シャボン玉のブログ

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則天武后とお母様

三代王権と一緒にお父様に帰ろう!『三代王権・こころのサンクチュアリ教会』: 則天武后_韓鶴子総裁■文亨進真の父母二代様 で『武則天』(則天武后)のことが取り上げられていましたが、あの衣装の似ていることには本当にびっくりです。


“映画の衣装を真似たのではと言われている”そうですが、武則天の最期を思うと、それを暗示してしまうので不吉ですよね。それで私は、そんな武則天を真似ようとしたのではないけれども、不思議にそう導かれたのかもしれないと思ったりします。
天の警告、暗示とでもいいましょうか。。


日本では『則天武后』と呼ばれることが多いそうですが、中国では『武則天』と呼ぶことが多いようです。韓国も日本と同じように“皇帝として即位はした事実はあっても”『則天武后』と呼ぶようです。


武則天 - Wikipedia
武則天は、中国史上唯一の女帝。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。日本では則天武后と呼ばれることが多いが、この名称は彼女が自らの遺言により皇后の礼をもって埋葬された事実を重視した呼称である。一方最近の中国では、彼女が皇帝として即位した事実を重視して「武則天」と呼ぶことが一般的になっている。



私の2015年10月29日の記事で 『武則天』について書いた記事があります。



そこで取り上げましたが、『独生女』声明をされて女帝の道を進まれるお母様と武則天は本当に似ているところが多いんです。
お母様の誕生秘話や行われていることを思い浮かべながらご覧ください。


<引用はじめ>


生まれて間もない頃、袁天綱という名道士が来て彼女の相を占い、
人相を見た袁天鋼は必ずや天に昇ると述べたという伝承がある。
これを聞いた武士彠はその場にいた者たちにこのことを忘れさせたが、
乳児としての武照の容姿が極めて美しかったこともあり、
将来の皇后を期待した武士彠はその予言を実現すべく高度な教育を与え
幼名を媚娘と命名した。


★宗族の挙兵を打ち破った後、武后は女帝出現を暗示する預言書
(仏典中の『大雲経』に仮託して創作された疑経)を全土に流布させ、
また周代に存在したとされる「明堂」(聖天子がここで政治を行った)を
宮城内に建造させ、権威の強化を謀り、帝位簒奪の準備を行った。


★天授元年(690年)、武后は自ら帝位に就いた。国号を「周」とし
自らを聖神皇帝と称し、天授と改元した。睿宗は皇太子に格下げされ
李姓に代えて武姓を与えられた。この王朝を「武周」と呼ぶ。


自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』創り
これを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた


・・・・・


そして、改名好きだったとも書いていました、、、


<引用おわり>



『大雲経』『真の父母経』での「真のお母様の生涯路程』になるのかしら?
『母胎からの独生女・無原罪論』がはいっていることでしょうし、『明堂』は『天正宮』でしょうか?いや、清平になるかしら?
『改名好き』というのも、、、お母様は改名ではないですが、次々といろいろなものを削除、改ざんしていかれました。


お母様が則天武后と同じ最期を迎えていかれないように、
なんとかお救いしなければなりません。
お母様、戻ってきてください。
あの頃のような純粋な笑顔に私たちは会いたいのです。
あの頃のお母様に会いたいです。


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