シャボン玉のブログ

韓国情報、韓国聖殿の近況や私の日常のつぶやきなど綴っていきたいです。

姜賢実先生の自叙伝 ;6章 7. 命をかけて伝道した勇敢な梁允永(ヤンユンヨン)先生


今日紹介する2つは、康お母様が送られたお手紙です。


<追記> 2017.12.7
梁允永(ヤンユンヨン)先生の侵攻書記がまとめられているサイトがありました。
ご関心ある方はどうぞ。




ー*-*-*ー*-*-*ー*-*-*


▲ 命をかけて伝道した勇敢な梁允永(ヤン・ユンヨン)先生


私は統一教会の食口の中で韓国で一番最初にお父様に伝道された者でありますが、梁先生はソウルで一番最初にお父様の御言葉を聞かれた方です。1954年4月に劉孝元(ユ・ヒョウォン)先生が釜山からソウルに来て、一番最初に伝道された方が梁先生であられます。


梁先生が原理の御言葉を聞いてとても感動して、自分が知っている人たちに御言葉を伝え始めました。ソウルの北鶴洞(プカクドン)に再臨主が来られたと自信を持ちためらわず叫びました。その言葉を聞いた人たちは梁先生の頭がちょっとおかしい人と思ったりしました。それでも梁先生が導いた多くの学生と知人たちが主に会うために北鶴洞(プカクドン)のそのみすぼらしい家に訪ねて来ました。


梁先生は、崇義(スンイ)女子高出身です。その時に梁先生は、崇義女子高の校長だった李シンドク氏に御言葉を伝えようとしました。しかし、急ぎすぎて最初から主が来られたという話からしたので、李シンドクさんが聞こうともせずに会おうともしませんでした。梁先生がそのような状況をお父様に報告したら、お父様は「姜賢実が行って伝えなさい」と言われました。


私はタクシーに乗って行ったのですが、その家を探すことができずに戻ってきました。するとお父様が叱られました。私はその時までお父様がそのように恐ろしい方であるとは知りませんでした。大変な怒りを表されて、私はつい、「主がこのように恐ろしい方とは思わなかった」と、声を出してわんわん泣きました。


しかし、お父様はおだやかな口調で再び訪ねて行くようにと、道を正しく教えて下さいました。そうして家を探し出して御言葉を伝えましたが、私の話をすべて聞かずに追い出しました。結局、私も狂人扱いをされて泣きながら帰って来ました。


それでも、梁先生は積極的な方なので水火(すいか)も辞さずに真のお父様を証しして、お父様が喜ばれ、お父様をうれしくさせてあげた方でした。梁先生が入教した後、数カ月間、一人も伝道がされていませんでした。伝道がよくできない時、梁先生は、「主がすでに韓国の地に来られたのに、みんな何をしているのか」と叱られ伝道をしました。「今、主がこの地に来られたので来られた主を信じて、その御旨を広げなければならない時」と宣布され回られました。


そのような梁先生の言葉を聞くたびに、「これは梁先生の言葉ではなく、神の言葉だな」と思いました。そして、「講義を受けて間もない梁氏を先頭に立てて役事されるほど、天がどれほどもどかしくされているだろうか」という申し訳ない気持ちがしました。


梁先生は、自分の命よりも、愛する子供よりも御旨をより重んじた方でした。自分の子供を孤児院に送っておいて子供を思いながら一人泣いて夜を明かした日がどれほど多かったでしょうか?子供たちを考えると狂ってしまうようだと言いながらも、夜が明けたらまた東奔西走(とうほんせいそう)し伝道に全情熱をすべて注ぎ、子供を考える時間がなかった梁先生、真に御旨に狂った方でした。


