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姜賢実先生の自叙伝 ; 第5章 真のお父様が行かれたその道を行きます。(1)

第5章  真のお父様(真の父母様)が行かれたその道を行きます。
 
真のお父様(真の父母様)が行かれたその道を行きます。(1)


ある日、祈りの中で、神様は「私の愛する息子、文鮮明先生がこの地上に現れなかったならば、どうするつもりだったか?私はどうなったか分からない。今まで私が地上に現れ、役事したすべてが水泡に帰したかもしれない。しかし、文鮮明先生がこの地上に役事しながら、私が今まで地で役事したすべてのものが成事され成就されるようになったので、私にはとてもありがたい(感謝に絶えない)息子である」と言われました


神様がどれほどお父様を愛し、ありがたく思われているのかを私は切実に感じました。
それで、お父様に祈祷の中で受けたその内容をお伝えしました。「神様は、お父様をどれほどありがたく嬉しく思っておられるのかを、祈祷の中に現れて私に話して下さいました」と言うと、お父様は日本語で、「ソレハホントニソ-デアルヨ」とおっしゃいました。韓国語で言えば、「그것은 정말로 그래요.(それは本当にそうだよ)」という意味です。



そして、お父様は、「今、太陽を東から西まですべての人が見ることができるように、真の父母様を世界のすべての人々が見る時が来る。世界のすべての人々が真の父母様を恋い焦がれて探しまわる時がすぐに来る」と言われました。


そして、真の父母様が全世界の前に、天地人真の父母様として顕現され、神様と真の父母様が出会われて万王(ばんおう)の王として登極(とうきょく=王位につく)された日、私は涙を抑えることができませんでした。神様がすべて知らせて下さったとおりに、真の父母様がすべて成し遂げられたからです。


ある人が言いました。「これまで統一教会で、『伝道師』と言えば姜賢實(カン・ヒョンシル)会長が思い起こされます。私だけでなく多くの食口たちが姜会長を思いながら、健康を心配し祈祷しています」。ありがたい言葉ですが、私がそう言われると、「私は自分の責任を果たせなかった者です。そのような言葉は 言わないで下さい」という言葉がまず出てきます。


なぜなら、統一教会を代表する伝道師と言うには、してきたことがあまりにも少ないからです。


教会活動でお父様から何度も賞を受けましたが、その中で1956年にお父様の生辰(せいしん=聖誕)を迎えて戴いた「卒業証」が私の大きな誇りです。その卒業証は第2回の原理試験を受けて頂いたものです。第1回目は、お父様が私に、大田(テジョン)の霊通人だった權(クォン)長老に会いに行けと言われて、試験を受けることができませんでした。


それで第2回の時、試験を受けて卒業証をもらったのですが、1号が金元弼(キム・ウォンピル)先生、2号が劉孝元(ユ・ヒョウォン)先生、そして3号が姜賢實(カン・ヒョンシル)でありました。その卒業証は、「世界基督教統一神霊協会」の名で、お父様が直接下さった賞なので、より感激的でした。お父様のお名前が書かれた卒業証を3号として受けたことが本当にうれしかったです。


そして、1964年4月12日にお父様が下さった「3年路程模範賞」と1968年2月4日に頂いた「7年路程大賞」もお父様から頂いた賞であると記憶しています。その外(ほか)にも模範賞と表彰状を受けましたが、特に草創期の困難な時に受けた三つの賞が忘れられません。勝共連合で講義をした時に道知事からもらった感謝状も何枚かありますが、それよりは教会で父母様からもらった表彰状の方が私の人生でもっと大きな意味があります。


今日(こんにち)、教会と信徒は奇怪なイエス様を要求しているので、牧師や伝道師といった人々は奇怪なイエス様を伝えています。基督(キリスト)精神の本質を全て失い、形式と制度だけ取り繕っているので、神様の摂理の方向に耳を傾けることは、あまりにも難しいのです。このような教会に再臨主が来られたならば、再び苦難を受けるしかありません。私は最も保守的な宗教団体で伝道師の生活をしながら、保守的な法のくびきに縛られていました。そんな私がこのように主に出会い、新しい生命を得たので、これが私には最も大きな奇跡であります。


