シャボン玉のブログ

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削除された姜先生の回顧録 第二章 その2 私がお前とともにいる

私の証拠的生涯(=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主

 姜賢實(カン・ヒョンシル)



第二章 ■ 韓半島に来た再臨主を証しせよ


● 起きて叫ばん


(その1のつづき)
▲私がお前とともにいる
 
鈍行汽車は商売をする商人や米や野菜を頭に載せて入って来る人々で満員でした。人々の隙間をくぐって中に入っても座る席がなくて片隅に立って大邱(テグ)まで行きました。汽車の中の人々は大変多かったのですが、みんな貧しい人たちでした。私はその人たちを見ながら汽車の中で祈りました。


「神様。あのように多くの人たちが大邱(テグ)に行こうとします。しかし天の新しい消息を知っている人は私しかいません。この御旨をあの人たちにみんな伝えて、神様の御旨が分かるようににすべきですが、どうすればいいですか?」と祈る心で大邱に向かいました。


大邱(テグ)駅で降りましたが行くところがありません。韓国銀行の前に立ってみると、教会の鐘つき堂がたくさん見えました。たくさんの人が往来するのですが、どこに足を進めるべきなのか途方にくれました。一人も御旨を知っている人がいないと思うと寂し思いがしました。それで、私は再び祈りました。



「神様。私はどこへ行くべきか分かりません。教会も多く、行ったり来たりする人がたくさんいますが、私はどこに足を運んで行くべきかがわかりません。神様、このしごとはこんなにも難しいのですか?」と祈ってただ立っていました。


すると、私の耳に声が聞こえてきました。「賢實(ヒョンシル)よ、お前はこれを難しいと言うのか?お前は一年余りこの道を歩んで難しいというのか?私はこの御旨を成す為に、少なくとも六千年間苦労してきた。しかしお前は一年ほどこの道を歩んだだけで、難しいと言うのか?」という神様のとてつもなく大きな声が聞こえてきたのです。

「神様、それでは私はどうすればいいですか?」
「私はお前に力と勇気を与えるので、強く大胆な心を持って、この大邱(テグ)城中に神の体なる教会を建てよ」


神様は、私と共にあるという約束を下さいました。
それで私は、神様が私と共におられるので、どんな事でもすることができるという力と勇気を得ました。今も私に難しい問題が迫ってくるようになると、「父なる神様。昔その大邱(テグ)の路上で私に聞かせて下さった声が恋しいです。今も私にその声を聞かせて下さらなければなりません」と祈りを捧げます。

いつのまにか日は暮れて夜になりました。大邱(テグ)に到着したので、まず神様に祈祷を捧げる場所を探さなければなりませんでした。それで、大邱(テグ)で一番大きな西門(ソムン)教会を訪ねて行きました。徹夜祈祷をするためでした。大邱(テグ)にお父様の御旨と心情を知る人が私一人だけだと思うと、神様に頼らざるを得ませんでした。


次の日、早朝祈祷のために来たある執事(チプサ)に会いました。ド・キソン執事という方でしたが、その方が、「今日、私たちはいっしょに山へ祈りに行きましょう」と言いました。それでその執事に従ってかげろう山(今の大徳山)に登って行きました。ド執事はそのとき入教して食口になりました。天候は暑かったですが、上上峰(サンサンボン)まで上がって祈祷して歌を歌いました。
 
来なさい友よ 園の春はときを迎え花が咲き、
楽しいこの春を歌おう エデンの友たちよ
みんな集まり踊りを踊り 新しい歌を歌おう

 
礼拝に出たときにたくさん歌った歌が思い出されて歌いました。一番高い峰に登って歌う歌なので、山に声が響くように歌いました。三番まで歌って、また歌いました。
そのように歌に酔って歌っていると、「ここに人がいるよ!」と言いながら、十数人の婦人たちが上ってきました。彼らは南門(ナンムン)教会の勧士(クォンサ)と執事(チプサ)たちで、十日間山で祈祷をするために登って来てこの下で祈祷していると歌声が聞こえた、と言いました。深い山の中で女性の歌う声が聞こえてきて、「あそこに人がいるようだ」と言う人たちと「あれは人の声ではなく、天使の歌声だ」という人たちの二つに分かれることになったということでした。お互い話をしても結論が出ないので、どちらか賭けまでして、歌声に向かって登って来たのでした。
 
※ 勸士(권사・クォンサ) :信者を訪ねて信仰心を深めたり伝道したりすることをおもな任務とする布教師.
 