梁先生が、「神の御心を成就するために来られた主に侍っている事は、この世のどんな事よりも最も価値のある財産を持っているのです」と言われた言葉が思い出されます。この最も貴重な財産を得るまでに梁先生は貧しさと戦って勝利され、迫害と戦って勝利され、言葉では表現できない侮辱と屈辱を克服されました。梁先生は真に神様と真の父母様が愛され、この世の人を愛された心情の所有者であられるので、統一家食口たちの見本になられた方でもあります。いつ、どこで、誰にでも自信を持って誇っても恥ずかしくない梁先生であられました。


行事にのたびに、その美しい声で歌を歌って真の父母様と食口たちを喜ばせて下さった孝行娘であり女傑であった梁先生、あれから60余年が経ちましたが、これらの事が昨日のように思い出されます。霊界でお会いましょう。


1989年姜賢実 拝


ー*-*-*ー*-*-*ー*-*-*


▲ 具貞淑(ク・ジョンスク)勧士(クォンサ)ニムへの追悼の辞


勸士(권사):キリスト教教会の職分の一つで, 信者を訪ねて信仰心を深めたり伝道したりすることをおもな任務とする布教師.


36家庭・具貞淑(ク・ジョンスク)女史。
1991年中央大学病院で幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にした具勧士(ク・クォンサ)。


幽明界を異にする(ゆうめいさかいをことにする): あの世とこの世とに別れる。死別する。


具(ク)女史の生前の姿を一度振り返ってみます。
具女史にお会いできたのは今から35年前、1956年の初秋、大田市大興洞(デフンドン)でお会いしました。私はその時、一人の食口もなかった大田(テジョン)に下って行って開拓した時でした。


35年前の開拓伝道は全く大変でした。40日間一日に大田市を七度廻って、「神様が準備して下さった聖徒たちを送って下さい」と涙で祈った時でした。


ちょうど当時、具女史の夫である金寅哲(キム・インチョル)先生が米倉(ミチャン)支店長として大田(テジョン)に転勤に来られました。


私はその時、至誠天に通ず(しせいてんにつうず)、また、精誠を込めた功はこわれることなく、全心を神様に向かって求めれば成して下さることを実感しました。その時は話しませんでしたが、お二人に会った時は真に神が生きておられ、神様が送って下さった方々だと信じました。また、その時の喜びは計り知れませんでした。


お二人の第一印象は、根っからの善良な方に見えました。その時、私は具女史の前で精誠を尽くして御言葉を話し、原理講義もしました。そうして、御言葉を聞いた感想はどうかと尋ねてみました。すると、具女史は、「私は何も分かりません。ただ、夫の金先生が良いと言われるなら、この御旨の道を行きます。私は何の理由もなく無条件にこの道を行きます」と答えられました。


その言葉を聞いて天稟(てんぴん)が本当に神から与えられた心を持っておられることを感じることができました。統一食口は、誰にでも具女史について聞いてみると、温純で慈愛に富み、譲る心が多く思いやりが深い方だと答えるでしょう。


また、具女史は、神様の御旨のままに生きようと努力しておられた方でした。貧しい人々を見れば、ただ通り過ぎる方ではありませんでした。たとえ自分が苦労をして、また何も無く生きても、食口たちの為にはすべてのものを与えることが好きな方でした。特にお客様のおもてなしを楽しんでいた方でした。御旨の道を行きながら一度も自分がしたことを誇ったり自慢もされないで、静かに他の人がわからないように、自ら神様だけが知られる道を行かれました。心の中で真の父母様に孝行を尽くしながら歩んで来られた方でした。


今日、天の国に送り出す残念さを何でもっても言い表すことができません。私は具女史に、あまりにも多くの愛を受けてきました。具女史の家に行って朝食夕食の接待を受けながら伝道することができました。霊界に行っても、「本当にありがとうございました」とあいさつを捧げたいと思います。


どうか喜びの心で楽しくすばらしい天国を成した者として勝利の道を行かれることを願いながら、追悼の辞に代えさせていただきます。


1991年姜賢実 拝






×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。