朴普熙(パク・ポヒ)先生も逝かれました
昨日、2019年1月12日午前7時半に朴普熙(パク・ポヒ)先生がお亡くなりになりました。享年90歳(1930年生まれ / 日本年齢では89歳)だったそうです。
昨日、世界日報でなく、ネットの朝鮮日報で知りました。韓国ではあちこちのメディアで「統一教 第2人者 死去」という見出しで報道されています。
1月10日に李ヨハネ先生がお亡くなりになったと伺いましたが、後を追うように、お父様とともに歩まれた一世の方々が他界されていきますね。
李ヨハネ先生がお亡くなりになり、1954年協会創立以前に伝道され、お父様と共に歩まれた方は康オモニお一人になられたというお話でした。
その康オモニが「死んでもいい」と死を覚悟されてアメリカ行きの飛行機に乗られて、今、真の母となられて、二代王と共にいてくださいます。
本当に感謝で、お父様の役事だと実感せざるをえません。
二代王が、康オモニのご健康について皆に祈祷をお願いされ、康オモニへ差し上げようとする金色の銃のお話もされましたが、暖かい春にお元気になられた康オモニに早くお会いしたい思いでいっぱいです。
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▼以下は韓国の朝鮮日報の報道の翻訳転載です。
「統一教会 第2人者」パク・ポヒ 前 世界日報社長 死去
入力2019.01.12 20:46 | 修正2019.01.12 21:31
1970年代 コリアゲート連累 ( れんるい) アメリカ下院出席....はばかることない英語反論、公聴会のスターに
※ 連累 ( れんるい:他人の罪や事件に関係して罪や災難をこうむること。まきぞえ)
文鮮明総裁に続いて、統一教会第2人者として君臨していたパク・ポヒ (89) 前世界日報社長が12日、宿患(しゅくかん)で他界した。
※ 宿患(しゅくかん:以前からの病気)
1930年 忠南牙山(チュンナム アサン)で生まれた故人は、1950年 陸軍士官学校 第2期生徒として6.25戦争に参戦した。以後、駐米韓国大使館関係補佐官と成和学園理事長、米国ニューヨーク市トリビューン出版社、ワシントン・タイムズ会長などを務めた。1991年には世界日報社長に就任して3年間 会社を導き、1994年、金日成北朝鮮主席が死亡すると訪朝し弔問した。
英語力に優れていた朴前社長は、1970年代 統一教会が米国で教勢を拡大していた時期、文鮮明総裁の講演を通訳し、娘 ムン・フンスク(現ユニバーサル・バレエ団団長)が文総裁の次男と精魂(婚約)関係だったほど、文総裁と格別の関係だった。バク・フンスクは文総裁の次男が事故で亡くなると霊魂婚式を挙げて姓を変え、ムン・フンスクとなった。
朴前社長は1976年「コリアゲート(パクドンソン ゲート)」を通じて世に知られた。コリアゲートは朴正煕(パク・ジョンヒ)政府が在米実業家 朴ドンソンを通じて米国政治家たちにロビー活動を繰り広げたことで激しい逆風を受けて韓米関係を最悪にした事件だ。
当時、コリアゲートと連累してスパイ容疑を受けていた朴前社長は米下院フレイザー聴聞会に証人として召喚されたが、はばかることない英語反論で「聴聞会のスター」に浮上し、「誇らしい韓国人」というニックネームを得た。
故人の遺族にはムン・フンスク ユニバーサル・バレエ団団長などがいる。
出棺は15日、ソウル牙山病院 葬儀場 (02) 3010-2230