女性食口にも「銃の訓練をする」と言われたお父様
いつの日か、先生が全国の女性食口たちを大集合させて、
実際に弾丸を入れて標的に命中させる訓練をするつもりです。
今は皆さんは理解できないでしょうが、そのような時が来るでしょう。
ですからその時に備えて皆、銃を撃つ方法を覚えなければなりません。
(み言葉全集 26巻:P96-99)
上記のみ言葉は、1969年10月18日(土)、大邱( テグ)教会巡回時にお父様が語られた御言葉です。
下記に一部抜粋翻訳した内容をアップします。
おそらく、銃に関しては日本では翻訳されて出されていないかもしれませんね。
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空気銃について関心を持て
それで先生が一つ話したいことは、先生はこの地で銃を中心として事業をしてきたので、
今後、統一信徒たちは銃に対して関心を皆が持たなければならないということです。
なぜ?サタン世界が銃を中心として征服したので、私達が銃で世界を征服するのではないですが、銃を持って力の塀(へい)を作っておかなければならないのです。
今後、後世の人々が、先生がなぜ銃に関心を持ったのかを考えることでしょう。
サタン世界の攻撃を防御する塀(へい)を作るにあたって、絶対に必要なので先生が銃に関心を持っているのです。わかりますか?「はい」
1970年代になれば、先生が直接精誠を込めて導いてきた時代が過ぎるのでそれ以前に作った銃は今後、歴史において宝物になるのです。今後、1万5千ウォンのものが150万ウォン、1千5百万ウォン、1億5千万ウォンを出しても買えない時が来ます。各家門ごとにこの銃一丁を互いに保管すると争いが起こる時が来ます。何の話か分かりますか?「はい。」
したがってそれを知っている先生が皆さんに貴重なものとして残せる遺物(=形見)を抱かせてやらなければならない立場にあります。ですから今年、統一教会の食口たちは全部皆、銃を一丁づつ買わなければなりません。ただであげましょうか?貰うのが好きな人にはただであげましょうか?「買います」
今後、皆さんの中で娘のいる人はその娘が嫁に行く時にこの銃を持って行けば、婿に礼物(=結納)として千万金を相続することと匹敵する時が来るでしょう。これから数年だけ過ぎて、先生が世界的に発表する日には価値が上がるのです。ですから配当受けたもの、あるいはただで得たものはすべて返して買えというのです。女性たちも買わなければいけません。
先生が細かく計画して話してあげるのですから、この銃を持たなければいけません。ところが皆さんがお金がないので、1年半月賦で貸与してあげるのです。ですから月にいくらずつと集めて何としても支払わなければなりません。銃を買ったら、その次には撃ってみなければなりません。そうしてこそ、その銃に対しての挨拶をするのです。
銃を買ってもそのまま置いて見物だけしていれば、銃が泣くのです。嫁に来たならば、赤ちゃんを産めるようにしてあげてこそ嫁に来た甲斐があるのに、新郎が手首さえ一度も掴んでくれずにそのままにしておけばいいですか?新郎がどのようにしてでも、花嫁が赤ちゃんを産めるようにしてあげなければならないのです。同様に銃も飾っておいて眺めているだけではいけません。
誰よりもたくさん愛用しなければならず、昼も夜も常に触れなければなりません。もし女性が銃を胸に抱いて愛用すれば、銃も喜ぶでしょう。なぜなら銃は男性的だからです。男性は銃をむやみに扱うので簡単に故障しますが、女性はいくらむやみに扱おうとしてもだめです。
そのため愛用するのはまず女性が有利だというのです。銃は男性的だから女性が喜んで迎えてくれれば、どれほど嬉しいでしょうか?ですから片隅に打ち付けて置かずに、自分の手が届く一番近いところに置きなさい。勉強する時はペンケースよりも少し後ろに置いて鉛筆を掴むたびごとに一度ずつ触れなさいというのです。
いつの日か、先生が全国の女性食口たちを大集合させて、実際に弾丸を入れて標的に命中させる訓練をするつもりです。今は皆さんは理解できないでしょうが、そのような時が来るでしょう。ですからその時に備えて、皆、銃を撃つ方法を覚えなければなりません。
また、女性たち、馬に乗るのは好きですか?映画を見ると女性が馬に乗って走るのを見るのですが、気持ちがいいですか、悪いですか?どうせなら気持ちよく男の味わいで天下に号令するように走れなければなりません。
今後最も人気のあるスポーツ競技は何になるか?サッカーは過ぎ去ります。サッカーがなくなるのではなく射撃が最も人気のある競技種目になるということです。
文明が発展すればするほど、人々は刺激的な感覚があることを必要とします。詩を詠んも 「光明できらびやかな朝よ」というように形容詞を多く駆使して感覚の根をしっかりと突くことが好きだというのです。
では、一番刺激的な運動が何か?サッカーを見ると、ボールでもって走ってばかりいて大きな刺激を与えません。しかし、皆さんが江原道(カンウォンド/地名)の谷に入って銃を撃ったとしたら、その音がいかに大きいか考えてみなさい。ドーン、タンタン。谷で撃てば、その周辺の山の中のすべての獣が神経を集中して人々までも一瞬にして関心を持つようになります。これ以上刺激的なものはないというのです。
またそれだけではなく、走っていくイノシシをターン!と一度撃つと血を撒きながら足を広げて倒れるのです。これが非常に刺激的です。そのため、男性は狩猟が好きなのです。そのようなことをたくさんすれば、ご飯を食べることよりも面白いそうです。したがって、今後残る運動であれば、刺激的な運動です。世界的な統計を見ても射撃への関心はますます高まっていることを知ることができます。
ですから今後、国防は心配ないというのです。
では、そのような刺激的な競技に女性が出場しますか、しませんか? 「します。」
出場することになれば、先生がコーチになって監督になるでしょう。
そうなれば、私たち統一教会の女性たちが射撃代表としてオリンピック大会に出場できるかもしれません。実力があるのに女性だからと送らないかもしれません。
そのような意味で、皆、銃を一丁づつ買うのです。分かりますか?買いたければ買って買いたくなければ買わなくていいです。銃を売るためにそうしているのではありません。
その代わり、後で後悔しないでください。
(み言葉全集 26巻:P96-99)
体恤的な信仰人 (체휼적인 신앙인) 1969年10月18日(土)
大邱( テグ)教会巡回時に語られた御言葉