真のお父様(真の父母様)は私の救世主であられます。世界のどんな人も、また、お金や学識も、私を救うことはできません。しかし、真のお父様(真の父母様)は私を救って下さいました。私の生活の中心は、ただ真のお父様(真の父母様)であられます。祈祷にも、聖歌にも、生死にも、夢の中にも、真のお父様(真の父母様)だけです。食べても真のお父様(真の父母様)、着ても真真のお父様(真の父母様)、仕事の時も真のお父様(真の父母様)、休む時も真のお父様(真の父母様)だけです。真のお父様(真の父母様)よりさらに貴いものは私にはありません


心情の本体であられ、真の愛の実体であられる真のお父様(真の父母様)、私の心の中に訪ねて来られ住まわれて下さい!不信し反対し後ろを向いた心に新たな心情を下さり、悲しみ背を向けた心の上に新たな所望(しょもう)と胆力と勇気を下さいました。


生きておられ役事される真のお父様(真の父母様)、今、私の心を受け入れて下さることを信じます。真のお父様(真の父母様)は、私の根本であり、力であり、慰労であり、所望であり、生命であられます。万事を真のお父様(真の父母様)のために生きていきます。


真のお父様(真の父母様)に出会っていなかったら、私はこの世で最も不幸な者になっていたでしょう。外的には今よりも富裕で名誉高く暮らすことができたかも知れませんが、私の霊人体は死亡の道を迷い彷徨(ほうこう)し寂しくなっていたでしょう。真の生命と真の愛、真の信仰をできずに、偽りの生命、偽りの愛、偽りの信仰の中で窒息しながら暮らしていたでしょう。


一番目が真のお父様(真の父母様)、二番目も真のお父様(真の父母様)、三番目も真のお父様(真の父母様)であられます。真のお父様(真の父母様)は私のすべてです。すべての事を真のお父様(真の父母様)に任せて真のお父様(真の父母様)の命令の通りにだけ従順に従いながら死ぬその日まで私の生命も喜んで捧げます。


今、私の年が八十をはるかに超えました。お父様に侍っていつのまにか満61周年、新しい生命を持って生きて還暦を迎えました。気力も衰え肉体は弱くなりましたが、真のお父様(真の父母様)に向けた私の心はより一層熱くなります。いつか離れるこの世、捨てて行くべき肉体への未練は捨てて、聖なるきれいな霊人体の為に生きるでしょう。今後、どのような試験と艱難が私の前に来ても、私は真の父母様の手を握って前に前進するでしょう。


世の中のすべてのものは跡形もなくなり意味を失うでしょうが、真のお父様(真の父母様)の為に苦労して忠誠したことは、青史(せいし)に永遠に輝くものであり、霊界で永遠の誇りであり、栄光として保存されることを私は知っています。まだこのような事実を知らない人々に真のお父様(真の父母様)だけは永遠、不変、唯一、絶対の価値であられ、真理であられることを伝えたい気持ちがいっぱいです。


私をはじめとする統一教会食口たちが真の父母様と原理にもう少し狂ったならば、今日(こんにち)の御旨がもう少し進展したでしょう。真の父母様が万王(ばんおう)の王として登極(とうきょく)され、人類の天地人真の父母様として定着される日も、もう少し短縮されたでしょう。


しかし、肉体は心についていけません。決心は数多くしましたが、体は弁明だけでいっぱいです。肉体の懦弱(だじゃく)さを嘆息(たんそく)せざるをえません。


「神様、赦してください!私は不肖な娘です。神様の愛と生命を私の中に見つけることが難しいこともあります。口では言葉を言うのですが、実相はかすかになるだけです。だから今私は苦痛を受けています。あなたの愛と生命で私の心情を弾ませて下さい。
私の血が沸き上がるようにして下さい!」


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