※ 執事(집사・しつじ) :礼拝の補助や会計管理などを行おこなう信徒。
 
※ 諸職會(ジェジクヘ・しょしょくかい) :改神教(=プロテスタント)で教会の職責を任された人たちが教会業務を議論する集まり。教会の長老、按手執事、勧士(クォンサ)、代理執事などが会員になる。(韓国語辞書より翻訳)

 
彼女らを見て、先生が私を送られて、どれほど祈祷され精誠を尽くされ霊的に共におられるのかを感じることができました。
彼女らは私を見て大変喜びました。


「どうしてここで歌を歌っているのですか?」
「私はこの山に祈祷をしに来ました。」
「そうですか?私たちも十日間山で祈祷をしに来ました。私たちと一緒に祈祷しましょう」と勧められました。


一行の中で少し年配に見える婦人が私を見て、「お顔を見ると、恵みをたくさん受けられた方のようです。ここにいる間、祈祷もして、聖書講解(こうかい)もして、お話もしていただければと思います」と請いました。
私は、「いいえ。私はそんな資格がない者です」と断りました。
「そう言わずに、恩恵を少し分けて下さいな」と言い、一行がみんな私に願うのでした。
しかたなく私は、「ではいっしょに恩恵を受けましょう」とその日の夕方から御言葉を伝えました。


役事は初日の夕方から起こりました。いっしょに賛美歌を歌うのですが、一人が立ち上がってひらひらと踊りを踊り始めました。その人が、「霊界の霊人たちがとても喜んで踊りを踊ります。なので、私はそれに答える為に踊りを踊ります」と言いました。そして、「霊人たちが、地上で生きて主に会うことができるあなたたちがとても羨(うらや)ましい、私たちは霊としてでも主に会えるのでとてもうれしい、と言っています」と伝えてくれました。




またある人は、かげろう山から曙光が照らし、その光があまりにも明るく熱い火になって大邱市をすべて焼きつくす幻を見たりもしました。
また別の人は、灰色のズボンにからむしで織ったシャツを着た体格の大きな方が、両手を高く上げては、祝福の祈りをしてくれる幻想を見たりもしました。その姿は当時のお父様の姿でした。お父様が霊的にその山にやってきて、私たちを祝福して下さるのだと思いました。


十日間役事が続いたので、時間がたつのも忘れて祈祷をしました。何も食べていなかったのですが、お腹がすきませんでした。そして不思議なことに、その十日の間、雨が降りませんでした。夜、岩の上に横になって休もうとすると、昼の間太陽熱にあたった熱気で、天然の石づくりのベッドができて背中が暖かかったです。


そのようにいっしょに精誠を尽くした勧士と執事たちは、私を「先生」と呼びました。私に、「先生、先生!」と言いながら、恋人を愛するように愛するのでした。三日ぐらいした時でした。休んで目を覚ますと、みんな私の体をつかんで眠っていました。ある人は右手をつかみ、またある人は左手、左腕、左足、右足を握っていました。
びっくりして、「暑いのにみんな何をされるのですか?眠れないのなら祈祷をもっとされたらどうですか?」と言うと、「祈ることよりも先生の横にいるのがもっと恵みです」と言うのです。「だったら少し寝たらどうですか?」と言うと、「寝るよりもこうして先生の隣にいると疲れが取れます」と言うのでした。

どれほど私について来るかというと、私が瞑想に行くと探しに来るし、一人で静かに祈祷しようとするとついてきて、トイレに行ってもついてくるのでした。それがあまりにも度が過ぎていて大変でした。


しかし、「私たちは20年の間、信仰生活をしましたが、このような御言葉は初めて聞きました。イエス様の事情と心情を私たちは知りませんでした」と言いながら、熱気が冷めなかったのでした。賛美歌を歌えば、みんな涙を流して悔い改めて痛哭(つうこく)しました。私のところに来て、これまで生きて来た人生を告白して悔い改めたりもしました。

十日目が過ぎて再臨論講義を始めました。するとある人が膝を叩いて、「姜先生、今解決しました」と言いました。「何が解決したのですか?」と言うと、「私たちが最初にここで祈祷するとき、私は黒い紙に白い文字で「韓国再臨」と書いたものを見ました。今日の御言葉を聞いて、その意味が何なのかがわかりました」と言いました。


さらにその人は、「私たちは下りて行って、教会を立てましょう。教会が立てられるように献金をしましょう​​」と提案しました。他の人々も皆、教会を建てるために寄付をしようということで志(こころざし)を集めました。そこで献金した金額で部屋一つを設けることができるようになりました。
 

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