らない人たちが資格を見てしたがって行くかもしれないが、
メシアの使命が何なのかを知ってその責任を完遂できる能力があるかを見る人なら
能力がなければ、どのような資格を持っているとしても、共に行かないだろう。
何度も聞いた内容だが、なぜ統一教人になったのか?
死んで天国に行くためか?
それとも誰かに忠誠を尽くすためか?
地上天国を建設するために統一教人になったのではないか?
それなのに王だ無原罪だという、前近代的であり封建的な時代に退行している組織に
自分の未来を任せ子どもたちの未来を預けるのか?
神からどのような資格を付与されたと、誰がどんな話をしようと
それに見合った能力がなければ、彼は何でもないことになってしまうのである。
そして、彼らと共にする皆さんも何でもない者になるものであり....
どのような資格を持っているかではなく、何ができるかがより重要なのである。
勝つ者が強いという意味もこれと違わない。
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ところで今、亨進様の訓読会を生中継で視聴しながら書いているのですが、
心配な思いなど、吹き飛ばしてくださる亨進様の霊的威力を感じます!!
これに対し、韓国のサンクチュアリ食口が書かれた文をアップします。
メシアは天が送ってくださる最高の祝福です。
ところが、堕落した人間たちはそのメシアでさえ、自分たちの好みで選ぼうとします。
2000年前に来られたイエスもローマを中心にみ旨を展開しようとしましたが
堕落した人間たちの好みによって西洋人になってしまいました。
西洋のクリスチャンたちの好みに合うように、東洋人(ユダヤ人)であったイエス様を
自分たちの好みに合わせて、西洋人に変貌させたのです。
私もやはり、キリスト教で掛けて置くイエス様の絵を見て、
イエス様は西洋人だと思っていました。後でその事実を知って呆れました。
今日再び、このような自己中心的な考え方で
自分好みのメシアを切望する策略が演出されており、
苦々しい気持ちを拭い去ることできません。
お父様は聖和されました。そして、お父様は亨進様を明らかに
代身者・相続者として立てられ、ご自分の使命を継承させました。
ところが、自分の好みに合うことを願う者たちは、
気に食わないと不平不満を並べて従わずにいます。
それだけでなく、責任を果たせなかった、サタンが入った、
自分たちの期待と要求に応じないと
代身者・相続者に背く道をためらいもなく行っています。
さらに、代身者・相続者が摂理されることまでも方法論が間違っていると、
責任を果たさず、中心人物から排除されたという毒舌まで吐いています。
結局、これはお父様に対する絶対信仰の足らなさがもたらした結果です。
もしお父様に対する絶対信仰があれば、お父様が立てられた方を信じて従い、
従順屈伏して絶対服従の道を行くべきでしょう。
ところが、最初からその代身者・相続者の位置を奪って荒野に追いやっておいて、
荒野で神様とお父様の嘆きを叫ぶ代身者・相続者を
自分たちの基準で比較検討して誤ったと批判しています。
摂理的中心人物に従わずに批判した者たちは
皆、ワシの餌になって地獄へと一掃されました。
僭越(せんえつ)だとイエス様を受け入れなかったユダヤ民族は、
2000年間、国を失い、虐殺されて審判を受けました。
お父様を受け入れることができなかったクリスチャンたちは、
イエスを信じて天国へ行くと叫びますが、
彼らの魂は果たして何処に行ったでしょうか?
将来お父様が立てられた代身者・相続者を信じられず
従わない者たちの魂はどこに行くでしょうか?
お父様を基元節を迎えられずに聖和させ、その代身者・相続者まで荒野に追いやった
第3イスラエル民族の審判が進んでいることを見ているではないですか!
堕落した人間は、常に自己中心的な考え方を捨てきれず、
メシアまで自分たち好みのタイプを願いながら崩れていきました。
昨今の状況もやはり、このような自分の習慣、自己中心的な信仰を捨てきれなかった者が
お父様が立ててくださった代身者・相続者に従えず、
自分の口に合う代身者・相続者を願い、不平不満を言っているのです。
ひどい場合は、代身者・相続者を完全に否定してしまったり、
または責任を果たさず、その使命から除外され、
サタンが入ったという毒舌までためらわずに吐いているのを見ると、
無知とは本当に恐ろしいものだということを改めて実感します。
しかし、少し霊的な目で見てみれば、お父様が立てられた代身者・相続者である亨進様に、神様とお父様の聖霊が共におられることがわかります。
前回のアメリカ大統領選挙の時のことです。
誰も予言しなかったトランプが米国大統領に当選し、
またトランプが当選してこそ、大きな審判ではなく、
小さな審判で超えていくことができると力強く言われました。
劇的にトランプは王と連結されて霊的に一つになる役事が起こり、
その結果、世界がすべて嘲笑った王の予言通りに、トランプは当選しました。
王はおっしゃいました。
お父様の聖霊が、トランプが王と連結するようにされ、
また霊的に一体となった条件を立てたので、
トランプは必ず当選すると宣言されたのです。
この世で誰が違うと言っても、天が立てればその中心を通して摂理されます。
ところが、その立ててくださった中心に侍って従わずに
どのような信仰で天の前に行くことができるでしょうか?
私が原理を勉強した内容では、中心を立てずに天の道を行ける道はありませんでした。
ところが、神様がお父様を通して立ててくださったその代身者・相続者を否定して
どのような信仰で天の前に行こうとしているのか....
それとも後天開闢の時代は、天が立てた中心を無視しても
自分が神様に侍って行けば、皆天国に行けるという
非常に奇怪な新しい神学を作りたいのか...
ただでさえ最近はあまりにも奇怪な新しい神学があふれ出てきて頭が混乱ているのに、
新しい自分好みのメシア・代身者・相続者を渇望して無理を押し通すなら
胸が押し潰されそうな思いになります。
前回寄稿した文で前後左右の自己中心的な考え方に陥って
根本的な東西南北も見分けられないと言いました。同様です。
自ら東西南北も区別できないのに前後左右の自己中心的な考え方に閉ざされて、
また自分の口に合う天の中心を望むならば、
結局、摂理的中心を見失って審判の泥沼に陥るしかないことをお伝えします。
メシアは自分の好みではなく、天が御心に合わせて送ってくださるのです。
お父様の代身者・相続者も、神様がお父様が御心によって選ばれ決定されるのです。
決して私たち好みの者として立てられません。
決して私たちが選挙で選出できるようなものではありません。
神様が絶対中心を立てられるのです。
私たちは立てられた方を絶対的に信じて絶対的に愛して絶対服従する道だけが
生きる道であることを心に留めてください。
イエス、再臨主のときだけでなく、後継者の時にも
皮肉にも同時性のように再現されているのです。