決死の38度線、臨津江(イムジンガン)の祈祷
で紹介していましたが、
救国合同祈祷大会の日にちが3月3日に変更されて、以前の参加者らにマスコミ、海外同胞も加わるようです。
先日は3月1日の独立運動記念日の話をしましたが、私の心には今、3.1独立運動よりも、お父様が南下して来られる当時の状況が強く浮かんでくるのです。
決死の38度線、臨津江(イムジンガン) です。
「1950年12月21日早朝、封鎖される直前に38度 線にほど近い臨津江(イムジンガン)を渡りますが、私たちが臨津江を渡り終えるや、国連軍は これ以上渡ってこられないように川を閉鎖してしまいました。」
今は、韓国人が逃げようとすれば、海外に渡るしかありません。
「三年間は、韓国の危機である。」
「臨津江(イムジン川)が凍らないように祈祷しなさい。』
北が攻めて来ようとすれば、臨津江(イムジン川)が凍る冬にその川を渡って攻めて来ようとしていましたが、その年は暖冬で川が凍らなかったという話を覚えています。
韓氏オモニの天宙的な堕落によって、審判、蕩減は避けられませんが、
なんとか小さく抑えられますように。
お父様が生まれた主の国、血と汗と涙を流された韓国が
サタンの手に落ちてはお父様に本当に顔向けできない心情です。
今また、決死の38度線、臨津江(イムジンガン)の祈祷 です。
それとともに、具体的に左派に対抗して、太極旗と星条旗と統一旗をなびかせ、
それこそ、左派を風前の灯火の状況に逆転させたいものです。