今だから語れる話;ホームレスになった李相烈会長
2年前の2015年3月、その時から韓国聖殿が出発しました。
今だから語れる、李相烈会長と韓国聖殿の事情です。
下記は、李会長と共に歩んでこられ、当時をよくご存知の方からの寄稿文です。
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■ 2年前(2015年3月)、ホームレス牧会者になった李相烈(イ・サンヨル)会長
李相烈(イ・サンヨル)教区長が主管する仁川(インチョン)教区は、当時、(韓国)全国の教区の中で一番の実績でした。その李相烈教区長がペンシルベニアを訪問されて、世界平和統一聖殿・ソウル聖殿の会長に任命されたのが2015年3月8日でした。
2015年の3月そして4月には、韓国の聖殿組織には建物はもちろん、聖殿やサンクチュアリという組織名もなかったとき、李相烈会長は数人の食口を集めて亨進世界会長の御言葉を数人の食口たちに伝えられました。
この写真が撮られた2015年3月29日、李相烈会長はまだ仁川教区長を正式には解任されていない時でした。
つまり、李会長は家庭連合組織におられる時であり、家庭連合より、「礼拝してはいけない」、「社宅から出よ」、「清平40日修錬会に参加して悔い改めよ」という指示を受けたと言われ、教会の外で礼拝をせざるをえませんでした。
食口たちにとって、亨進ニムを信じることは今までの数十年の信仰生活を否定されるさびしい路程の始まりでした。
仁川(インチョン)教区長でありながら教区を追い出されて、行くところのなかったホームレス牧会者になった李相烈(イ・サンヨル)会長でした。
そして、地下鉄の階段で泣いていたという、その師母任(サモニム)でした。
その泣いている師母ニムをたまたまみかけた親戚があわれに思い、
その親戚の家に居候(いそうろう)することになったということです。
現実も将来の見通しも暗かったです。顯進ニムには、従う食口たちは百人を超えていたし、※アメリカで年間6億ドルを売り上げるトゥルーワールドという企業体も傘下に持っておられるのに反し、亨進世界会長はただ荒野で叫んでおられるだけで、亨進ニムに従う食口は世界合わせても数十人だったでしょう。
※匿名の顕進様派の方からの話の中に、『トゥルーワールドは、不況の中でも年間の売上高が6億ドル以上にもなる実績を出している』という内容がありました。
しかし、それでも李相烈会長の伝える言葉の正しいことを認める韓国の数人の追従者は、この部屋で亨進ニムを信じて出発しました。
その後の李相烈会長の自慢は、「建物はなかったけれど二部礼拝(礼拝を二回)をした」とたびたび言われています。昼の礼拝はソウル市内の永登浦(ヨンドゥンポ)にある檜田(ひわだ)さん・金ミナさん家庭の事務所でされました。
しかし、そこではビデオや写真は撮ってなかったのです。
夜の礼拝は富川(プチョン)の食口の家でされました。そこでは写真とビデオを撮ることができました。この時、撮ったビデオは、当時、李相烈会長は「公開しないでくれ」と言われました。
李会長は、統一教会がオモニムと亨進世界会長の間で分裂することを心配しておられ、
李相烈会長のビデオでの話がその分裂を助長することを心配されておられたからでした。
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ソウル聖殿では毎年5月に創立記念日として記念礼拝をしますが、李相烈会長は3月に韓国聖殿会長として任命された記念祈祷をご自分の心の中でされておられると思います。
「あれから2年になりましたね」
「そうだね。いろいろなことがあったね」
という李相烈会長御夫妻の会話が聞こえてきそうです。